マタイによる福音書

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復活に先立つ出来事

イエスが十字架の上で息を引き取った時にマタイは何が起きたと伝えているのでしょうか。そこに十字架と復活を理解する上で大切な内容が語られています。イエスが息を引き取ったのは金曜日の午後3時過ぎ。この直後に起きた出来事の中になぜか53節で復活の後に起きた出来事が間に語られています。マタイが伝えようとしたことを黙想する時、復活理解が深まることになります。

十字架のイエスの叫び

イエスは十字架につけられる前の晩にゲッセマネの園で弟子たちと祈っていた時に捕えられ、不当な裁判にかけられて翌早朝に十字架刑が確定します。その間、様々な侮辱を受け、度々暴力を受けたイエスでした。8時頃に十字架を背負わされてドロローサ(苦しみの道)の上り坂をゴルゴタ(頭蓋骨)の丘へと向かいました。到着すると両手首と両足首に太さ1㎝、長さ10㎝はあったであろう太い釘で十字架にはりつけにされました。午前9時頃のことでした。十字架に吊るされると、呼吸が苦しくなるため、体を持ち上げざるを得なくなります。その度に極限の痛みが手足に生じるのが十字架刑。激痛に耐えるイエスの傍らであざける群衆。永遠に続くように感じる3時間が経過して昼を迎えてからが本日の箇所となります。

ラクダが針の穴を通る方法

今回の箇所の主題は、人はどのような条件を満たせば神が用意しておられる天国に行くことができるかという問いへの答えであった。イエスはこの問いに逆説的に答えられた。つまり、どういう人が天国に行くことができないのかを先に説明されたのである。その答えは当時のユダヤ人の常識とも、現代の多くの人々の常識とも違っていた。

ヨナとイエスの共通点

今月11月はマタイによる福音書の講解説教から離れ、聖書の中で話題や議論になる箇所を取り上げる。また、今月は行事が目白押しになっている。召天者を覚える礼拝。子ども祝福。世界祈祷週間など。それらの行事に関連した聖書箇所となるようにも配慮したい。今回の聖書箇所はどのように話題になるのか、さっそく内容に入っていこう。

断食の作法

 主の祈りシリーズが終わった直後に断食の教えが続く。実は主の祈りの直前で取り上げた施す時の教えと祈る時の教えとが3点セットになっている。この三つに共通していることに注目すると共に、同時にこの三つの教えを通してイエスが何を強調しているのかについて合わせてみことばに聴いていく。

赦すことと赦されること

主の祈りの第四番目「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」について大事なことは、主の祈りシリーズの「赦されるための作法」で語らせていただいた。今回はこれを踏まえて、あなたが相手の言葉や態度などで不当な扱いや差別、傷つくような思いをした場合。または自分の大事にしている生き方や価値観を否定された時、軽んじられた時など、特に赦す側の心得について理解を深めていきたい。

主の祈りの結びのことば

前回までで主の祈り5回シリーズを終えた。しかし、礼拝で唱える主の祈りには結びのことばとして最後に頌栄を唱えている。これはいつ頃から採用されたものなのか、そしてこの部分はどのような信仰を込めて唱えたらいいのか、今回はこの頌栄部分の理解を深めたい。

誘惑への対処法

 主の祈り(5回シリーズ)も今回で最後となった。今回のシリーズの特徴は、弟子たちが主イエスと共に祈った祈りと言う前提に立って聖書解釈を試みた点にある。他の解釈としてイエスが弟子たちにどう祈るかを教えたとする方法もあるが。前者の場合は、毎日主イエスの祈りに合わせて祈ることになる。そして祈りの内容が難しければ難しいほど、主イエスと一緒に祈ることで励まされるからである。  イエスが最後に持って来た5番目の祈りも、これまで同様に単純な祈りではない。短いが、含蓄のある祈りである。今回も聖書の文言と礼拝の時に唱和する文言との違いを比較しながら理解を深めていこう。

大学時代の一大転機(牧師による証し)

  私は父が西南学院大学神学部を卒業し、兵庫県明石市で開拓伝道を始めた次の年に生まれた。1963年のこと。多くの人が人生の途中でキリスト教と出会い、教会に行くようになるのに対して、私は教会もキリスト教も人生の一部としてスタートしたのであった。

赦されるための作法

「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」 これまで多くのクリスチャンからこの第4番目の祈りを唱えるのに困難を覚えるとの訴えを聞いてきた。その理由は、祈る側が先に罪を赦すことが自分の罪を赦される前提条件のようになっているからである。ところが我々は他の人から悪質な被害を受けた場合、なかなか赦せないのである。果たして第4番目の祈りの意味は実際にはどんな意味なのか。

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