洪水前の世界② 地上の堕落に心を痛める神
災害が頻発している現実世界のただ中で聞く神のことば
新年早々北陸で起きた大災害。あるいは世界各地で起きている深刻な紛争。その直後に語るのが非常に困難な今回の箇所。大洪水で滅んでいく世界を題材にしているノアの箱舟物語。直前箇所とは言え、ノアの洪水物語で語られる一度切りの地球規模の大洪水と、世界で頻発する地震や洪水とは別物であることを断っておきたい。
今もなお大きな苦しみと困難の中にある被災された方々の上に神の憐れみによる速やかな助けと励ましを祈るばかりである。
この世の現実に、だれよりも心を痛めておられる神
創世記6章5~10節(7p)
5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。6 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、…
創世記1章の22節と28節によれば、神が生き物と人間を造られた時の神の言葉は以下の通り、彼らを祝福する言葉であった…
22節 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。
28節 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ(「人間が地上の生き物の繁栄に責任を持て」との意味)。
また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ(「人間が神から与えられた特別な能力を駆使して管理せよ」との意味)」。
…神の願いは創造物が神の祝福の中で地上に豊かに増え広がることであった。
ところが、最初の人類が神の祝福を軽んじて生きる選択をして以来…これを人間の根源的な罪だと聖書は語るのだが、この罪こそ人類すべてに当てはまる罪だということを我々も自覚することが求められている。
そこでまず「神から明確な人生の目的を与えられてこの世に誕生した」ことをわきまえること。次に、人生の目的を達成するためには「神の定めた祝福の中に生きること」が必要不可欠だということをわきまえること。
これを主の祈りの中では「日毎の糧」と表現して、これを自覚しながら祈ることを励ましている。そして、神がみ子イエス・キリストを遣わし、十字架にかけてあがないの死を遂げさせてでも、与えたいと願われた神の特別な祝福の中に生きよと呼びかけているのである。
人間はこの神との祝福の関係を軽んじたため、人も生き物も争い合い、自己利益と自己保身を優先して生きるようになったと聖書は説明しているのである。
神はあらゆる生き物の内面まで見通すことができるお方。我々の内面の醜さとはいかほどであろう。確かなことは、絶対に他者には見られたくないと誰もが思っている過去や現在の自分が存在するということ。だからこそ、かつてはノアを通して神は先の人類に警告した。
洪水で滅んだ後にまたもや堕落した人類に対して、神は今度はイエス・キリストを通して究極の救いの道を示し続けておられるのだが、この神の思いと真剣に向き合っていない現実が世界中にある。しかし、次の節のように、神の憐れみと忍耐は、神の祝福を拒み続ける者には永遠には続かない。
神の祝福を軽んじた人類の責任
7 「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。
実は神が創造したことを悔いたのは人間だけではなかった。人間が罪を犯した影響はあらゆる地上の生態系をゆがめ、生き物の中には草食から肉食に転じる生き物も出始めていたことを物語っている。生物界の頂点に立つ人間が、神に背いて生きることがどれほど負の影響を全世界に与えたかが語られている。
5節冒頭で「人の悪が地にはびこり」と書かれているのはこのような結果を物語っていたのである。神に背く罪というものが、どれほど重大な結果を招くのか、我々に考えさせているのである。
絶望のただ中で語られる希望
8 しかし、ノアは主の前に恵みを得た。9 ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。10 ノアはセム、ハム、ヤペテの三人の子を生んだ。
どんなに絶望的な方向に物事が進んでいたとしても、それに負けないで神の意志を貫いて生きる人々が存在したと聖書は語る。何よりも神が人類に最後まで寄り添う覚悟を持っておられるのである。
神が人類を滅ぼすことに決めたノアの時代、神に背いて生きることが当たり前になっていた時代の中で、神の祝福の中に生き続けることがいかに困難だったことだろうか。無法地帯の中で一人正しく生き抜くことを想像すると、ぞっとするのではないだろうか。ノアとその家族の周辺にはそのような現実が常にあったということである。それでも悪の力に抵抗することができたのは8節冒頭にあるように「ノアは主の前に恵みを得た」からに他ならない。神の祝福と共に歩む者が体験する恵みはそれほどに力があるのである。
主イエスは弟子たちと別れる間際に、「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている(ヨハネ福音書16章33節)」と弟子たちを励まされた。神の祝福の中にあって歩み続けることは、主イエス・キリストの救い主としての力を信じて生きることに他ならない。
主イエスはまた、「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る(ヨハネ福音書14章18節)」。と約束されたお方である。しかも神の祝福の中に歩み続ける者のために聖霊の永遠の祝福を勝ち取って下さったのである。
神の祝福の中に歩み続ける鍵はイエスが与える聖霊の祝福にある
イエスこそこの世と死後の世界の救い主だと信じて神の祝福の中に歩み続ける者は、聖霊の祝福の中に生きることとなる。これが神の祝福の中に生きる者の最大の利点である。聖霊は罪の誘惑に遭う時、危険性をいち早く我々に悟らせる。時には初めから迂回できるように導いて下さる。どんなに辛い現実に直面しても、神の御心に従って生きる選択ができるように励まして下さる。あるがままの自分を最大限神に喜ばれるように生きる知恵も与えて下さる。時には誘惑に負けたとしても、あらゆる手段を用いて悔い改めへと導いて下さる。
聖霊はどんな有能なコーチよりも我々の人生を最後まで責任を持って伴走して下さる助け主。イエス・キリストを信じてバプテスマを受ける人は、約束の聖霊の祝福を永遠のものとすることができる。この聖霊の祝福の約束こそ、キリスト教の救いの神髄なのである。
イエス・キリストを信じて罪の赦しを確かなものとするだけでなく、同じく重要なのが罪の影響から完全に救われるために聖霊の永遠の祝福の中に生きる人生を獲得することである。聖霊は神との関係だけでなく、人と人、またあらゆる生き物とのつながりを回復させ、豊かに世界に広がっていく原動力なのである。
最後の10節で「ノアはセム、ハム、ヤペテの三人の子を生んだ。」には、神が導く信仰の継承の希望が語られているのである。私たちもこの希望の中に招かれ、次の世代に福音を継承していくように期待されているのである。
2024年1月14日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「洪水前の世界②地上の堕落に心を痛める神」
礼拝動画は下のリンクからご覧ください。
https://www.youtube.com/live/Nv-9Isl1YvA?si=zm4qsOtKaQZG0X9m
-
前の記事
洪水前の世界① 地上の勇士ネピリム 2024.01.14
-
次の記事
洪水前の世界③ 計画を開示される神 2024.02.11