奇跡を信じる根拠② 復活
- 2025.11.15
- 目からウロコの聖書
- コリント人への第一の手紙, 召天者記念礼拝
コリント人への第一の手紙15章12-15,20-22節(276p)
12節 さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。13節 もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。14節 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。15節 すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。
20節 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。21節 それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。22節 アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
はじめに
今月は教会設立60周年の節目を迎えています。この機会に、時代が変化しても決して揺らいではならないキリスト教信仰の要、また聖書の中心概念である「十字架」と「復活」と「処女降誕」についてみことばに聴いています。これらは常識からすれば現実離れしている内容ばかりですが、これらの奇跡こそキリスト教の必須概念であり、信ずべき内容であることを再確認したいと思います。また、それを信じるだけでなく、異を唱える人には反論し、それを信じるべき理由と聖書的根拠を示すのが今回の宣教シリーズです。本日の召天者記念礼拝にふさわしい主題として「復活」を取り上げて宣教を行います。
復活が実際に起きたかどうかについての議論は最初期のキリスト教成立時から存在してきました。前回宣教時にパウロ自身が十字架刑の事実と復活の事実について疑念を持つ人々にどう反論したかをお伝えしました。理解を深めるために前回宣教原稿、あるいは礼拝のネット配信動画をご参照ください。これに引き続き、現代のキリスト教会において復活について疑義が出されていることについても理解を深めていきます。それを理解した上で復活を事実として信じる意義について共に考えてみましょう。
四福音書を重視し、パウロ書簡を軽視する現代キリスト教会の拡大傾向
近代に入って特に一部の教会・教派において処女降誕や復活を文字通りに解釈しないで聖書を再解釈する動きが活発化してきました。近代に入ってからの性差別撤廃・ジェンダー問題等と合わさって、次第にキリスト教界において支持を拡大しつつあります。これに乗じてこの潮流に否定的内容が多く含まれるパウロ書簡を軽視する聖書理解が拡大しているのです。この問題が米国共和党と民主党の大統領選における勝敗にも大きく影響するほどの事態になってきていることをご存知の方もおられるかと思います。
この議論は決して単純ではありません。皆さまには慎重に熟慮を重ねていただき、拙速に結論を出して片方の立場を唯一の正義だと主張したり、自分の理解と反対の立場の人を見下すことがないように願っています。
今回のシリーズはこれらの議論について各自が判断する上で最も基本となる信仰理解が含まれています。この機会に是非キリスト教の根幹に関わる信仰理解である復活について理解を深めていただければと願っています。
復活の事実抜きに十字架以後のキリスト教の歴史は語れない
一部復活の事実を否定する人々は、四福音書で最初に書かれたと考えられているマルコによる福音書がキリストの十字架刑後三十年以上経ってから書かれたこと。また、そのマルコ福音書においてはいくつかの写本に復活の記述がないことを理由に復活の事実を否定しています。
しかし、新約聖書の中でマルコ福音書よりも二十年ほど早くから書かれたのが一連のパウロ書簡であり、パウロの同行者ルカが書いた使徒行伝です。それらの書には、キリストが復活したのは事実だという大前提で福音宣教が展開していることを確認できます。使徒行伝2章に登場する世界で最初の福音宣教とされるペテロの聖霊降臨日における宣教でも復活を明確に事実として主張しています。神が罪をあがなうためにひとり子イエスをこの世に送って下さり、人類でただ一人一度も神に対して罪を犯さないで十字架刑で息を引き取ったのがキリストだと主張しました。だからこそ、彼を信じ、罪のあがないを心から望む者に罪の赦しと罪の呪いからの解放が可能だと人々に伝道したのです。それを証明し、確信する出来事がイエスの復活という常識では決してあり得ない出来事なのです。
今一度考えてみましょう。弟子たちが命を惜しまずにイエスこそ人類の救い主であり、自分たちはイエスの復活を目の当たりにしたと伝道しだしたのは十字架刑からわずか50日後のことでした。イエス様同様にまだユダヤ人当局から危険視され、命を狙われていた弟子たちでした。そんな彼らが自分の命も顧みずにイエスが復活したとイスラエル中、世界中に伝道していくのです。これこそ非常識中の非常識です。しかし、その主張が現代まで続く二千年間キリスト教の中心的な主題なのです。この内容こそ現代まで殉教の死を遂げた数えきれない人々の確たる信仰の中心理解なのです。
召天者記念者を覚えて
当教会では以上語って来た復活信仰を大切にしてクリスチャンとして生きてこられた方々と、それらの方の特別な関係者を一緒に覚えて記念礼拝を捧げています。キリストもあらゆる人間を分け隔てせずに、各人と向き合うことを大切に生涯を過ごされたお方でした。この召天者記念礼拝には互いに国籍、身分、主義主張、信仰理解が異なる者達が共に故人を覚えて出席しています。これは他の宗教の召天者記念会や無神論者の記念会でもあり得ることかもしれません。ただし、キリスト教会において召天者記念礼拝が行われる時は、全人類にとって神との和解の妨げになっている罪とその呪いを永遠に解決することのできる救い主としてイエス・キリストの唯一無二の役割を特に大切にしているという特徴があります。
なぜ、死後の世界で再会の希望があるのか。もし死後の世界がこの世とさほど変わらず、この世界同様に裏切り、呪い、苦しみ、病気、災害などの様々な悲しみに満ちているとすれば、そこにどのような慰め、希望があるのでしょうか。
これに終止符を打つために神様は御子を通して人類を死とその呪いから救う方法を示し続けて下さっているのです。この希望があるゆえに我々は愛する者達とのしばしの別れを悲しみつつも、互いに慰め合い再会できる希望に生きるのです。
『戦場のアリア』というフランス映画をご存知でしょうか。1914年フランスとスコットランド連合軍対ドイツ軍との戦争映画です。戦闘が繰り広げられる中、クリスマス・イブの一夜だけ休戦協定が結ばれるという奇跡がおきます。敵同士の将校を皮切りに両陣営が酒を酌み交わし、家族写真や身の上を語り合い、同じ人間であることを確認しあいます。これは事実に基づいて作成された映画です。二千年前にこの世に誕生したイエス・キリストという存在が奇跡の停戦と一夜の敵同士の交流を実現させたのです。互いに情け容赦なく殺し合うような究極の現場に輝いた希望の光。そこには現代の様々な紛争解決の糸口が秘められているように感じます。
本日はイエス・キリストが導かれた人生におけるかけがえのない人々との出会いを感謝する場です。また再会の希望が与えられていることを立場や宗教を超えて互いに大切にできる日であると思います。神様が与えて下さった人生における家族、友人、出会いに改めて感謝して本日の宣教を終わります。
2025年11月9日(日) 北九州キリスト教会 宣教題
「奇跡を信じる根拠②復活」
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