キリスト教と葬儀① 葬儀への備え
- 2025.09.21
- 目からウロコの聖書
- エペソ人への手紙, コリント人への第一の手紙, テモテへの第二の手紙, ヘブル人への手紙
はじめに
今月はキリスト教と葬儀に関する3回シリーズで宣教をお届けします。第1回は葬儀への備え、第2回は葬儀とお墓について、そして第3回は死後に起きることをテーマにお届けします。日本は神道、仏教を始め、様々な宗教が混在する国です。異なる葬儀や死後の世界についての考えが存在する国に生きる者として、どのように向き合っていけばいいのでしょうか。また、どのように自分や家族の葬儀に備えて行けばいいのでしょうか。この機会に理解を深めていきましょう。
私は牧師に転身する前に生命保険会社に勤めていました。その時に当時流行っていた生命保険のテレビの宣伝を覚えておられる方もおられるかもしれません。司会やニュースでお馴染みの関口宏氏が次のように語ります。「人生には三つの坂があります。上り坂、下り坂、そして『まさか!?』この『まさか!?』に備えて保険を是非ご検討下さい。」と。現代に生きる我々ならば、いつ自分の番になるかわからない葬儀について備えることの必要性を認識されていることと思います。
この問題の具体的な備えについて語る前に、本日の聖句から根本的な心構えを確認しておきましょう。葬儀への万全の備えをするためには、人生の目的、葬儀の目的、そして死後について明確に教えている聖書に聞くのが一番です。これらについて3回に分けて確認するのが今回のシリーズの特徴です。それでは本日のみことばから人生の目的と葬儀の関連について共に考えましょう。
葬儀への最大の備え:神様が与えて下さっている人生の目的を自覚して生きること
エペソ人への手紙2章10節(302p)
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。」
今回の聖句は人生の目的を端的に表現しています。私たちはイエス・キリストとの深いつながりを持って生きることが人生最大の目的となるように創造されたということです。これに忠実に生きれば良い作品となり、逆は目的を達成できないということです。
私たちの人生には上り坂ばかりでなく、下り坂や魔の坂(まさか)が存在します。それでも私たちがキリストの模範に従う良い行いをして生きる意味は、それが人生の本分であり、最後に行う葬儀と死後の世界に多大な影響を及ぼすからです。
キリスト教で最も誤解されていることの一つは、改心してキリストを信じてクリスチャンになれば天国にいけるという信仰理解です。そのため、人生の最後の時を迎えるまで好き放題に生きて、死に際になって信じればいいなどと勘違いする人がいます。あるいは心の中で信じていればいいと言う人も同じです。神の作品はキリストに習って生きていることが明確にわかる「良い行いをして日を過ごす」ことによって判断されるのです。キリスト教で信仰を重要視して、「信仰のみによって」救われるという表現があるのは、正しい信仰なしには助け主なる聖霊のご指導を正しく仰げないからです。
車の運転を例にすると、基本的な知識を持ち、正しい手順で運転の練習をしてから路上運転を開始しなければ、多くの人を巻き込む様々な惨事を引き起こしかねません。また、免許だけ持っていて、ペーパードライバーのままでもいけません。神様が与えて下さっている人生においても正しい理解と一定の信仰の訓練を受け、その上で実践を積み重ねることが重要です。車を運転する最大の意義は、目的地に行きつく手段にするためです。しかも上達すれば、目的地に着くまでの行程も楽しくなってきます。同じく良い行いをして日を過ごすことは、人生を輝かす最良の選択なのです。
キリスト教葬儀の5つの目的
私が最初に牧会した東京葛飾区の新小岩教会時代に、キリスト教葬儀社のナザレ企画に葬儀の研修をしていただいたことがあります。その時の資料には次のように葬儀の目的について書いてあります。
『キリスト教葬儀が他の宗教と異なる重要な点は「復活の希望」を確認し合うことにあります。悲しみの涙をいやし、死に打ち勝った主イエス・キリストの贖いに感謝して、再び会いまみえることを待ち望む信仰を確認することです。』
それでは葬儀の5つの目的を確認していきましょう。
1)神礼拝であること
葬儀とは、私たちの罪の結果として受けなければならない死を「絶望的な死」から「希望の死」に変えて下さったイエス・キリストの十字架を想起する時。また罪と律法(違反)を全て取り去って下さり、神の救いの中におらせて下さることに対して感謝と賛美をささげ、勝利を宣言する時です。それがキリスト教葬儀です。(Ⅰコリント15:20、へブル9:23と28、同11:13-16)
そのため、死者崇拝につながる全ての儀礼的なことを避けることも重要です。具体的には…
・写真、遺体、骨に対して拝礼する行為を避ける。遺影なども正面に設置しない。供え物をしない。
・葬儀参列で身が汚れるとの理解に立たない。汚れを祓う清めの塩や弔辞などの用語を避ける。
2)遺族に対して、慰めと励ましを神に祈る「とりなしの場」であること
キリスト教葬儀を通して私たちは神様の憐れみとは何であるか、真の慰めとは何かを思い起こす時とします。そして死の悲しみを支えて下さる真の神様を仰ぎ、自らの生と死について考え、遺族に寄り添い、共に祈る時とします。
3)遺体を丁重に葬る式であること
人生は常に自分だけの力で生きていくようにできてはいません。生まれる時や葬儀は特にそうです。自分以外の協力者が不可欠です。人生最後の業とも言える遺体の葬り、それは本人に代わって心を込めて神様に遺体をお返しする葬りの礼拝儀式なのです。
4)召天された方の「信仰の証しの場」であること
キリスト教葬儀においては、生前の本人の功績や名声よりも、キリスト教、あるいは教会との出会いが、いかなる人生の祝福をもたらしたのかを想起し、分かち合うことを大事にします。関係者からの思い出を通して分かち合うもよし、本人の証を事前に用意しておくのもよし。葬儀は故人とその関係者が神様に心をこめてお仕えする貴重な場にもなります。Ⅱテモテ4:6-8
5)キリスト教の死生観と死後の世界が現在の希望につながる「伝道の場」であること
キリスト教葬儀は、キリスト教の最重要教義に触れる貴重な機会になります。多くの人が口にするのは、クリスチャンになって死が怖くなくなること。また、死後の世界が楽しみになったという変化についてです。死後の世界が正しく認識できるようになる時、試練に満ちた人生も、かけがえのない神様からのチャレンジタイムに変わります。伝道とは、人生がキリストによってどうプラスに転じたかを各自の言葉で伝えることです。キリスト教葬儀は愛する者との離別を悲しむだけでなく、共に希望を持ち、励まし合う伝道の場になるという特徴があります。
今、できる時に備えていくことの大切さ
葬儀の備えはできるだけ死期が迫っていない時期にすることが肝心です。病気や事故などで入院すると、葬儀の方法やお墓、相続などについて本人に確認するのが難しくなります。また、自分の考えを家族や教会に伝える健康状態でなくなってしまうこともあります。葬儀が少しでも神様に喜んでいただける最後の神奉仕となるように、関係者の理解を事前にとっておくことをお勧めします。この機会に取り組んでみてはいかがでしょうか。
2025年9月7日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「キリスト教と葬儀① 葬儀への備え」
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