命を狙われ続けたイエス
マタイによる福音書2章19~23節(3p)
19 さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、20 「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。21 そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。22 しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。
イエスの過酷な生涯の始まり方
前回確認したように、イエスは生まれた後、すぐさまヘロデ大王によって命を狙われ、エジプトに一時避難しなければならなかった。そして、今回の箇所ではその後、大王が死んだとの知らせを受け、イスラエルに戻ってきたイエスと両親であった。
しかし大王の息子アケラオが父親に代わってユダヤを統治していることが分かる。イエスはその生涯の終わりだけでなく、その生涯の始まりでも命を狙われ、命の危機が続いたのである。
そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、23 ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。
ガリラヤ地方のナザレで育つこととなるイエス
イエスの同世代の子どもたちが大量に殺されて、まだ数年しか経っていない時期だったので、ユダヤ地方に戻ると、すぐに怪しまれることになると両親が不安になったとしてもおかしくはない。そんなイエスと両親のために再度天使が現れ、ナザレの町に行って住むように夢でみ告げを受ける。
ナザレはガリラヤ湖南端から西15㎞ほど行った小高い場所にある町。ガリラヤ全体が異邦人が多い町だったので、あまり目立たないで家族で生活できたものと思われる。やがて歴史の表舞台に登場するまで、イエスはそこで育つことになる。
12歳の時まで毎年過越しの祭のためにエルサレムに上京していた家族
ルカ福音書2章によれば、毎年イエスが成人する12歳までは少なくとも家族でエルサレムに上京していたことがわかる。特に成人年齢を迎える12歳の時には、神殿の境内でラビたちに鋭い聖書の質問をし、いかに聖書に精通していたかが伺える内容となっている。イエスは聖書と真剣に向き合って生きてきたことが表現されている。背後には両親の普段からの聖書教育があったことも推測できる。
子どもがそれなりに多かったであろうヨセフ一家にとって、毎年エルサレムにいくことはかなり大変だったのではないかと思われる。それでも、ヨセフとマリヤはイエスが神様からの特別な使命が与えられている子どもだということを理解し、できるだけイエスをエルサレムに連れて行ったのではないだろうか。
一家の大黒柱として早くから大工をしていたと考えられるイエス
聖書には明確に語られていないが、イエスが成人して数年後、父親のヨセフは死んでイエスが家業を継いで家族の生活を支えたと考えられる。マタイ福音書13章55節に、ナザレの住民がイエスのことを次のように表現している。
「この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。」と…。当然出てくるはずの父親の名前がないということは、人々の脳裏からその記憶がすでに遠のいていたことが推測できるのである。
およそ30歳で宣教活動を開始するまで、父親不在の家族を支えながら人一倍様々な人生の苦労を体験しながら成長していったイエスの姿が伺い知れるのである。
ユダヤ人は子ども教育に熱心な国民
子どもを教育する学校制度はユダヤ教から始まったと言われている。その中心には聖書教育があったようである。神が導かれた歴史の教訓から神の言葉を子孫に伝えることの重要性を学んだイスラエルの民。イエスの時代も両親が熱心にイエスと兄弟たちを教育したのかも知れない。父親が亡くなってからは、イエスが弟や妹たちに聖書を教える役目も果たしていたのではないか。だから人一倍神の言葉に対する洞察力や知恵も磨かれていったのではないだろうか。
学んでは教えること。それが何かを身に着けていく最善の方法だとよく言われる。イエスはそうせざるを得ない環境に置かれ、人に聖書の真理を伝える力が養われていったのではないかと考えられる。別の言い方をすれば、そのように成長できるように導かれたのではないだろうか。
世界の子どもたちのために祈る
今、世界には様々な事情で教育をまともに受けることができない子どもたちが無数に存在する。貧困、虐待、病気、戦争、災害など…。それらの子どもたちに人道的な支援とイエス・キリストが与えて下さる聖霊の祝福が速やかに届くように祈りたい。
また、私たちも子ども教育はもちろんのこと、いつどのような時にも、他の人に聖書の中心メッセージを伝えることができるようでありたいと願わされる。クリスマスは多くの人が教会に目を向ける時期、この機会に一人でも多くの人がイエス・キリストにますます近づけられていくことを願う。
隣接するナオミ愛児園で、昨日三つの時間帯に分けて親子クリスマス会が行われた。そこでクリスマスのお話をさせていただき、子どもたちは練習してきた演奏、歌、クリスマス劇などを一生懸命に披露した。このような働きを通しても、地域の方々にイエス・キリストの福音が伝えられていることに感謝したい。この時期、ナオミ愛児園を始め、北九州、そして世界中のキリスト教系の学校でクリスマスイベントが行われる。これらの行事が神に豊かに祝福されるように共に祈っていこう。
2023年12月10日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「命を狙われ続けたイエス」
礼拝動画は下のリンクからご覧ください。
https://www.youtube.com/live/aFx3d2NcRDs?si=nWHmEotMjF9pSKXT
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