大学時代の一大転機(牧師による証し)

へブル人への手紙4章12節(346p)

中学生の時に受けたバプテスマの動機

  私は父が西南学院大学神学部を卒業し、兵庫県明石市で開拓伝道を始めた次の年に生まれた。1963年のこと。多くの人が人生の途中でキリスト教と出会い、教会に行くようになるのに対して、私は教会もキリスト教も人生の一部としてスタートしたのであった。

そんな私にとって子どもの頃、長く悩んだことがある。それはいつバプテスマを受けるべきかという問題であった。気づいた時にはすでにイエス・キリストが私の罪のために十字架であがないの死を遂げて下さったことと復活を信じていた私であった。そのため、何か特別な奇跡のような体験をし、それがバプテスマのきっかけになればと期待するようになった。しかし、そんな出来事は起きなかった。そうして中学生になった時、人間は突然死ぬ可能性があるという事実を自覚するようになった。その時に考えたことは、イエス・キリストを心の中では救い主と信じていたが、バプテスマを受ける機会を逃し、公に信仰告白もせず、突然死んだなら、きっと死んだ時に後悔しなければならないことを想像できるようになった。こうして1977年、私が14歳の時にいつ死んでもイエス・キリストの御前に恥じないで天に迎え入れられる者となるために、バプテスマを受けたのである。

罪意識の増大

  バプテスマを受けた当初は気持ちも晴れやかに、新しいスタートを切った自覚を持って日々を過ごすことができた。しかし、やがて初心を忘れたばかりでなく、徐々に日曜日だけクリスチャンらしく振舞い、学校や私生活ではクリスチャンとはほど遠い生き方をしている自分に苦しむようになって行った。私はクリスチャンになる前よりも、クリスチャンになってからの方が罪意識が増大した。そのため、次第にクリスチャンとしての不自由さを感じるようになっていったのも事実である。それでも教会の諸活動が嫌になったわけではなく、大学生になって親元を離れ、長崎で生活するようになってからも、教会には毎週出席した。

信仰の一大転機

大学3年の時であった。その頃私は二つのことで悩むようになっていた。一つは将来の進路を自分なりに明確にしなければならない時期に来ていたこと。しかし、特にこれといって将来なりたい職業はなかった。もう一つは、教会学校で小学生の教師をして挫折したことであった。当時の私は十分に準備をしないまま子どもたちに聖書を教えていた。それを子どもたちは敏感に見ぬくのである。つまらなそうに参加する子どもたちに心が萎えたのである。このままではいけないと思うようになり、私の信仰はどこからおかしくなってしまったのか、どうすれば信仰のスランプから抜け出すことができるのか模索するようになっていった。

そんな私に一大転機が訪れたのは帰省して父に悩みを相談した時であった。その時にどう相談したのかは覚えていない。ただ、その時の父の投げかけた問いが私の心を捕えたのである。「信一郎、おまえはキリスト教の2大信仰の大切さをどれだけ自覚しているか」というものであった。その問いを受けて自己分析して見ると、重大な欠陥があることに気づかされた。十字架のあがないについては、バプテスマを受けて以来、自分の罪と益々向き合わざるを得ないようになった私にとって、非常に身近な存在であった。それは心に重くのしかかる問題であったと同時に、そんな私だからこそ、私の罪を背負って十字架にかかって下さった主イエスのあがないの業は非常に身近なものとなっていたのである。

復活がもたらしたもの

これとは対照的にイエスの復活は、理屈では理解していたが、心に響くものは比較にならないほど差があることに気づかされた。イエスが復活されたからこそ、弟子たちが全世界に命がけで伝道し、日本にまで福音が告げ知らされ、教会が次々誕生した事実は否定できない。しかし、今の自分にとって復活がどう必要不可欠なのかがぼやけていることがわかったのである。自分に足りないのは復活理解だと確信した私は、それまでにないほど真剣に一日になんども聖書を読んでは祈るという作業を繰り返した。これを40日以上継続していたある日、いつの間にか自分に大きな変化が起きていることに気づかされた。

それまでの私はクリスチャンになって7年は経過していたものの、聖書を一度も読み終えたことがなく、本気で通読しようともしてこなかった。祈りについても真剣さにかけた習慣的なものであったように思う。それが生まれて初めて本気で聖書を読み、祈るようになったのである。

それまでの私は特に旧約聖書などは分かりにくいだけでなく、そんなに面白いと思えない代物だった。ところが、飢え乾くように聖書を読んでいく内に、聖書のどの箇所を読んでも、そこから生き生きと語り掛けてくる神の声が心に響くようになったのである。ヘブル人への手紙4章12節に

というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。

とあるが、生まれてはじめて生きて働く「神の言」の存在に目が開かれた思いがした。これほど力強く聖書の言葉が心に響いてくるということは、キリストが復活し、約束された聖霊が私の心に働きかけておられるので、神の言葉が生き生きと心に届けられていることを理解できたのである。

これが復活を実感することだったのだとその時悟り、涙が止めどなく流れる経験をした。それからの私は自分に起きたこの変化を恥じることなく、ペンテコステの時の弟子たちのように堂々と人前で証しする者へと変えられた。それまで犯した様々な罪も告白する者へと変えられた。復活を実感できたことは、私の信仰を大きく飛躍させたことは確かである。しかも、教会生活にも変化が起きた。教会学校の準備も義務ではなく、心を込めて準備して当日を迎えるようになり、子どもたちとも次第に楽しく聖書を学ぶようになっていったのである。マタイ福音書7章7節に

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

とあるが、その時の私は、まさにこの聖句通りのことを体験させていただいたことに気づかされた。

その時以来、私は牧師や宣教師になることを将来の選択肢に入れるようになったのである。実際にいつどのように献身の決意をしたかはまた別の機会に譲る。アーメン

2024年9月29日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「大学時代の一大転機」

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(今回は音声のみとなりますことをご了承ください)