2025年前の新年の出来事
はじめに
西暦という世界の標準的な暦として長年普及してきた、西暦または紀元や紀元前という言い方。これはイエス・キリストの誕生と深く関わっていることを多くの人は知っています。それがどのように正式に採用されるようになったのかを知る時、新年を迎えた私たちにとって、新たな希望となります。
ルカによる福音書の2章21節以降に報告されているイエスの両親がした事柄が、どのように新年と結びついているのかについて確認しながら、ご一緒に一年の初めの日がどのような意味を持っているのか、みことばに聴いていきましょう。
元日はイエスが割礼を受け、名前が付けられた特別な日
ルカによる福音書2章21-24節(86p)
21節 八日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた。
イエス・キリストの誕生日を12月25日に定める時、生まれて8日後というのが元日になる。この日はイエスと両親にとって特別な日であった。それは割礼を施す日と定められていたからである。割礼を受けることは、神の民(ユダヤ人)の一員の仲間入りを意味した。そしてユダヤ人の一員になるということは、神の御心に従って生きる者に与えられるすべての神の約束と祝福を継承する者に正式になったことを意味するのである。
創世記17章12節で神はアブラハムに「あなたがたのうちの男子はみな代々、家に生れた者も、また異邦人から銀で買い取った、あなたの子孫でない者も、生れて八日目に割礼を受けなければならない。」と代々に渡って守るべき契約として定められた。割礼は神の民の一員になるという極めて重要な儀式であり、これに違反する者は死罪とされるほどの重要な掟だった(同14節)。その後、イスラエルでは生まれて8日目に割礼を施すだけでなく、その時に名前を付け、公にするようになった。この儀式もイスラエルにおいては重要であった。生まれて8日に親族が集まり、割礼を施すと共に名前を正式に公表するのである。
イエスの名前は、特別に天使長の一人であるガブリエルから「我らに伴われる神」という意味を持つ名を付けるように事前に指示を受けていた。「その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである(マタイ1:21)。」と具体的にイエスの名が象徴する将来の使命について明確に告げていたのである。それを忠実に実行したのが新年最初の日の出来事だったのである。
従って、この日はイエスが神の契約の民としての正式な相続者になっただけでなく、彼の公生涯の開始であり、人類に対して果たしていく使命までが公に示唆された記念すべき日なのである。これは極めて重要な日であったと言わざるを得ない。このような理由で、新年はイエス・キリストの誕生日を基準に決められたのではなく、割礼を受けた誕生日の8日後こそがふさわしいとされ、新年として採用されたとの推測も可能なのである。
(ウィキペディアの「西暦-歴史-誕生」覧も一つの参考になる)
このように新年を捉える時、現代の神の契約の民であるクリスチャンにとって新たな意味を持つのではないだろうか。イエス・キリストが割礼を受け、名前を付けられたとされる元日は、ユダヤ人だけでなく、全世界の神の民にとって記念すべき日となる。一年のはじめの日である元日。これはクリスチャンが正真正銘神の民であり、聖書に記されたあらゆる神の約束と祝福を継承する民としての自覚を新たにする日となのである。
西暦はいつから世界標準歴として用いられるようなったのか
西暦はキリスト教がローマ帝国において公認されるようになってから採用されるようになった暦である。当時のローマ教皇ヨハネス1世の委託を受けた神学者ディオニュシウス・エクシグウスが考案した歴表であり、西暦525年から徐々にローマ帝国内での使用が広まったとされている。(ウィキペデイアの西暦に関する情報による)この歴はイエスの復活日を紀元30年として他の年代を決定している。従って、西暦元年はイエスの誕生年を起点に作成されたものではない。
ルカによる福音書2章のイエスの降誕の記述によれば、当時のユダヤの王はヘロデ大王だった。彼は紀元前3年頃に死んでいる。従ってイエスの誕生は少なくとも紀元前3年頃でなければならない。すると西暦元年はむしろイエスと両親がヘロデ大王が亡くなったことを知り、イスラエルに戻ってナザレでの生活を開始するようになった時期だったと考えられる。そう考えると、今から2025年前というのは、イエスがナザレ人としてこの世での生活を始めた時期ということになる。ブドウの枝という意味があるナザレ。そこですくすく育っていったイエスの姿を想像できるのである。
イエスの人生最初のエルサレムでの儀式への参加記念日は生後約40日後
22節 それから、モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った。23節 それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、24節 また同じ主の律法に、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。
イエスは生後40日過ぎてから、今年の暦で分かりやすく言えば2月2日頃、レビ記12章の規定に従って今度はベツレヘムの10㎞北にあるエルサレムに行って初産で生まれた男子のための聖別の儀式とマリヤの産後のきよめの儀式をしに神殿に行ったことが語られている。産後40日過ぎないと母親は宮詣ができない決まりになっていた。これらの情報から、イエスが実際に生まれて初めてエルサレムの神殿で礼拝をしたのは、生後40日過ぎてからだったことがわかる。
この時期のことを想像してみたい。生まれてすぐは両親とベツレヘムで静かに過ごすイエス。波乱の人生が始まる前の親子三人水入らずのかけがえのない時間だったのではないだろうか。それから神に特別に聖別してもらうために親子揃って始めて神殿に行ったイエス。その後しばらくして親子三人は天使のみ告げを受けてエジプトへ避難することになるのだが(マタイ2:13以降参照)、この時の神殿での特別な聖別の祈りがその後の困難な旅をどれほど祝福し、守ったことだろうか。この時に神殿で出会ったシメオンやアンナという老年の信仰者たちの祈りも大きな助けになったことだろう。ここに現代に生きる我々への新年の過ごし方の模範がある。同じように、我々もお互いに特別に神に聖別されるように祈り合うことを大事にして過ごすように示される。
新年はイエス・キリストによって神の民の一員として生きる転換点となった時期。私たちもその自覚を持って新年の歩みを始めて行こう。
2025年1月5日(日) 北九州キリスト教会宣教題
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