地上の民族のはじまり④ バベルの塔

はじめに

ピーテル・ブリューゲルが書いた1568年作のバベルの塔。関東に住んでいた頃に東京の美術館に見に行きましたが圧巻でした。意外にも横60㎝、縦75㎝ほどの想像していたより小ぶりの作品でしたが、そこに投入されたブリューゲルのこだわりは本物でした。大きさに似合わず約1400人の様々な人間模様が書き込まれた力作にくぎづけになりました。ブリューゲルの書いたバベルの塔を現代の東京に建てたとしたら高さ510mほどになり、高さ634mの東京スカイツリーには及ばないものの、高さ450mのところにある2階展望台よりは高いことになるとのことです。あくまで想像上のことですが聖書に登場するバベルの塔がいかに規格外の建造物だったかを連想させます。

今回取り上げるバベルの塔の話は実際にはどんな物語なのでしょうか。神様はどのようなメッセージを込めてこれを伝えたのでしょうか。そこには現代に通じる重要な主題が見えてくるのです。

舞台はイスラエルの東方の地域…ペルシャ湾に流れ込むユーフラテス川の近辺

ここにアフリカより北上して移住したハムの子孫、ニムロデの一族が先住民のセム族やヤペテ族の子孫の土地に侵入して実権を握るところから始まる。

創世記11章1-9節(11p)

1節 全地は同じ発音、同じ言葉であった

2節 時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ

3節 彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た

4節 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」

バベルは10章に登場した世の最初の権力者ニムロデが支配した土地とあります。(9-10節参照)

2節に「平野を得て」とありますが、果たして平和裏に取得したものか疑わしいところです。彼らが半ば強引にシナルの地に広がる平野を取得した後、4つの出来事が連続したことが語られています。①彼らは技術革新を起こし、レンガやアスファルトを開発したことが語られています。周辺諸国が注目し、一目置いたことでしょう。②彼らはその技術と地域住民を先導して天に届く建造物を造り始めます。「」とは聖書では神の領域を指す言葉です。神を侮り、神に取って代わろうとしている不穏な動きを感じさせます。③彼らはまた神の名ではなく、「われわれは名を上げて」と自分たちの名を世界に轟かせようと目論んでいます。他の民族よりも優秀な存在になろうとする野心が伺えます。④そして神の御心が全世界に広がっていくことを知りながら、神の意志に反してその地に留まろうと決意したことが語られています。

彼らにはもはや天地創造の神と神が彼らに与えられた一族への使命は眼中にありません。あるのは自分たちが優秀だとの思い上がり、身内の繁栄、多民族への優位性、そして神に成り代わろうとする野心でした。神中心から自己中心への生き方の転換が著しく起きていたのです。

神による神対応

5節 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、6節 言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。7節 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」

時に主は下って」とは、人間たちが傲慢にも神と同等の地位を獲得しようと上に、上にと背伸びをしている時、神にはそれは遥か下の出来事に見えていたことが表現されています。「彼らはすでにこの事をしはじめた」…しかも彼らのしはじめたことは容認できない事態だと認識していたことが語られています。神が介入しない限り、地上の諸民族では対処しきれない神不在の生き方だと神の目には移っていました。そこで神が取った行動とはハベルの人々とは逆に下へ降っていき、彼らの生活のただ中へと神様ご自身が出向くことでした。

神が近づかれる時、人間の本性が暴かれます。先にバベルの人々に見られた4つの出来事を取り上げましたが、それらは別の角度から観察する時、神不在の人々が反発し合っていくことになる4つの生き方を指していると考えられます。①技術革新に溺れる人々=仕事優先主義者たち。②歴史的快挙を遂げようとする人々=記録更新や他人よりも優れた実績を追求する成果主義者たち。

③名誉や身分を重んじ、他人よりも優秀であること、権力欲に溺れる者たち。

④神に成り代わって世の人々を先導しようとする偽宗教者、身勝手な思想家たち。

神が近づかれる時、人の本性は明らかとなります。そして、その違いが明るみに出される時、互いに価値基準や意見の相違が明らかとなり、あたかも別の人種であることに気づかされることになるのです。神の人格や価値基準と異なる生き方をする時に顕著になってくるものばかりです。バベルの塔を建設していた人々は一時的には一致団結をしていたものの、完成が近づけば近づくほど、これらの変化はもはや避けて通れない状況にまで進んでいたのではないかと想像します。光は闇を照らし、本来そこにある汚れを露わにするのと同じに。

神が近づく時、人の本性が明らかとなります。神の子イエス・キリストが地上にこられた時も人々の本性が明らかとなり、その結果人類の救い主として来られたお方を十字架につける結果となったのと同じです。

バベルの塔と対照的な新約聖書の物語

8節 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた

9節 これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた

バベルの塔の主題は新約聖書において再び取り上げられることになります。今年の場合6月8日に行われる聖霊降臨日がその対になる物語です。この日弟子たちはひたすら神の約束が自分たちに注がれることを待ち望み、一同心を合わせて祈りに集中していました。その祈りに応えて約束の聖霊が一同の上に降り立ちます。すると彼らは当時の様々な世界の言語で語りだしたのです。
ただし、この時は一同に完全な調和と共通点がありました。全員が神様の素晴らしい御業を各国の言葉で語りだしたのです。そこにはバベルの塔の時のような不和と混乱はありませんでした。彼らはその後バベルの塔の出来事のように全世界に散らされる日がやってきます。しかし、この時はクリスチャンに向けた当時の為政者たちによる大迫害が原因で起きるのです。結果的には9節に語られている「主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。」とある通りのことが同様に起きたのです。こうしてイエス・キリストの福音はイスラエルやバベルから東、東へと伝えられ、日本にまで届けられました。

バベルとはヘブライ語で「乱す・混乱」という意味です。神様が定めた秩序の中に生きない時、バベルの塔の悲劇は繰り返し起きるのです。しかし、神様は聖書、そしてイエス・キリスト、また御心を祈り求める者に遣わされる聖霊の祝福によってバベルに終止符を打ち、真実の平和を確立して下さいます。その祝福と希望の中に招かれていることを感謝します。

2025年5月18日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「地上の民族のはじまり④  バベルの塔」

礼拝動画はこちらからご覧ください。