ユダヤ教の秋の祭りⅣ 律法の歓喜
「ユダヤ教の秋の祭りシリーズ」最終回では、秋の祭りのしめくくりをモーセ五書(トーラー)とともに学んでいきます。
申命記34章1-12節 (口語訳旧約聖書 299 p)他
ユダヤ教で最も重要視されるモーセ五書(トーラー)の最終章
(以下がその内容)
1節 モーセはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスガの頂へ行った。そこで主は彼にギレアデの全地をダンまで示し、2節 ナフタリの全部、エフライムとマナセの地およびユダの全地を西の海まで示し、3節 ネゲブと低地、すなわち、しゅろの町エリコの谷をゾアルまで示された。
4節 そして主は彼に言われた、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない」。5節 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。6節 主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。
8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。9 ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちた人であった。モーセが彼の上に手を置いたからである。イスラエルの人々は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおりにおこなった。
10 イスラエルには、こののちモーセのような預言者は起らなかった。モーセは主が顔を合わせて知られた者であった。11 主はエジプトの地で彼をパロとそのすべての家来およびその全地につかわして、もろもろのしるしと不思議を行わせられた。12 モーセはイスラエルのすべての人の前で大いなる力をあらわし、大いなる恐るべき事をおこなった。
(これで申命記=律法<トーラー>最後の五番目の書が終わる)
(最終回)ユダヤ教の秋の祭のしめくくり
7月(ティシュレイの月、今年は西暦9月15日~)から始まる秋の祭。最初はローシュ・ハシャナ(年頭・別名ラッパの祭・新月を基準にして始まり、通常2日間)、10日目に行われるヨム・キプール(大贖罪日)、そして15日から22日までの8日間行われるスコット(仮庵の祭)。これら三つの祭を中心に行われるのが秋の祭。
このユダヤ教の秋の祭も最後に三つの行事が立て続けに行われる。スコット7日目のホシャナ・ラバ(偉大なるホシャナ=歎願・救いたまえ)。最終日である8日目のシュミニット・アツェレット(きよめの集会)。そして、スコットの直後に行われるシムハット・トーラー(律法の歓喜の祭)で幕を閉じる。
7日目のホシャナ・ラバ(偉大なるホシャナ=歎願・救いたまえ)
伝統では、初日のローシュ・ハシャナで始まる神の裁きの期間は、この日に終わるとされる。仮庵の祭の期間にホシャナと声を掛け合うことは良くあるが、この日は特に「ホシャナ」と積極的に挨拶をする習わしがある。新約聖書に登場する「ホサナ」と同じである。
また、礼拝時にはルーブラと呼ぶナツメヤシの葉が閉じたものや、エトログというレモンよりもデコボコが多い柑橘系の果物を持って7回規定の場所を巡る礼拝式も存在するという。
8日目のシュミニット・アツェレット(きよめの集会)
仮庵の祭の最終日にはきよめの集会が持たれる。捕囚期以降くらいから箴言が読まれるようになったらしい。時代や場所によって、これらホシャナ・ラバとシュミニット・アツェレットの集会は、同時に行われて来たとのことである。ユダヤ教秋の祭が収穫感謝の祭であると共に、神からの罪の赦しと清めを願う祭りとしての特徴も最後まで続くのである。
9日目のシムハット・トーラー(律法の歓喜の祭)
この日、ユダヤ人たちは、礼拝堂であるシナゴーグに行き、そこから年に一度だけ貯蔵庫に収められている聖書の巻物をそれぞれが手にして、町内などを1周する習わしがある。この行事は10世紀頃から行われるようになったようである。
前にも述べた通り、ユダヤ教の秋の祭が始まる7月ティシュレイの月は、イスラエルのソロモン王が建てた神殿ではじめて礼拝が捧げられるようになった月である。これに先立って、ダビデ王がエルサレムに律法の書が入っていた契約の箱を運んで来た時、率先して喜びを踊りで表現しながらエルサレムに入場したことが語られている(サムエル記下6章参照)。
自分たちの信仰が何によっているのかを様々な形で表現しようとするユダヤ教の祭文化を垣間見る思いがする。私たちもこの精神をクリスマス・イースター・ペンテコステで大事にしたい。
律法の書(モーセ五書・旧約聖書はじめの5書)の通読で終わり、始まる秋の祭
シムハット・トーラーの日は、一年で律法の書を礼拝で読み終わる日でもある。今回の聖書箇所こそ、最後に読まれる書である。40年間の荒野での放浪生活がいよいよ終わりに近づき、約束の地カナンを目の前にしながら、これまで民を導いたモーセとの別れを惜しみつつ、約束の地カナンを手に入れるための戦いがいよいよ始まろうとしていたこの時期、イスラエルの民は何を思っていただろうか。
これまでの40年の神の変わらない祝福を再確認しながら、勇気を奮い起こしたのに違いない。この出来事と自分たちが直面する今とを重ねながら、かつての常識が通用しない新たな時代に向け、イスラエルの民はいっそう律法を身近に感じながら秋の祭を感謝と期待を胸に終わるはずが…
そして、律法の歓喜の祭の日には、申命記の最後の34章を読み終わった後、その日に再び創世記の第1章に戻って聖書通読を行うはずであった…
それがこの度のガザ地区のハマスからの無差別テロ攻撃ならびに拉致事件のため、喜びの祭典としての仮庵の祭の側面と、新年の祝福を願いながら希望を持って始めて行く律法の歓喜の祭は台無しになってしまった…
今回の聖書箇所でモーセという偉大な指導者を失った時の民の30日に渡る嘆き。そして、それに続くカナンの地を征服していくための戦いの幕開けとが、私には今回の無差別テロによるイスラエルが被った悲しみと徹底抗戦の様相を見せている現イスラエルとが重なり合って見える。
しかしながら、今こそイスラエルも我々も問われているのではないか。キリストが十字架の上で自分を十字架にかけた人々のために執り成し祈ったという事実を。厳しい現実に直面している時こそ、この信仰を大切にしたい。聖霊の助けだけが我々にそれを可能にする。
2023年10月22日(日)北九州キリスト教会宣教題
「ユダヤ教の秋の祭りⅣ(最終回) 律法の歓喜」
礼拝動画は下のリンクからご覧ください。
https://www.youtube.com/live/4l16MgtOG6A?si=-reaszJ8P1d8Y6Af
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