シリヤまで広がった福音
省略とまとめが得意なマタイ
前回、イエスが宣教開始にあたって4人の漁師をはじめて弟子にした箇所を取り上げた。そこでは4人との最初の出会いは省略されていた。これに続く今回の4章最後の話はイエスの宣教をまとめたような内容になっている。
マタイはイエスの宣教の総括を述べてから、次回5章から始まるイエスの教えシリーズを展開していく。マタイがこのような話の進め方をした意図はわからないが、聖霊の導きが背後にあったと信じる。聖書は神の霊感によって書かれた書物である。今回のような箇所からも神の福音を聞き取っていきたい。
イエスが自覚していた神からの使命
マタイによる福音書4章23-25節(5p)
4:23 イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
冒頭の箇所には、イエスの宣教前半の総括が述べられている。イエスの宣教範囲はガリラヤ地方全域であった。「ガリラヤの全地」とある。ガリラヤ地方をくまなく弟子たちと歩いたことが語られている。我々にとってはどこまでが宣教の範囲だろうか。その範囲を入念に巡り歩くことを促されているのではないだろうか。
イエスは諸会堂で教えたことが次に語られている。イエスは他の教会との関わりを大切にされたと言うことができる。自分の教会だけに止まらず、協力伝道にも目を向ける私たちでありたい。
それからマタイは宣教の概要を述べている。イエスにとって宣教とは「御国の福音」を人々に伝えることであった。そもそも福音の中身は何か、そして「御国の福音」という時、それはどのような内容を指すのだろうか。福音に様々な思いを寄せるあまり、イエスが大事にされた「御国の福音」を見失ってはいないだろうか。
5章から具体的に語られていくイエスの「御国の福音」だが、その前に各自で問い直してみてはどうだろうか。
さらにイエスは病気以外に、人々の生活のわずらいになっている事柄とも向き合った。身体的な苦しみだけでなく、心の様々な重荷にも目を向けておられたことが伺える。この箇所で二度繰り返される「あらゆる」という言葉も見逃してはならない。イエスの宣教活動は常に各人の特有の問題に関心を向けていたことを示している。
マタイはイエスの宣教が目の前の一人の一人との出会いを大切にしながら展開して行ったものであったと伝えているのである。私たちもかくありたいと願わされる。
宣教範囲のひろがり
4:24 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。
人々の日常生活を脅かす問題は様々に存在することが改めて語られる。イエスの癒しの対象の中には「悪霊につかれている者」も含まれた。この解釈は後の具体的な箇所で取り上げるが、病気や心の疾患を患っている人を意味しているわけではないことを断っておく。てんかんや中風の者などもそれぞれの箇所で取り上げていくことになる。これらの病に苦しんでいた者がいかに多かったかを現時点では押さえておきたい。
その上で注目したいのがイエスの宣教範囲の広がりである。イエスの宣教がイスラエル全域に及ぶ以前から、その活動は広く周辺諸国にまで拡大したことが語られている。イエスがそれらの地域にいかずとも、諸外国との商業的交流が盛んなガリラヤ地方だったからこそ、イエスのうわさはすぐに近隣諸国に伝わったのであろう。
もう一度自分の足元から福音をとらえなおす
4:25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。
注目すべきは24節冒頭で登場するシリヤや25節の周辺諸国であろう。イエスの評判は「シリヤ全地」にひろまったことが語られている。現代のレバノン、シリヤ地方を指すと考えられる。25節では現代のイラクやヨルダンからの人々もやって来たと想定されている。イエスがそれらの国に宣教を展開せずとも、救いを求めて様々な国からイエスの元へと人々はやって来たのである。イエスは国や宗教の違いを超えて、一人一人と向き合い、御国の福音を伝え、あらゆる苦しみの中にある者をお癒しになった。
マタイ28章19節に語られるイエスの大宣教命令「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。」に従えば、世界伝道に出かけることの意義が前面に出ている。
しかし、その前に自分の足元、身近にいる一人一人とどれだけイエスのように向き合えるか。それが福音宣教の原点にあることが示される。身近なところで出会う一人一人を分け隔てなく愛するイエスのように、私たちも歩みたい。
そのためにはそれぞれの大切な生活の場にイエスの御業を向けていくことが大切である。自分の家庭、親戚、近所、職場、学校、趣味や習い事、部活動やサークル、教会、教会周辺…、
私たちの日常に御国の福音をイエスが分かち合いたいと願われている身近な場所へ証ししていきたい。
内面からほとばしる輝きを大切に
マタイは人々の方からイエスの方に近づいてくることを強調した。それだけイエスの評判が広がったことによる。私たちにはかなりハードルが高いことは間違いない。それでも原点はイエスと同じであるはず。私たち一人一人の内面がイエスの福音と聖霊に満たされ、輝き出すことである。その時、分かち合わずにはいられなくなる。また、人々がその内面からの輝きに惹かれ、質問せずにはいられなくなる。聖霊が働きだすからである。こうして福音宣教が徐々に展開していくのである。
だれも自分の力以上のことをすることは求められていない。聖霊が私たちのすでに持っているものを最大限に生かして下さるのである。聖霊に愛される人とはどんな人か。それは今あるがままの自分を神に感謝できる人である。神に愛されている自分。無条件に罪の赦しを与えられている自分。それらしい働きをしていない現時点であっても、将来の祝福を祈り続けて下さる主イエスの愛。そして、聖霊が今の自分に寄り添い、今週の歩みを共にするために伴って下さっている。
これ以上、何が必要なのか。あとは信仰のみ。信じて聖霊の導きを仰ぎ、その導きに身を委ねること。ここに今週の一日、一日が導かれることを祈る。
2024年5月5日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「シリヤまで広がった福音」
礼拝動画は下のリンクからご覧ください。
https://www.youtube.com/live/CA8q_sy_0WQ?si=MQ5ebODYdPlmHgyE
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