創世記の贖罪④ 引き裂かれた衣

創世記の贖罪

聖書は始めから一貫して、「神が人類の罪を贖(あがな)おうとされている」ことを主張している。4番目にして、シリーズ最終回となる今回の箇所では、やがてイスラエルと名前を改名することになるヤコブ(アブラハムの孫でイサクの子ども)の最愛の子ヨセフと彼の兄弟たちとの間で展開する贖罪の話である。その内容は人類の救い主イエス・キリストの生涯と神から託された役割を示唆していることをご一緒に確認していきたい。

父なる神と子なるキリストとの関係を示唆するヤコブとヨセフ
キリストと律法学者やパリサイ人との関係を示唆するヨセフと兄たち

創世記37章13-14,23-24,28-34節(52p)

13-14節 イスラエルはヨセフに言った、「あなたの兄弟たちはシケムで羊を飼っているではないか。さあ、あなたを彼らの所へつかわそう」。ヨセフは父に言った、「はい、行きます」。
父は彼に言った、「どうか、行って、あなたの兄弟たちは無事であるか、また群れは無事であるか見てきて、わたしに知らせてください」。父が彼をヘブロンの谷からつかわしたので、彼はシケムに行った。

37章からヨセフを中心にした物語が始まる。彼は兄弟たち同様に羊飼いをしていた。弟のベニヤミンを除いて11人兄弟の中では一番年下であった。彼は父ヤコブに可愛がられていて特別に長袖の着物を贈られている。この特別な服は、父なる神からの特別な賜物である聖霊と預言の賜物とを象徴していると考えられる。それを示唆するかのように、ヨセフは将来を予言する夢を見たり、人の夢を解き明かす話が何度も登場することになる。この神からの特別な賜物が後に兄弟たちのねたみと憎しみの原因となる。それは神から与えられた預言等の賜物によって、律法学者やパリサイ人たちの誤りを指摘したためにねたみと憎くしみを買っていくことになるイエス・キリストと類似しているのである。

物語が急展開を見せるのは、今回取り上げた箇所からである。父ヤコブに兄弟たちの様子を見に行くように言いつけられるヨセフ。目的地はシケムであった。この地域は聖書で度々登場する偶像礼拝が盛んな場所であった。この物語は、神への信仰から遠ざかり、異教の地で生活を営むようになっている人類の元へ、愛するひとり子イエス・キリストを派遣した父なる神の姿と重なり合うことになる。ヤコブは父の命令に素直に服従し、兄たちがいる異教の地へ旅をするのであった。

兄弟たちに見捨てられ、穴(十字架の受難、死と墓)へ葬り去られるヨセフ

23節 さて、ヨセフが兄弟たちのもとへ行くと、彼らはヨセフの着物、彼が着ていた長そでの着物をはぎとり、24節 彼を捕えて穴に投げ入れた。その穴はからで、その中に水はなかった。

28節 時にミデアンびとの商人たちが通りかかったので、彼らはヨセフを穴から引き上げ、銀二十シケルでヨセフをイシマエルびとに売った。彼らはヨセフをエジプトへ連れて行った。

ヨセフは彼を亡き者にしようと企む兄たちの元に到着する。すると兄たちは父から授かった大切な服を取り上げ、彼を穴に投げ入れるのであった。その際に彼らはヨセフを殺す代わりにさらに遠いエジプトに売りさばくことを相談する。ここからまた話は急展開し、物語のスケールがヤコブ一族から世界規模に移行する。
28節のミデヤンびとはアブラハムの後妻であるケトラの子孫であり、イシマエルびとは父ヤコブの兄エソウの子孫である。この同族の者達が銀二十シケル(その時代のペルシャ貨幣)でヨセフを奴隷として取引をしていることも興味深い。イエスはユダの裏切りによってローマ帝国の銀貨三十枚(どちらもほぼ同じ価値)で取引を行い、裏切られていくことと類似している。

また、イエスがユダヤ人の手を離れ、ローマ帝国の裁判によって死刑判決を受けて処刑されていったように、ヨセフは一時兄弟たちの手を離れてエジプトの地(死者の国・また当時の世界覇権国)へと引き渡され、そこでも(39章)牢獄に葬られるのである。

復活と偽証

  29節 さてルベンは穴に帰って見たが、ヨセフが穴の中にいなかったので、彼は衣服を裂き、 30節 兄弟たちのもとに帰って言った、「あの子はいない。ああ、わたしはどこへ行くことができよう」。 31節 彼らはヨセフの着物を取り、雄やぎを殺して、着物をその血に浸し、 32節 その長そでの着物を父に持ち帰って言った、「わたしたちはこれを見つけましたが、これはあなたの子の着物か、どうか見さだめてください」。 33節 父はこれを見さだめて言った、「わが子の着物だ。悪い獣が彼を食ったのだ。確かにヨセフはかみ裂かれたのだ」。 34節 そこでヤコブは衣服を裂き、荒布を腰にまとって、長い間その子のために嘆いた。

この箇所には、イエスの弟子と重なる内容やイエスの遺体が墓から消えた報告を受け取った律法学者やパリサイ人の行動との類似が見られる。ルベンは長男であった。彼はまっさきにヨセフがいなくなった穴に行って確認している。これは12弟子の筆頭格にして年長者であったペテロの行動と似ている。また、ルベンはヨセフを殺すことに反対した人物である。ペテロはイエスが殺されることなどあってはならないと主張した人物である。

また、兄たちがヨセフが穴からいなくなったことに慌て、父ヤコブとその家族たちに偽証した。同じように新約聖書では、律法学者やパリサイ人たちはイエスの復活(生きていること)を否定し、死体が連れ去られたと主張した内容と類似する。

ヨセフの生涯が示唆する世界の救い主イエス・キリスト

ここまでの内容だけでも、ヨセフ物語がイエス・キリストの生涯といかに類似しているのかご理解いただけたと思う。実際にはこの後の物語もヨセフ物語によって引き続きイエスの受難とキリストが果たした救い主としての役割が示唆されている。エジプトでの新たな生活が開始して間もなく受けた誘惑の話し。エジプトで仕えた主人の妻の偽証によって有罪となり、牢獄に繋がれる話し。牢獄で同じ刑に服していた二人の囚人の内の片方は解放されると預言した話し。これらがイエスの受難物語とどう連動しているのか各自で黙想されたい。

イエスご自身ヨハネによる福音書5章39節で弟子たちに「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
と語っている。聖書は始めから一貫して、「神が人類の罪を贖(あがな)おうとされている。」ことを主張しているとイエスも語っているのである。

そして、創世記最後のヨセフ物語では、ヨセフは最終的に牢獄(墓、死、黄泉)から解放され、自分の同族だけでなく、エジプトと全世界を大飢饉(死と疫病と滅び)から救うことになるのである。これはまさにイエス・キリストが神から託された使命である。そして、この物語にはもう一つ大切な主題がある。和解という主題である。兄弟たちは本来決して許されるはずもない過ちをヨセフに対して行った。けれども、最後にヨセフは彼らと和解を遂げていくのである。このようにヨセフ物語はもうひとつの福音書なのである。

2024年2月25日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「創世記の贖罪④引き裂かれた衣」

礼拝動画は下のリンクからご覧ください。
https://www.youtube.com/live/rzuHA7IxMh8?si=VA-4iG-dBJdNjdQf