聖霊の祝福の条件/特別信徒研修会Ⅱ
はじめに
聖霊について理解するということは、キリスト教の最重要テーマを理解することである。前回は聖書でどれほど聖霊の祝福の重要性が語られているかを確認した。今回はその祝福の中身を理解する。これによって、聖霊の祝福を祈る時、具体的に何を期待して祈るかが明確になってくる。
奇跡などの特別な業を行う能力は聖霊の祝福とは違う!?
まず聖霊降臨前から弟子たちが奇跡を行っていたことを確認したい。マタイ福音書10章を読むと弟子たちは派遣された町々で次のように指示を受けている。
「7 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。8 病人をいやし、死人をよみがえらせ、重い皮膚病にかかった人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。」
従って、聖霊の祝福とは普通の人には不可能と思えるこれらの業を行うことができるようになることではない。それならば、復活したイエスはすぐにでも弟子たちを宣教へ派遣したことであろう。
霊の賜物とも異なる!?
新約聖書には霊の賜物について語っている箇所が複数ある。これについて説明している代表的な箇所はⅠコリント12章である。4節から一部を抜粋すると
「4<霊>の賜物は種々あるが、御霊は同じである。5 務は種々あるが、<主>は同じである。6 働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる<神>は、同じである。7各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。8 すなわち、ある人には御霊によって①知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって②知識の言、9 またほかの人には、同じ御霊によって③信仰、またほかの人には、一つの御霊によって④いやしの賜物、10 またほかの人には⑤力ある(=奇跡を行う)わざ、またほかの人には⑥預言、またほかの人には⑦霊を見わける力、またほかの人には種々の⑧異言、またほかの人には⑨異言を解く力が、与えられている。11 すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。」
ここに教会の頭であるキリストに仕え、教会を建てあげるために聖霊がバプテスマを受けた者に分け与えて下さる霊の賜物が9つ挙げられている。イエスの受難前に弟子たちが町々に派遣された時に発揮したのはこの霊の賜物だったと考えられる。霊の賜物はキリストのからだなる教会に仕えるために与えられる。イエスを信じ、従う意志が明確な者がバプテスマを受けて歩み出した時に、聖霊が個別に与えて下さる霊の賜物である。
聖霊の祝福とは、救いの理解が根本的に変わる体験
弟子たちの救いについての理解は、イエスが復活される前と後ではどう変化したのだろうか。彼らはイスラエルが他国の支配から完全に独立することを神の救いと理解していた。しかし、聖霊降臨日以降の弟子たちにイスラエルの独立に関心を寄せている者はいない。彼らは聖書の預言がそれまで以上に信じて宣教するに足る神の言だということを理解した。
使徒行伝2章11節によると「…あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。聖霊降臨日に起きた弟子たちの決定的な変化とは、神の御業がいかにすばらしいかを語る者になったということ。同時にその時に弟子たちは各国の言葉で語る霊の賜物が与えられたのである。この時の弟子たちは強制されて義務で証しをするのとは次元が違っていたことは言うまでもない。心から積極的に証しをしたのである。聖霊の祝福とは…
Ⅰ)第一に心から神の大きな働きを証しする者となること。
強制されてではなく、積極的に真心から証しをする力が内側から湧いてくる体験だと言っても過言ではない。父・子・聖霊なる神が分かり、お仕えするのが特権であり、喜びであることが隠せなくなるのである。
Ⅱ)第二にペテロは聖霊の祝福を次のように説明した。
使徒行伝2章16-18節抜粋「…これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち…その時には、わたしの男女の僕たちにも/わたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。」
預言するとは、聖霊の祝福を受けて神の言である聖書の言葉が本当に真実であることを確信を持って伝えること。この時のペテロの宣教内容を吟味する限り、彼はそれまでになかったほどの深い聖書理解が与えられて、いかに過去の預言者たちが語ったことが、現在自分たちの身に実現するようになったかを証ししたのである。
聖霊の祝福とは、聖書の言葉がそれまで以上に神の真実の約束の言葉として心に響く体験を指す。そのため、神の御業の確かさを個人的に語らずにはいられなくなるのである。ここに人間的な身分や能力の差はない。
Ⅲ)第三にイエスはヨハネ福音書で次のように聖霊の祝福を説明した。
15章26節「わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。」
聖霊の祝福が与えられる時、イエスこそ聖書が預言したキリストであることが否定できない仕方で確信に変わるのである。だから証しができる者になる。
さらにイエスは16章7-8節で「~わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。」と言われた。
我々にとって罪と義と神の裁きほど難しい聖書の教理はない。これが真実に理解できるためには聖霊の祝福が必要不可欠。これなしには本当の悔い改めは実現しない。聖霊の祝福を真実に体験してはじめて自分の罪深さが理解できたと証言する歴代の信徒が多いのはそのためかもしれない。これが体得できることによって、我々は本物の証人、伝道者として主にお仕えできる献身者となっていくことができるとイエスは語ったのである。これについては私自身の大学時代の体験を9月第五週に礼拝でお分かちしたい。
聖霊の祝福を熱心に祈る教会になろう
聖霊の祝福を本格的に与えられるには近道などない。一心に祈り求める決意と実行力が必要である。しかし、それを求めるということは超自然的な力や能力を祈り求めることとは違うことがお分かりいただけただろうか。これまでとは比較にならない聖書理解、キリスト理解が深まることを期待して聖霊の祝福を祈り求めることを言う。そのための助け主が聖霊である。
本当の意味で罪を悔い改めて生きるようになるためにも、聖書の教えを確信して証しするためにも、キリストの弟子としてふさわしく霊の賜物を用いて主にお仕えしていくためにも、聖霊の祝福が不可欠だということがお分かりいただけただろうか。ご一緒にこの祝福を体験していきたい。真実のキリストのからだとなっていくために。
*参考箇所*
<口語訳> 検索: “聖霊” AND “注”
*******ペテロは「父からの約束の聖霊をイエスが受けた」、「聖霊を注がれた」と表現【口語訳】使 2:33 それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。
*******パウロは「聖霊と力を注がれた」【口語訳】使 10:38 神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
*******【口語訳】使 10:45 割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた。
*******【口語訳】ロマ 5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
*******【口語訳】テトス 3:6 この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。
★聖霊に満たされる…も重要な聖書の表現、使用例多数15回
*******使 13:34 また、神がイエスを死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てることのないものとされたことについては、『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と言われた。
*******【口語訳】使 2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
*******【口語訳】使 4:8 その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、「民の役人たち、ならびに長老たちよ、
*******【口語訳】使 4:31 彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。
*******【口語訳】使 4:33 使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。
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北九州キリスト教会 教会学校特別信徒研修会
2024年9月8日(日)10時~10時35分
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