ユダヤ教の秋の祭りⅡ 大贖罪日

ラッパの音を響き渡らせるユダヤ教の秋の祭りが、なぜイスラエルの民にとって重要なのか理解を深めていきます。

レビ記23章26⁻32節 (口語訳旧約聖書 170 p)他

「26節 主はまたモーセに言われた、27節 「特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし(断食し)、主に火祭をささげなければならない。28節 その日には、どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。29節 すべてその日に身を悩まさない者は、民のうちから断たれるであろう。
30節 またすべてその日にどのような仕事をしても、その人をわたしは民のうちから滅ぼし去るであろう。31節 あなたがたはどのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのすべてのすまいにおいて、代々ながく守るべき定めである。32節 これはあなたがたの全き休みの安息日である。あなたがたは身を悩まさなければならない。またその月の九日の夕には、その夕から次の夕まで安息を守らなければならない」。」

10日の大贖罪日もラッパの音が響き渡る(レビ記25章9節)

本日はユダヤ教の秋の祭りが、なぜイスラエルの民にとって重要なのか理解を深めます。
秋の祭りはラッパの音を響き渡らせる祭り…10日目についても次のように言及されている。
七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。」

ユダヤ歴7月始まりの起源を示唆する列王記上8章1~11節の抜粋(488p)

「ソロモンは主の契約の箱ダビデの町、すなわちシオンからかつぎ上ろうとして~イスラエルの人は皆~七月の祭にソロモン王のもとに集まった。~祭司たちは~宮の本殿である至聖所うちのケルビムの翼の下に置いた。~箱の内には二つの石の板のほか何もなかった。これはイスラエルの人々がエジプトの地から出たとき、主が彼らと契約を結ばれたときに、モーセがホレブで、それに納めたものである。そして祭司たちが聖所から出たとき、雲が主の宮に満ちたので、祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。」

この出来事がいかにイスラエルの民の脳裏に強烈に残ったことだろうか。ユダヤ人は神が授けた律法によって成立している信仰共同体である。そのことから考えても、神の律法を象徴する契約の箱がエルサレムの神殿に安置され、イスラエル史上初めて神殿での礼拝儀式が始まった7月を、もう一つのユダヤ歴の始まりと考えるようになった理由ではないかと推測できる。

レビ記16章全体で語られる大贖罪日の儀式の詳細(158p)

大贖罪日には大祭司が通常着るエボデというイスラエルの十二部族を象徴する宝石がはめ込まれた祭服等を所定の場所で着替える。そこで身を水で清めてから、亜麻布で出来た服と帽子に着替える。その上で次の三つの儀式がなされていく。
1)炭火を入れた香炉とそれに入れる薫香を契約の箱の前でくべて場内を煙満たす列王記8章の出来事を連想させるような儀式であることに注目したい。他の理由は神を直接見ないためと考えられる。
2)雄やぎ2頭を用意してくじ引きし、ひとつはアザセル(荒野に放つ意味を持った複合語)として、もうひとつを民の罪祭として、その血を契約の箱などに注ぐ儀式のために用いる。
3)祭司たちのための罪祭雄牛を用いる。これらの罪祭を安楽死させて血と脂肪以外は焼却するのが習わし大祭司はひとりで至聖所に入り契約の箱に血を注ぐなどして罪のあがないの儀式を行う脂肪は外の祭壇で神への香りの献げ物として用いられる。

この大贖罪日の儀式がイエス・キリストの十字架のあがないで大きく変化した

ヘブル人への手紙9章7節「幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさえないで行くことはない。」とある。
ヘブル人への手紙7章27節「彼(キリスト)は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて一度だけ、それをされたからである。
イエス・キリストが全人類の罪のあがないとして十字架の死と黄泉でのあがないを全うされたことで、大贖罪日のあがないの儀式に終止符が打たれたとキリスト教では受け止めている。

ユダヤ教のタルムードに書かれている興味深い4つの出来事

西暦3~7世紀にかけて編纂されたユダヤ教のエルサレム・タルムード(156⁻157p)と言われるイスラエルのラビが書いたとされる文献の中に、興味深い4つの出来事が報告されている。

1)紀元30年からイスラエルがローマ帝国に滅ぼされる紀元70年までの40年間、神殿内の常に消さないことになっていた種火用のロウソクがどんなに工夫しても毎晩消えたこと。
2)神殿の入り口の扉を夜に厳重に閉じても、翌朝開いていたこと。
3)大贖罪日に二匹のやぎのくじ引きを行った時、40年間左のやぎが選ばれ続けたこと。
4)大贖罪日に神殿の入り口の門に掲げる罪祭の血で赤く染めた垂れ幕が祭りの間に通常白く変化するが、それが白くならなくなったこと。これは神が神殿での儀式を受け入れておられないことを意味する不吉な事柄として祭司たちの間では重大な問題だったという。

これらの連続して起き続けた出来事は、イエス・キリストの十字架のあがないの後は神殿での犠牲や毎年大贖罪日に大祭司が自分と民の罪のあがないをする必要がなくなったことを暗示していているのではないか。神はもはやそのような儀式を拒否された証しになるのではないだろうか。
これが事実無根であったとしても、紀元70年にはイスラエルと共に神殿が破壊され、神殿祭儀に終止符が打たれ、現代に至っているのが何よりもの証拠なのかもしれない。

イエス・キリストが成し遂げた「罪のあがない」という人類史上最大の業績

イエス・キリストは我々人間が自分の努力ではどうにもできない、根本的な罪の問題をご自身に引き受け、十字架と黄泉でのあがないの死を通して、私たちの果たし得なかった罪のあがないの業を果たして下さった。神が示されたこの罪の赦しの福音を心から信じる者を、神は全世界のどこにいても、その信仰によって罪とその呪いから永遠に解放して下さるとの約束が聖書の福音である。この世では最後まで罪の誘惑は存続し続けるが、キリストのあがないを信じ受け入れた者は、聖霊を注がれて人生を最後まで導いていただける祝福が伴うとキリストは約束している。

やがて私たちが天国に近づく時、大祭司が身を清め、亜麻布に着替えて、至聖所に入ったように、キリストに全生涯を委ねた者は、この世の罪で汚れた体も、イエスの血潮によって洗い清められ、キリストが下さる白い衣を与えられて天国に凱旋できるとの希望も聖書には語られている。 

黙示録3章5節「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。」

黙示録3章18節「そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。

 

2023年10月8日(日)北九州キリスト教会宣教題
「ユダヤ教の秋の祭りⅡ 大贖罪日」

 

礼拝動画は下のリンクからご覧ください。

https://www.youtube.com/live/LbZYppYUpK4?si=hiZN_L9tXrQ5vtAj