復活をどう証明するか
- 2024.04.01
- 目からウロコの聖書
- イースター, コリント人への第一の手紙, マルコによる福音書, 復活
復活の重要性
新約聖書の3分の1は使徒パウロと関連のある内容である。まずは彼がコリントの教会に宛てた手紙に注目したい。
コリント人への第一の手紙15章 (273p)
「15:1 兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。…15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、…①わたしたちの罪のために②死んだこと、15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、③三日目によみがえったこと…である。…15:14もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。」
ここにキリスト教の福音の中心的な理解が明確に語られている。それは①~③までの3つの内容で構成されている。
①イエス・キリストが十字架で処刑されたことには通常とは異なる目的があった。人類でただ一人、神に対して罪を一度も犯したことがなかったお方だったからこそ、他の人の罪の身代わりに死ぬことが可能であった。その目的は「わたしたちの罪のために死んだこと」であった。これを「罪をあがなう(贖う)」という。
②キリストが十字架にかけられて死に、墓に葬られたことを否定する人も存在する。そのため、二つ目の重要な信仰理解が、キリストが「死んだこと、 そして葬られたこと」であった。そして、
③「三日目によみがえったこと」である。実際に心臓が動き、温かい血を宿した肉体で復活したということである。その後、弟子たちと再び食事をしたことも聖書に書かれている。
これら3つのキリスト教の信仰理解の中核をなす内容を信じる者がクリスチャンである。これらの一つでも信じる意志を表明しないままバプテスマを受けることも、クリスチャンと名乗ることも認められない。それほど重要な3つの信仰理解だと言える。パウロは14節で復活が事実でなければ、キリスト教を宣教することも、信仰することもむなしいものとなってしまうと語るのである。
復活を信じることは、当時も簡単ではなかった
「5:12 さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。15:13 もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。」
パウロがコリントの教会へ手紙を書いている理由の一つも、復活に疑問を持つ人たちがいたことが背景にある。本日の箇所でも当初、弟子たちはイエスが復活した事実を信じることができなかったことが語られている。復活はだれにとっても非常識的な出来事なのである。しかしながら、それを事実と信じることなしにキリスト教は成り立たないのである。
マルコによる福音書16章9-11節(81p)
「5:9週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある。5:10マリヤは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。5:11 彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。」
本日の聖書箇所を読むと、イエスの弟子たちも最初は復活を信じることができなかったことが語られている。また、別の箇所ではイエスが弟子たちに現れた時、それが幽霊だとしか思えなかったと書かれている。復活は全人類にとってまさしく信じにくい非日常的、常識はずれの出来事に違いない。それでも、復活信仰こそキリスト教の根幹である。
現代では復活は論理的に証明し得るものとなった
これまでも礼拝宣教で取り上げてきたが、復活や神の存在証明は論理的に可能な時代となった。①まず、千年以上かけて書かれ、編纂された聖書がこれを証明している。聖書の預言がことごとく現代に至るまで成就し続けている歴史が存在するからである。②世界の多くの科学者たちも遥か紀元前に書かれた創世記1章にある地球や宇宙の成り立ちについての説明が天地を創造した神にしか書けない内容であることを認めている。③現代の発達した科学的捜査の手法によって、復活について書かれているいくつもの新約聖書の証言が偽証ではないことが証明されている。④現代に至るまで奇跡としか言いようのない事例が数多く報告されている。祈った後で失った耳や足が短時間で再生された等の奇跡の報告が後を絶たない。元ジャーナリストだったLee Strobel氏のベストセラー書籍「The Case for Miracles」を参照されたい。イエスが行った奇跡の数々が現代で再び起きているのである。しかも、その多くが信頼のおける医者や科学者たちの診断書付きなのである。もはや聖書に書かれている非日常的、常識はずれの出来事は現代ではあり得る出来事となった。
目の前に提示されている二つの選択肢「AそれともBを信じるか」
神の存在証明は非常に難しい。証明できないから神の存在を信じないと語る人々に時々出会う。しかし、厳密には神が存在しないことを証明することもできない。従って、実際にはA「神の存在を信じる」か、B「神が存在しないことを信じる」かの二択となる。
目の前に死んだはずの人間が現れたという話も時々耳にする。これについても実際にその人が見たのは復活されたイエスの時のように肉体を持って復活した人と再会したのか、それとも幽霊のように実体のない存在を目撃したのか、あるいは単に幻覚を見たのか。それを判断したり、証明したりするのは簡単なことではない。結局、最後には「何を信じるか」という選択が残ることになる。
イエス・キリストを信じる者の応答の仕方
あなたはイエス・キリストが「わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと」を信じるか、それとも信じないのか。それが問われる。ただし、キリスト教信仰とは信じた後の応答の仕方が重要となる。キリスト教の根幹にある教えを信じる者は、イエス・キリストが実践された生き方を己の生き方とするように招かれている。それを拒否する者はキリストの弟子ではない。キリストは本気で信じて従いたい者に自分の十字架を負って従うように招かれる。
実際にはそれをどう実行するのか。教会ではバプテスマを通してそれを実行に移す。バプテスマとは、これまで神が与えようとされた十字架に背いて自己中心的な人生を貫いて来たことを認め、これからはクリスチャンだと公言して生きていくこと。それがバプテスマ式の意味、存在意義である。
イエス・キリストも伝道開始の直前にバプテスマを受けて活動を開始された。それを神が喜び、祝福された。クリスチャンとはイエス・キリストこそ自分を罪から救い出し、復活させて下さる救い主だと自らの言動と生き方で示す人のこと。我々もこうして神に喜ばれ、キリストの弟子に加えられるのである。
2024年3月31日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「復活をどう証明するか」
礼拝動画は下のリンクからご覧ください。
https://www.youtube.com/live/FBSRmhBlhDU?si=O0b7aiA_DRpfMJPm
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