ナザレ人イエス

じめに

前回より、世界最初の大伝道集会で語られた福音宣教の言葉に耳を傾けています。ペテロが聖霊に満たされ、聖霊主導で語った説教は、あらゆる時代のすべての説教者の模範です。イエス様が生前、弟子たちに指示した伝道は、神の国が到来したと宣言することでした。そして、それを証明するために、神様から遣わされた使者でなければ到底できないと思えるような奇跡や特殊能力を授けました。これを実行するに当たり、具体的な指示も与えました(マタイ10章参照)。伝道対象者を限定し、病人を癒し、死んだ人を生き返らせ、当時流行していた深刻な皮膚病を癒し、悪霊を追い出すことを命じました。また、身なりや持参物、どこに滞在し、人々の反応次第でどう振舞うかに至るまで、詳細に伝道方法を教えたのです。現代でも、インドのサンダー・シング師や中国で「天国の人」と称されるリュー・ツェニン師の伝記などを読むと、聖霊主導の伝道は、現代でも可能だということを知らされます。

一方で、聖霊降臨日の伝道と説教にも、大きな変化が起きていました。すべては聖霊主導で事前準備が行われ、ペテロが聖書も持たずに的確な聖書箇所を引用し、弟子たちが神の御業を多言語で語っていた理由を説明してみせました。本日は、さらにその説教の中心内容を吟味していきます。そこにも現代の説教が失いつつある福音があることに気づかされます。

ナザレ人イエス

使徒行伝2章22-24、36節(新約182p)

22節 イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった

ペテロが強調したことの一つが、イエス様がナザレ出身だということでした。「ナザレ」は、切り株の若枝や芽に由来する言葉です。また、ナザレはぶどうとワインの産地としても有名でした。これがどのようにイエス様と結びつくのかはメシヤ預言として有名なイザヤ11章1-12節と深く関わります。そこにダビデ王の父にあたるエッサイの子孫からメシヤが登場するとあるからです。しかも、1節「若枝が生えて実を結び」、2節「主の霊がその上にとどまる」という内容が語られています。10-12節には「その日…もろもろの国びとはこれに尋ね求め…イスラエルの追いやられた者を集め…地の四方から集められる。」という内容は、聖霊降臨日の出来事と重なります。ペテロは聖霊に導かれてこのように「ナザレ人である イエス」を結び付けることによってイスラエルが待望していたメシヤこそイエスであり、そこに集められた人々が目の当たりにしているのが、まさに預言の成就だと明言したのです。

大木が切り倒され、そこには無残な「切り株」だけが残る。人間の目には、それは「死んだもの」に見えます。しかし、小さな緑の「若枝(ネツェル)」が、やがて顔を出します。その小さな若枝の中にこそ、かつての大木をはるかに凌ぐ、神様の「命のDNA」が詰まっていたのです。ナザレという小さな村から現れたイエス様は、まさにその「若枝」でした。人間の目には無力で小さく見えたナザレの若枝が、やがて豊かなぶどうの木となり、その命のワイン(御言葉と聖霊)を、地の四方に相当する私たちにまで溢れんばかりに注いでくださっているのです。

メシヤの死は預言の中に織り込み済みだった

ペテロは引き続き、非常に厳しくも、希望のある言葉を会衆に投げかけました。

23節 このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した

当時のユダヤ人たちは、メシヤが到来した時には、過去の歴史を凌ぐイスラエルの繁栄が回復する時代を迎えると思い込んでいました。そのため、メシヤが殺されること、ましてや呪いを象徴する十字架刑で命を奪われるなどと、微塵も考えていなかったと考えられます。そこで、ペテロはメシヤが殉教の死を遂げることもまた、神様のご計画の中に織り込まれていて、これに関する預言が存在することを宣教の中で語ったのです。次回取り上げるダビデ王の預言箇所(詩編16編等からの引用)もこれを補完しています。すべては神様の壮大な人類救済のシナリオに従って進んでいることを大胆に語ったペテロでした。

神の救いの御業

24節 神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。~36節 だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。

このイエス」とは、「神は救い主」という意味を持つ、ダビデ王の子孫にして、旧約聖書に預言されているメシヤ=救い主=キリストであることを強調しました。そして、これを決定的な仕方で証明するために、ダビデの預言通りに死からの復活を遂げたと語ったのです。これほどまでに聖書の預言通りのことがその身に実現しているお方が、キリストでないわけがないと語ったのです。そして、神様が預言者を通して事前に聖書を通してお語りになっていたメシヤを十字架に付けたのは、他でもない「イスラエルの全家」にして「あなたがた」だとペテロは自覚を促したのです。

しかし、神様が真に望んでおられたのは、これまで人々が間違ったメシヤ理解と聖書理解をしていたことを悔い改め、真実の福音に目覚めることでした。
ここに一つの例話を紹介します。『ペルシャの有名な絨毯(じゅうたん)の工場では、熟練したマスター(織物師)のもとで、まだ若い見習いたちが裏側から糸を織り込んでいきます。時に見習いの子どもたちが間違った色の糸を織り込んでしまったり、大きな結び目のミスを犯したりすることがあります。彼らは青ざめて「台無しにしてしまった!」と泣きそうになります。しかし、表側で全体をコントロールしているマスターは、決して慌てません。彼はそのミスを怒るのではなく、その間違って織り込まれた暗い色の糸さえも上手に活かして、当初の計画よりもさらに深みのある、美しい見事な模様へとその場でデザインを変えて織り上げてしまうのです。
ユダヤの人々や不法な者たちがイエス様を十字架にかけたのは、人間側の犯した最悪の過ちであり、大失敗の闇に見えました。しかし、神様という偉大な織物師は、その最悪の闇の糸さえも、最初からの「壮大な救いのシナリオ(予知とご計画)」の中に織り込んでおられました。そして復活という、人間の想像を絶する最も美しい輝きをもって、この世界を救うデザインを完成させてくださったのです。』

次週以降も、聖霊がペテロたちを用いて、どのように人々を導かれて行かれたのかを見ていきます。神様は私たちの過ちさえもご計画の中に織り込んで下さる救い主なのです。私たち一人一人の人生にダイナミックに関わり続けて下さっている主に感謝し、今週も歩み出していきましょう。

2026年6月28日(日)   北九州キリスト教会宣教題
「ナザレ人イエス」

礼拝動画は北九州キリスト教会のホームページからご覧いただけます。