ヨナとイエスの共通点
はじめに
今月はマタイによる福音書の講解説教から離れ、聖書の中で話題や議論になる箇所を取り上げる。また、今月は行事が目白押しになっている。召天者を覚える礼拝。子ども祝福。世界祈祷週間など。それらの行事に関連した聖書箇所となるようにも配慮したい。今回の聖書箇所はどのように話題になるのか、さっそく内容に入っていこう。
しるし(目に見える確かな証拠)を求めたユダヤ人たち
マタイによる福音書12章38-40節(19p)
12:38 そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。 12:39 すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。12:40 すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。
聖書には少なくとも225回「しるし」という言葉が登場する。創世記1章14節では天の大空に配置した光(太陽、月、星)が人類へのしるしになることが語られている。4章15節では、人生に絶望したカインに神から命の保護を約束されたことを示すしるしを付けられたことが語られている。ノアの物語では虹は、神が人類に与えるしるしとなると語られている。11章ではアブラハム一族が行う割礼が神と契約を結ぶしるしとなることが語られる。モーセがエジプトの王の前で次々に予告した出来事も彼が神から遣わされたことを示すしるしに他ならなかった。しるしというのは、神の特別な約束を意味したり、神から遣わされた特別な使者であることを証明する見える形の証拠を意味した。
ユダヤ人たちはイエスが神が約束しておられたメシアかどうかを確かめるために、しるしを求めたのである。イエスが次々に行っていた奇跡もヨハネ福音書が語るように、神から遣わされていることを裏付ける特別なしるしなのだが、それは彼らには十分ではなかったのである。モーセを通して行われた数々のしるしをかたくなに拒否し続けたエジプトの王が旧約聖書の良い例である。聖書の結論とは、奇跡は神がイエスを遣わされということを裏付ける証拠になり得ないばかりか、それによって人々は神に背く自分の生き方を悔い改めて神が導く生き方に立ち返ることに直結しないことを見抜いているのである。
ヨナのしるしの特殊性
イエスはなぜ、ご自身も数々のしるしを奇跡を通して見せていたにも関わらず、ヨナのしるしをことさらに強調したのだろうか。しかも、イエスの語った言葉には理屈に合わない内容が含まれているのである。ヨナは聖書によれば三日三晩大魚の(胃酸が漂う)腹の中にいたとされる。そこは本来生身の人間が3日間も生存できることなど不可能な場所であったに違いない。命は守られたとしても、彼はきっと全身の皮膚が醜く焼けただれていたことであろう。ヨナは3日間体を襲う死の恐怖と激痛に耐えながら神の憐れみを祈り続けた事であろう。しかし、それこそがニネベの人々に説得力を与えたのではないだろうか。自分の命も顧みずに神の警告を運んで来てくれた人物にだれもが耳を傾けることとなったのである。五体満足なままニネベに来たどこのだれともわからない人のニネベの人々への神の裁きの警告など、普通はだれも信じないのである。
三日三晩というしるしの特殊性
もう一つ腑に落ちないのが、イエスが語る「人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。」という預言である。イエスはイスラエル歴に従えば、木曜の夕方三時過ぎに息を引き取っている。そして急いで必要最低限の処置を施されて金曜(安息日)が始まる日没までに墓に葬られた。するとイエスは金曜の晩、そして土曜の晩を墓の中で過ごすのだが、日曜の朝に復活している。つまり三日と二晩という計算になる。三日三晩というイエスの預言はつじつまが合わないのである。
これはどのように理解すればいいのか。イエスが言い間違えるとは考えられないし、福音書記者が間違えたとも考えられない。このなぞに対する回答とは、イエスが墓の中に三日三晩いると預言したのではなく、「地の中」にいると語った言葉の意味に隠されていると考えられる。地の中とは、通常は死者の世界のことを指すのだが、聖書にはもう一つの理解の仕方がある。それは神の祝福とご加護がおよばない世界である。
イエスにとっての究極の受難はどこから始まったのか。それは実はゲッセマネの園からであったと言えるのではないだろうか。イエスの祈りの効力と神の保護がみるみる失われていったゲッセマネの園においてである。愛弟子のひとりイスカリオテのユダが完全にサタンに支配されて彼を裏切り、最愛の三弟子たちであるペテロとヤコブとヨハネも一緒にイエスと真剣に祈り続けることができなかった。イエスは完全に神と弟子たちから孤立したのが、ゲッセマネの園に行った時刻からなのである。だからこそ、血の汗が流れるほど苦しみながらイエスは祈られたのではなかったか。
また、その後逮捕されてユダヤ人指導者たちによる不正と陰謀まみれの裁判で味わった屈辱と暴力。そこはすでに暗黒の中であったことであろう。また、一説によると当時の牢屋は地下に設置されていたという。ユダヤ人たちの裁判の後、ローマの裁判を受ける前にイエスが一時入れられたのは地下牢だったと考えられる。そこも文字通り「地の中」だったと考えられる。イエスが完全に悪魔の手の内に引き渡され、蹂躙されるままになったのは、ゲッセマネの園からであって、金曜の晩からだったと考える時、イエスが語った三日三晩の意味がつじつまが合うことになるのである。
ヨナとイエスの共通点
大魚の腹の中で三日三晩過ごしたヨナも、三日三晩サタンに蹂躙され続けたイエスも、肉体的また精神的に非常に傷つき、ぼろぼろになった経験を持つ。それでも、生き延びたヨナも復活されたイエスも民衆の前に現れた時、一定のからだに残る確かな傷跡はあったが、神から与えらえた使命を最後まで果たしていく力が与えられていたのである。
そして何よりも、ヨナとイエスは復活後に神の大いなる悔い改めの福音を語り、その国の歴史が変わってしまうのである。ヨナの場合、邪悪に染まった国が悔い改めて神に滅ぼされずに救われるのである。イエスの場合は全世界に救いの福音が広げられていくこととなる。イエスが意味したしるしとはこれらすべてを含めた神の御業を意味していたのではないだろうか。
しるしというのは、神の特別な約束を意味し、また神から遣わされた特別な使者であることを証明する見える形の証拠である。このしるしを我々も現在体験しているのである。そして、この祝福の内に入れられているのである。現代のしるしは教会である。共にそれにふさわしい歩みに導かれていこう。イエスの救いの御業に感謝しつつ。
2024年11月 3日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「ヨナとイエスの共通点」
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