十二弟子のアンデレ① 出会いのはじまり
はじめに
今月は十二弟子の一人、アンデレに焦点を当て、関連箇所を取り上げながら、イエスの弟子の個性の豊かさに学ぶ。今回はアンデレがどのようにイエスと出会ったのか。12弟子の中では恐らく最初期に特別な出会い方をしたアンデレ。彼と今回の聖書箇所の著者であるヨハネとは、元々バプテスマのヨハネの弟子であった!それがバプテスマのヨハネの一言で人生が大きく変わっていくことになる。そんなアンデレとは、どのような人物だったのか。
ヨハネによる福音書1章35~40、41~42節前半(口語訳新約聖書 136p)
40節 (バプテスマの)ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。…
きっかけとなったバプテスマのヨハネの言葉
35節 その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、36節 イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。37節 そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
今回の箇所はアンデレとヨハネの二人が師であるバプテスマのヨハネと一緒にいたと伝えている。彼らがそれなりにバプテスマのヨハネと近い関係にあったことが見て取れる。そんな彼らにイエスを見て「見よ、神の小羊」と表現したバプテスマのヨハネ。小羊は犠牲の献げ物となる動物。なぜ、イエスをそのように表現したのか、彼らは興味をそそられて師を後にしてイエスについていくことになる。
イエスとのはじめての会話
38節 イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、「何か願いがあるのか」。彼らは言った、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか。
…彼らなりに関心があることを伝える…
39節 イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった。」
この出来事がいかに彼らにとって人生の一大転機になったかを表す表現方法として、イエスとのかけがえのない人生が開始した時間が記録として語られている。午後4時ごろだったとある。それから翌日まで、彼らはイエスと特別な時間を過ごしたことは言うまでもない。すべてのクリスチャンがうらやむであろうイエスとの一泊二日の宿。お金では手に入らない最高の時間を過ごした彼らであった。
「百聞は一見にしかず」という言葉があるが、アンデレはその大事な一歩を踏み出すことによってイエスと出会うことができた。師のヨハネからイエスのことを聞いた人々は他にもいたはずである。しかし、聞いただけでは本当の出会いは始まらない。イエスについて聞くことと、イエスを知ることとは天と地との差が存在する。イエスを知るために、イエスの懐に飛び込む覚悟と行動力がアンデレにはあったのである。クリスチャンになる時、だれもが必要となるものである。
アンデレがさっそくしたこと
翌日アンデレは兄のペテロにこの特別な体験を伝えることになるのだが、その時にアンデレがどのようにイエスのことを伝えたかに注目したい。
41節 彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。42節 そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。
アンデレがイエスと別れて、最初にしたこと、それは家族(兄弟)にイエスこそメシヤ(キリスト=救い主)と話す(伝える)ことだった。しかも、それで終わらなかった。彼はそれだけでは不十分だということを実体験で理解していた。「イエスについて」なら彼自身も師から聞かされていた。大事なのは「イエスを知ること」。そこで彼はイエスを他の人に紹介するだけでなく、イエスと実際に出会うことができるようにペテロを導いた…。こうして大切な家族が救われていくことになっていくのである。
アンデレの一連の覚悟と行動があった結果、最初は兄のペテロに始まり、イエスを実家に招くまでの関係を築き上げることになっていく(マタイ福音書8章14-15節参照)。その甲斐あって、ペテロの家では彼のしゅうとめの熱病が癒され、彼女がすぐにイエスの一行をもてなしたことが語られている。はっきりとは書いていないが、しゅうとめもこのことがきっかけでイエスに従う者となったことは、彼女の直後の行動で容易に想像できる。
メシヤとの出会いを体験する大切さ
イエスの一番弟子にも、側近の三弟子にもなる可能性が十分あったアンデレ。しかし、彼はその人選から漏れてしまった。このアンデレに共感を覚える人も多いのではないか。だれもが、特別に扱われたい。最初に弟子になったのは二組の兄弟…ペテロとその弟アンデレ、ヤコブとその弟ヨハネだったが、先にイエスに出会ったアンデレが三弟子から外されてしまう。どこかこの世の出世街道からいち早く脱落したように映るアンデレに、共感するわたしがいる。
しかし、アンデレは人の評価や自己実現よりも大事なことがこの人生にはあることを理解した。彼自身の人生を変えたイエスとの出会い。この出会いを一人でも多くの人に自分なりの仕方で引き合わせていくこと。イエスはそんな彼の強みを見抜いておられたのかもしれない。イエスは、いつも自分のそばに置いておくよりも、アンデレに自由に行動させ、他の人をイエスの元へ連れてくる役割に期待したのではないだろうか。
忍耐(強く関わることの大切さ)
実は今回の箇所の直前を読むと、バプテスマのヨハネがそれ以前にも繰り返しイエスのことを人々に解き明かしていたことが伺える。アンデレも聞いていたはず。だれもが、イエスのことを聞いてすぐに弟子になるというわけではない。今回の箇所でも、アンデレは兄や家族にイエスのことを伝え始めたとあるが、すぐに弟子になったわけではない。実際に弟子となるのは、マタイ福音書4章18節等が伝えている通り、イエスから「私に従って来なさい」と海岸で家業をしていて呼びかけられた時からであった。
イエスはだれよりも忍耐強いお方。喜んで私たちの人生の疑問と問題に向き合って下さるお方。しかも、人生を最高に価値あるものとなるように導いて下さるお方。そして、「私に従って来なさい」と個人的に呼びかけて下さるお方である。
あなたはこれまでイエス・キリストとどのような出会いを体験されただろうか。アンデレのような体験はあっただろうか。イエスとの出会い方は人により、千差万別。しかし、イエスに希望を置き、従う者を、イエスは最後まで責任を持って導き続けて下さる救い主。あなたもイエス・キリストの弟子、すなわちバプテスマを受けてクリスチャンになってこのことをご一緒に体験してもらいたい。人生の長さは決まっている。アンデレのようなイエスとの関わりの期間が長くなることをお祈りする。
祈り)アンデレの覚悟と行動力を実践して生きることができるようにお導き下さい。アーメン
2023年11月5日(日)北九州キリスト教会宣教題
「十二弟子のアンデレ・出会いのはじまり」
礼拝動画は下のリンクからご覧ください。
https://www.youtube.com/live/U22sVR82mPQ?si=p6HQ8o-F5WL9iYpM
-
前の記事
ユダヤ教の秋の祭りⅣ 律法の歓喜 2023.11.23
-
次の記事
十二弟子のアンデレ② 終末への興味 2023.11.30