イエス様の招きに初代の弟子たちがどう応答したのか。私たちは、使徒行伝第2章に語られている、世界最初の大伝道集会での福音宣教の言葉に耳を傾けてまいります。本日は、聖霊降臨日(ペンテコステ)を覚えて献げる礼拝です。あの聖霊降臨の日に、一体何が起きたのでしょうか。私たちには、聖霊についてよくわからないことが多く存在します。しかし、使徒行伝第2章はこれらに対して明確な答えを持っています。今回の箇所にも、重要な聖霊の働きが語られています。これからひとつずつ、み言葉をひも解いてまいりましょう。
イエス様の大宣教命令は、この二千年間、全世界で受け継がれてきました。イエス様が弟子たちに託された内容は、現代に至るまで宣教の中心課題を明示しています。この短い言葉の中に凝縮された福音宣教のエッセンスを、さっそく確認していきましょう。
イエス・キリストが復活された日曜日の朝から、天に挙げられる(召天)までの40日間、イエス様は度々、弟子たちの前に姿を現されました。もはや時間や空間の制約から解放された「復活の体」へと甦られていたのです。それは、数々の奇跡を目の当たりにしてきた弟子たちの想像をも絶することでした。イエス様は以前、マグダラのマリアたちに「ガリラヤで再会しよう」と約束されましたが、いざその時を迎えても、復活を信じることは弟子たちにとってさえ容易なことではありませんでした。
クリスマスの時期によく教会で語られるのはイエスの降誕物語、羊飼いたちや東方の三人の博士たちの物語です。しかし、もう一組忘れてはならないのがイエスの父と母です。今回はクリスマスの時にあまり取り上げられることのないイエスの父ヨセフと幼子のイエス親子が人知れず背負った十字架に焦点をあてたいと思います。イエスの降誕物語の箇所にどのような十字架が描き出されているのか早速聖書に聞いて参りましょう。
今月、北九州キリスト教会は今月は教会設立60周年の節目を迎えています。この機会に、時代が変化しても決して揺らいではならないキリスト教信仰の要、また聖書の中心概念である「十字架」と「復活」と「処女降誕」についてみことばに聴いています。これらは常識からすれば現実離れしている内容ばかりですが、これらの奇跡こそキリスト教の必須概念であり、信ずべき内容であることを再確認したいと思います。
今回のシリーズでは私たちが住む地上世界がどのように終わりを迎えていくかについての聖書の預言を見ています。聖書は最終的な新しい天と地が実現する前に、大きく分けて3つの特筆すべき段階があると教えています。7年間の大患難時代、千年王国、そして最後の審判です。今回は7年間の大患難時代とそこに突入する時に起きる可能性が高いと考えられている携挙とキリストの再臨についてみことばに聴いていきます。
前回シリーズでは葬儀関連と死んだ直後の人間の魂について学びました。次の関連主題として、今回は私たちが住む地上世界がどのように終わりを迎えていくかについての聖書の預言を見ていきます。聖書は最終的な新しい天と地が実現する前に、大きく分けて3つの特筆すべき段階があると教えています。7年間の大患難時代、千年王国、そして最後の審判です。その最初である「7年間の大患難時代」に突入するまでに起きることについてイエス様は次のように弟子たちに語りはじめました。
キリスト教と葬儀に関する3回シリーズの第1回は葬儀への備えでした。今回の第2回は葬儀とお墓について、そして次回の第3回は死後に起きることをテーマにお届けします。日本は神道、仏教を始め、様々な宗教が混在する国です。異なる葬儀や死後の世界についての考えが存在する国に生きる者として、どのようにこれと向き合っていけばいいのでしょうか。また、どのように自分や家族の葬儀に備えて行けばいいのでしょうか。この機会に理解を深めていきましょう。
キリスト教ならではの教え、第七回目(シリーズ最終回)はすべての人にとってハードルが高い教えを取り上げます。人間は自己正当化する生き物です。アダムとエバも神が定められた正義の基準に背いた時、まっさきにしたのが自己正当化、言い訳でした。自分の非を認めて謝罪するよりも、他人のせいにしたのです。聖書はこの領域に鋭くメスを入れます。最終回はこの問題にどう向き合い、キリストに習うように導かれているのか、みことばに聴いていきましょう。
キリスト教ならではの教え、第四回目は主の晩餐に関係する聖句です。イエス様が十字架にかけられる前の晩、弟子たちと行った主の晩餐の中で「新しい契約」について言及されました。なぜ、イエス様が流す血が新しい契約になるのでしょうか。そもそもどのような「古い契約」があり、それがどのように新しくされるのでしょうか。