ユダヤ教の秋の祭りⅢ 仮庵の祭
ユダヤ教の秋の祭はユダヤ歴で7月1-2日にかけてのローシュ・ハシャナ(意味は年頭、雄羊の角笛=ラッパを吹く祭り)に始まり、10日大贖罪日に大祭司が年に一度だけ単独で至聖所に入って民全体の罪のあがないのために犠牲の血を注ぐ一連の儀式を行う。そして今回取り上げる7日ないし8日続く仮庵の祭と共に終わっていく。
ただし、この祭りは複合的な意味合いがある祭りである。罪の悔い改めに始まり、次回取り上げる神への感謝と喜びを共有して喜びの内に終えていく祭りである。
その最終日を狙った今回のあってはならないイスラエルへのガザ地区からの無差別攻撃とそれに続く計画的かつ残忍なテロ攻撃。そして始まったイスラエルの報復攻撃…。
一刻も早い事態の収束と犠牲者への慰めと癒しを心から祈る。
レビ記23章34⁻43節 (口語訳旧約聖書 171 p)他
34節「イスラエルの人々に言いなさい、『その七月の十五日は仮庵の祭である。七日の間、主の前にそれを守らなければならない。35節 初めの日に聖会を開かなければならない。どのような労働もしてはならない。36節 また七日の間、主に火祭をささげなければならない。八日目には聖会を開き、主に火祭をささげなければならない。これは聖会の日であるから、どのような労働もしてはならない。37節 これらは主の定めの祭であって、あなたがたがふれ示して聖会とし、主に火祭すなわち、燔祭、素祭、犠牲および灌祭を、そのささぐべき日にささげなければならない。38節 このほかに主の安息日があり、…ささげ物があり、…誓願の供え物があり、…自発の供え物がある。これらは皆あなたがたが主にささげるものである。(39⁻41節は宣教後半で取り上げる…)42節 あなたがたは七日の間、仮庵に住み、イスラエルで生れた者はみな仮庵に住まなければならない。43節 これはわたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせた事を、あなたがたの代々の子孫に知らせるためである。わたしはあなたがたの神、主である』」。
ユダヤ教の三大祭りのひとつ
ユダヤ教には7日間ないし8日間続く祭りが三つ存在する。春の祭の期間に行われるペサハと呼ばれる過ぎ越しの祭とシャブオットと呼ばれる七週の祭(この祭りをキリスト教ではペンテコステと呼ぶ)。
そして、秋の祭の期間に行われるスコットと呼ばれる仮庵の祭である。
この三つの祭の期間は時代によってはてきる限り、イスラエルの男性はエルサレムに巡礼することが推奨された。現在のように世界にユダヤ人たちが散らばっていても、これらの三大ユダヤ人祭りに合わせて帰国する人は多い。このような理由からイエスが処刑された過ぎ越しの祭の期間も、復活された七週の祭の期間も、エルサレムには通常以上の人々がこれらの祭を祝うために集まっていたのである。
荒野での40年間の仮庵生活に由来する仮庵の祭
43節に言及されているように、仮庵の祭はイスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放され、荒野で40年間神に養われた時に住んだ仮庵生活とその時に体験した数々の驚くべき神の御業を語り伝えるための祭である。ユダヤ人たちは現代でも庭に仮庵を建てたり、ビルのベランダに居住スペースをこしらえたり、郊外のキャンプ場のような場所に仮庵を作って過ごすらしい。
それは徹底して、神の言葉に基づいて養われ、生きることの大切さを実体験するためであった。この間、彼らは安息日以外は毎日マナという神が与えた食べ物に養われ、外敵に勝利し、衣服や履物までが最後まで擦り切れることなく着続けることができた奇跡を体験した期間であった。
仮庵の祭は神が与えて下さる収穫感謝の時でもあった
