福音を運んで来た宣教師たち

はじめに

今年はナオミ・シェル宣教師(Miss Naomi Schell)と中西けさ子姉(後の当教会初代牧師:日笠進二牧師の妻)が1929年10月に戸畑に移住し、伝道開始して95年になります。そこから現在まで続く戸畑における福音宣教が始まりました。今週から来週にかけては世界祈祷週間がバプテスト連盟全体で行われます。北九州教会が多くの宣教師と献金に支えられて来たことを覚えつつ、世界宣教の使命に共に仕えて参りましょう。

合わせて今月は1965年11月14日午後14時より行われた当教会での教会組織会議での全会一致の多数決により、北九州キリスト教会としての歩みを始めて59年目に当たります。いつの時代も宣教師たちの原動力になっていたと言っても過言ではないローマ人への手紙10章のみことばに共に力づけられて参りましょう。

伝道の原点

ローマ人への手紙10章11-15節(246p)

11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。14 しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。15 つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである

これを書いた使徒パウロは福音宣教が実るためには5つのステップを踏んでいく必要があると語っている。①福音宣教のためにつかわされること(15節)。②福音を宣べ伝える者がいること(14節後半)。③福音を聞く対象者がいること(14節中盤)。④福音を信じる決断をする者がいること(14節前半)。⑤その結果、主の御名を呼び求める者になること(13節)。パウロが語った内容をよく吟味する時、ある違和感を覚えるのではないだろうか。それは13節で語ったのは「福音を信じる者は、すべて救われる。」ではなかったということ。14節でも「信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。」と語り、主の御名を呼び求めることが、福音を信じた後に起きる大事な目的であることを表現している。

これを裏付ける聖書箇所は他にも多く存在するのだが、キリスト教の福音とは単に「信じる者は救われる」と教えてはいないのである。11節もそれを「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と表現している。つまり、福音を信じてそこで信仰の成長が止まってはいけないのである。我々は「失望に終わらない」で、「希望に満ち溢れていく」ように期待されているのである。それは信じた者が「主を呼び求めていく」応答から生まれてくるのである。

希望に圧倒され、喜びに満ち溢れるからこそ、福音が良きおとずれであることを確信して全世界に出ていくことができるようになるのである。これを理解するのは簡単ではない。しかし、この違いを理解してこそ、不完全燃焼に陥りがちなクリスチャン生活、あるいは信仰生活に喜びや満足、平安と慰めが足りないと感じる霊的スランプ状態から脱却していくことができるのである。「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とは、何を指すのか。それこそが、すべての宣教師たちの共通の宣教目的だったのである。

主の御名を呼び求める重要性

ヘブライ語の「主の御名」は、単なる名前ではなく、漢字同様に意味がある。主の名とはイエス・キリストのこと。「イエス」とは「救いをもたらす神」というヘブライ語が語源の名前。「キリスト」とは「救い主」のこと。イエスは人の名前だが、キリストは名前ではなく、称号である。預言者なら「ナビ―」、先生ならば「ラビ」となる。しかし、初代教会の信徒はイエスの死後、イエス・キリストと呼んでそこに自分たちの信仰を凝縮させることに意義を見出した。当時のユダヤ人たちが待ち焦がれた神が預言者たちを通して約束しておられた「キリスト(ギリシャ語)」、ヘブライ語では「メシヤ」。そのお方が実際に彼らの元にこられた時、当時としてはありふれた名前ではあったが、神はわかりやすいように「イエス」という人名でこの世に「キリスト」を送って下さったと理解したのである。

それでは「主の御名」を呼び求めるとは、いかなる「救い」を期待して呼び求めることを指すのだろうか。これが今日の箇所で最も重要な理解である。神が遣わされた救い主は何をして下さる救い主としてこの世にこられ、目的を成し遂げられたのだろうか。

他の人間にはだれにもできず、キリストにしかできない救いの業とは

バプテスマのヨハネの父は待望の息子が生まれた時、聖霊に満たされて預言した。その時の言葉に注目したい。「(キリストは)わたしたちを敵の手から救い出し、生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。幼な子(わが子ヨハネ)よ、あなたは、いと高き者(キリスト)の預言者と呼ばれるであろう。主(キリスト)のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救を/その民に知らせるのであるから。」(ルカ1:74-77)

バプテスマのヨハネ自身もイエスと出会った時に次のように表現した。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ1:29)イエス・キリストは人類の根本問題である罪とその呪いから我々を救い得る唯一の救い主である。

そして使徒ペテロも「この人(イエス・キリスト)による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。」と表現したが、その理由はキリストによる以外に罪を赦し、罪を取り除くことは天下のだれにもできないからである。罪とその呪いから救う神の子イエス・キリスト。この教義こそキリスト教の中心主題である。主の御名を呼び求めることは、この救い主に真剣に罪からの完全なる赦しと解放と癒しを乞い願うことにほかならない。その理解をさらに深めていくために来月は引き続き「罪をあがなう救い主イエス・キリストの誕生」をテーマに聖書に聞いていく。

ナオミ・エリザベス・シェル宣教師を覚えて

南部バプテスト連盟から派遣された宣教師には昔から独身でこられる方も多い。ナオミ宣教師もその一人だった。ナオミ宣教師は1893年9月21日にアメリカ、ノースカロライナ州グリーンスボロで生まれた。6歳の時にバプテスマを受けている。その後の歴史の詳細は把握できていないが、1929年10月(36歳)に戸畑に移住し、伝道開始。ナオミ愛児園と北九州キリスト教会の前進となる隣光舎を立ち上げ、1940年(約47歳)まで11年間を福音宣教のために戸畑で人生を捧げたのである。1935年に潜行性マヒのための治療が始まる。1940年に日米間の戦争が始まる前に帰国。1946年2月23日に地元のノースカロライナで召される(52歳)。心から感謝を捧げたい。そして、我々もナオミ宣教師の伝道スピリットを共に継承していこう。

2024年11月24日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「福音を運んで来た宣教師たち」

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