最高にハードルが高い教え

山上の説教 第5章 最後の教え

マタイによる福音書5章43-48節 (口語訳聖書7p)

 5:43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである

5章の後半になるにつれ、イエスの教えは聖書の核心に触れる内容が目白押しとなる。どれも姿勢を正し、聞く耳を持って聞かない限り、理解することも、素直に受け止めることも到底できない内容が次々にイエスの口から語られる。それは当時のユダヤ人宗教指導者たちにはなおさらであった。それまでの伝統的な聖書理解があったために、イエスの教えを危険視する人が続出する結果となった。5章最後のイエスの教えも、その一つである。

44節に比べると43節の内容はそれほど違和感なしに受け止めることができる内容ではないだろうか。現在礼拝では毎週のように交読文として詩編を朗読している。その文言の中にも敵に対する報復を求める言葉が度々登場する。聖書で登場するこれらの敵とは大抵加害者側であり、またユダヤ人に敵対し、ユダヤ教を滅ぼしたいと目論む敵である。
日本という国には現在あからさまに国を滅ぼしたいと目論む敵対する勢力や国は存在しない。しかし、イスラエルという国は事情が違う。現在戦闘が続く国際テロ組織ハマスはユダヤ教を根絶することを悲願に掲げる団体である。その起源はイスラエルが昔のカナン地方を征服していった紀元前約1300年代から続く根の深いものである。女、子どもに至るまで、惨殺された過去を持つ国同士。その溝は恐ろしく深いと言わざるを得ない。神の名を掲げて戦争を繰り返す人類。そこに本当の正義が存在することなどあり得るのだろうか。
今月は終戦を祈念する月でもある。イエスの新たなチャレンジに満ちた教えに平和への糸口を見つけていきたい。

まず聖書の言う「敵」を捉えなおす

5:44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ5:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである5:46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか5:47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか

世の中には簡単には許せない様々な出来事がある。到底許すことなど不可能と思うような人道に反する凶悪事件を起こした人を、憎まずに愛し、赦すことなどできるだろうか。これは非常に難しいはずである。そこで今回の教えを理解するカギとなる最初の単語「」を理解することから始めたい。

 結論から言うと、敵とは「あなた」に他ならない。これまでのイエスの宣教内容を理解できた方には予想できたかもしれない。被害者側に自分を置く傾向の強い我ら。イエスは我々が加害者側に身を置くことの大切さを繰り返し語った。今回も同じである。聖書が強調する「敵」とは神に敵対して生きるすべての人を指す。
ローマ人への手紙3章には次のようにある。「3:23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており…」。神への明らかな敵対意識がない人であっても、同じである。聖書も真剣に学ばず、神の御心を真剣に実践しようとしない人は神の栄光を受けられない敵なのである。

45節以降にそれでも神は「悪い者(すなわち敵=様々な時々の我々)の上にも良い者(様々な時々の我々)の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者(時々の我々)にも正しくない者(時々の我々)にも、雨を降らして下さるからである。」
この聖句が示しているように、神に敵対している人であっても、神は生きる権利を強制的に取り上げることはなさらない。これまでも説明したように、この世界に我々を送り出して下さった神は、人間一人一人に神に従う自由と逆らう自由を平等に与えられた。この自由故に間違った選択をする時にこの世に悲劇が起き、悲しみ、苦しみが増す。逆にこの自由故に神に喜ばれる生き方を実践する時、この世に希望が増え、喜び、賛美が増す。神が創造した世界は悲しみも喜びも存在しないロボットの世界ではない。だから神の「敵」が絶えず出現することは避けられない(最後の審判の時までは…)。そして、すべての人が少なからず神の敵になってしまったことがあるのである。そこでもう一つ大切な言葉を捉えなおす必要が出てくる。「」という言葉である。

隣人を「愛」する、敵を「愛」するとは

この箇所で用いられる単語はギリシャ語の「アガペー」という「神の特別な愛」を表わす言葉である。これは聖霊の助けによって実践することが可能となる神の人格が宿る愛(人が実践する通常の愛とは次元が違う愛)」のことを言う。これは聖書を理解する上で非常に重要である。このアガペーの愛を一人でも多くの人が実践できるように神は長く忍耐しておられるのである。

そこでもう一度今回の聖書箇所の「愛」という言葉に本来の意味を書き添えると次のようになる。
5:43 『隣り人を(神の人格が宿る特別な愛で)愛し、(神の御心に従っていない)敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところであるしかし、わたしはあなたがたに言う。敵を(神の人格が宿る特別な愛で)愛し、迫害する者のために祈れ。』

敵をこの世から排除することによって問題の解決を図るのではなく、御心に従って生きる者になるように忍耐強く導く方が未来の希望につながる。イエスはこの使命を実現するためにこの世にこられた救い主である。

イエスが求めておられる「完全な者」とは

 5:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい

48節を読むと、「完全」という言葉に惑わされて、我々は全知全能の神のようになることを求められているように勘違いしがちである。このように理解してしまうと、それは最高に高いハードルだと言わざるを得ない。しかし、48節が「それだから…」から始まっていることからわかるように、44節以降でイエスが強調していたアガペーの愛を実践し、神の人格が宿る特別な愛に満たされて生きる者になることを「完全な者」と言っているのである。45節でもイエスは「こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。」と語った。すべての人にアガペーの愛を実践するのが父なる神。その愛の相続者となることを神は願っておられるのである。

イエス・キリストは、我々が聖霊の助けをいただきながらアガペーの愛を実践することが可能となるために、最高に高いハードルであった十字架を担い、父なる神の子となる道を開いて下さった。こうして最高に高かったハードルが乗り越えることが可能なハードルになったのである。共に聖霊の導きと助けを受けながら、平和を実現する神の子としての歩みを大切にしていこう。

2024年8月11日(日) <平和を覚えて> 北九州キリスト教会宣教題
「最高にハードルが高い教え」

礼拝動画は下のリンクからご覧ください。
https://www.youtube.com/live/5YAiPtFo9NM?si=bYKuBvYwT2lOc2ek