この祭りの箇所を学んでいくと、この期間に重なるようにして収穫感謝祭が存在することがわかる…39節 あなたがたが、地の産物を集め終ったときは、七月の十五日から七日のあいだ、主の祭を守らなければならない。すなわち、初めの日にも安息をし、八日目にも安息をしなければならない。40節 初めの日に、美しい木の実と、なつめやしの枝と、茂った木の枝と、谷のはこやなぎの枝を取って、七日の間あなたがたの神、主の前に楽しまなければならない。
イスラエルでは、大昔から収穫の時期には畑や果樹園に仮庵を作り、集中的に収穫作業もしていた。ここにもう一つの仮庵の起源が存在する。
現代の仮庵の祭の食事
秋の祭の期間になると、現代でもこれらの材料が多く市場に出回るらしい。中でもイスラエル人がだれもが好むのがりんごとはちみつ。これらは新年を代表する食べ物。あまいりんごとハチミツを食べることで、「シャナトバ・ベメトカ=新年が甘くなりますように=即ち素晴らしい一年になるように」と祈る。
この時期に食べられる伝統的な料理には、それぞれ意味が込められており、日本の「おせち料理」との共通点も多い。それぞれの食べ物に意味を込めたりするところまで。
・りんご➡豊穣
・はちみつ➡「甘い」一年を願う
・魚の頭➡年の頭(コイ、テイラピア、マスなど)
・ザクロ➡子宝にめぐまれ、子孫繁栄
・丸い編み込みパン➡一年を通した季節の移り変わりを象徴
そして、イスラエルでは年中欠かせないぶどう酒も、この時期に出来上がる。その出来立てのぶどう酒がこれらの食卓にさらに喜びを加えたことは言うまでもない。
イエス・キリストとの関係
秋の祭に存在する悔い改めと収穫感謝という二面性と同じく、聖書の預言の成就という観点から考える時、二つの終末預言が存在する。一つは携挙という形で摘み取られるようにしてキリストの元へ引き上げられるクリスチャンたち。もう一つはぶどう酒を作るための巨大な器に入れられて踏みつぶされていくぶどうの実で表現される…神に反抗し、神から与えられた命と人生を軽んじる人々の結末。
他にもぶどう酒を豊作への感謝として神に献げる人々がいる反面、自分の快楽のために必要以上にぶどう酒を食らい続けて理性を失い、失態を人々にさらす…相反するぶどう酒にまつわる結末。
洪水を経て、ぶどう酒に酔いしれて失態をついてしまうノア。ぶどう酒が最初に登場する聖書の場面。その結果、三人兄弟の内、現イスラエルとガザ地区を含むカナン地方の先祖となるハムの過ちを導くことにつながっていくことになる。そこから現代まで何千年と続く長い人類同士のもつれあいが続く。
この民族同士の争いに終止符を打つためにキリストが自ら飲んだ罪を象徴する苦い盃。十字架で流された清い血潮もぶどう酒で譬えられる。この二千年間キリスト教会は主の晩餐の度に罪のあがないと新しい命を象徴するふどう酒(またはぶどう液)を儀式に用いて来た。この人類の愚かを反省し、神がキリストによって示し続けて下さっている人類の恒久的な平和への道に生きる者となるために。
仮庵の祭は原点回帰の時
仮庵の祭は人生で最も大切なものとは何かを考えさせる。キリストを通して神が示された犠牲的な愛に生きるのか、際限なく拡大する報復合戦で神の最終的な怒りの酒舟に入れられるのか。今回のイスラエルでの悲劇ほど、秋の祭の真実の意味について考えさせる年はないのかも知れない。
2023年10月15日(日)北九州キリスト教会宣教題
「ユダヤ教の秋の祭りⅢ 仮庵の祭」
礼拝動画は下のリンクからご覧ください。
https://www.youtube.com/live/zHRpDxxbxTs?si=Nxp1UcCSc2B6176i
-
前の記事
ユダヤ教の秋の祭りⅡ 大贖罪日 2023.11.16
-
次の記事
ユダヤ教の秋の祭りⅣ 律法の歓喜 2023.11.23