地上の民族のはじまり②

はじめに

聖書の中で系図ほど読みづらく、興味が持てない箇所はないと思います。それでも、イエス様はマタイ福音書5章18節で「よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」と語り、創世記から申命記までの律法の大切さを強調しました。前回はノアの末の子のヤペテの子孫が世界の終わりの時まで重要な役割を果たすことを確認しました。その子孫は世界中に最も広く散らばっていく民族です。10章は神のご計画に従い、ノアの下の息子から始め、今回の次男ハム、そして最後に長男のセムの順でその系図を取り上げていく特徴があります。

前回のようにそれぞれの名前の意味には触れないことにします。不思議と意味不明の名前が多いことと、名前の意味よりも現在のどこに広がり、定住したかが重要だからです。多くはイスラム教が広がった地域だということができるでしょう。旧約聖書を通じて繰り返しイスラエルやキリスト教国と戦いを交えた民族名が多く登場することになります。

ハムの4人の息子が代表する民族

創世記10章6-20節(口語訳聖書 11p)

6節 ハムの子孫はクシ、ミツライム、プテ、カナンであった

ハムの四人の息子は次男のミツライムを中心に考えると分かりやすい。ミツライムとはエジプトを指す。その南、現在のスーダン国が長男クシが赴いた地域。三男プテは現在のエジプトの西の国リビア付近。そしてミツライムの北方に位置する現在のイスラエルがある地域がカナンとなる。ここから4人の子孫が主に南、西、北に展開することになっていく。

長男クシの7人の息子が代表する民族

7節 クシの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカであり、ラアマの子孫はシバとデダンであった

8節 クシの子はニムロデであって、このニムロデは世の権力者となった最初の人である。9節 彼は主の前に力ある狩猟者であった。これから「主の前に力ある狩猟者ニムロデのごとし」ということわざが起った。10節 彼の国は最初シナルの地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネであった。

11節 彼はその地からアッスリヤに出て、ニネベ、レホボテイリ、カラ、12節 およびニネベとカラとの間にある大いなる町レセンを建てた

長男クシについては7節で6人の息子について取り上げられている。いずれもエジプトやスーダンのさらに南のエチオピアや中央アフリカに展開していったと思われる民族。対して7番目のニムロデ、彼は8~12節を用いて詳細に語られている。彼とその子孫は親族に逆らって北に移住し、チグリス・ユーフラテス川流域に広がっていく。現在のイラクを中心にした地域ということになる。この地域を中心に歴史的に大帝国が次々に登場するのである。

その中にバベルの塔で有名なバベルの地名があるのも興味深い。後に登場するアッシリア帝国の地名も登場している。また、ヨナ書に登場するアッシリア帝国の首都ニネベも言及されている。これらの町はノアの次男ハムの長男クシの七男(末の子)が思い切って北に移住したことによる。

 次男ミツライムの7人の息子が代表する民族

13節 ミツライムからルデ族、アナミ族、レハビ族、ナフト族、14節 パテロス族、カスル族、カフトリ族が出た。カフトリ族からペリシテ族が出た

ミツライムは現代ヘブライ語でエジプトを指す言葉である。旧約聖書ではミツライムで登場するが、口語訳聖書の歴代誌上1章8節の同じようなハムの系図が書かれているところでは、エジプトに改名されて登場している。その後ダビデの時代でも度々登場するペリシテ族もその子孫である。現在のパレスチナという言葉の語源もこのペリシテから来ている。ペリシテはミツライムの末の子カフトリの子だと言う説明を加えて、今後のイスラエルとペリシテとの複雑な歴史を示唆しているようにも受け取れる。

四男(末の子)カナンが代表する民族

15節 カナンからその長子シドンが出て、またヘテが出た。16節 その他エブスびと、アモリびと、ギルガシびと、17節 ヒビびと、アルキびと、セニびと、18節 アルワデびと、ゼマリびと、ハマテびとが出た。後になってカナンびとの氏族がひろがった。19節 カナンびとの境はシドンからゲラルを経てガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ゼボイムを経て、レシャに及んだ

カナンの子どもたちはアブラハム物語やイエスの時代にも登場する民族や地名が多い。アモリ人というのはカナン地域に定住した最も古い民族の一つだと考えられており、カナン地方に広く定住したようである。創世記15章16節には、神がアブラハムにカナンを代表するアモリ人の罪が極みに達する時が来ることを預言し、その時代になってイスラエルの民がエジプトからカナン地方に帰還することになると語っている。

他にもアブラハムの時代に滅ぼされた悪名高いソドムとゴモラの名前も登場している。ノアの預言の通りにいかにハムの子孫が神に逆らって生きるようになってしまったのか、その歴史を一部垣間見ることになるのである。

終わりに

20節 これらはハムの子孫であって、その氏族とその言語とにしたがって、その土地と、その国々にいた

ノアの三人の子どもたちの系図を理解すればするほど、どの民族、宗教も神の救いの対象であり、神の祝福の中に導こうとされていることを理解できるでしょう。また、どの民族の子孫もひどく神に背いた歴史があるのです。ローマ書3章23節に「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっている。」とある通りです。聖書を読む限り、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教、そして全世界の宗教も無神論者も共に神の御前に悔い改めて、御心に服従することが世の終わりまで求められているのです。

聖書は人の罪を指摘し、裁き、仕返しすることを教えているのではなく、自分がいかに罪を犯しやすい存在なのかを自覚し、自戒することを促します。聖書が言う悔い改めとは「神の御心を求め、実行する生き方に方向転換すること」を指します。その神の御心とは、神が遣わされた人類の救い主イエス・キリストによって罪の赦しを受け、キリストが十字架のあがないを通して勝ち取って下さった聖霊の働きによって神の御心を実現して生きる者に造り変えられていくことを意味します。

だれも神と正しく向き合わないままに天国に入ることはできません。キリストの十字架と復活に象徴される神の救いのご計画を信じる意志表明をすること(信仰告白)。そうして与えられる聖霊の助けによって初めて神の国への入門が可能となるのです。

2025年4月6日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「地上の民族のはじまり②」

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