罪からの完全開放② 犠牲の神の小羊

使徒行伝3章18-19節(184p)

はじめに

イエス・キリストは他の宗教の教祖と明確な違いがあります。他の宗教の教祖も人がいかに幸せに生きることができるかという人生の根本問題に対してそれぞれに励ましと含蓄のあることを教えてくれるでしょう。これに対して旧約聖書と新約聖書を合わせた66巻からなる聖書の中心主題は人間の生き方ではなく、神がどのような目的、またどのような存在しとして人間とこの世界を創造したかが順をおって書かれています。聖書の主題とは「神は人といかに生きたいと願い、この世界と来るべき死後の世界を創造されたのか」にあります。中でもこの世のすべての人間が直面する罪と呪い、そこからの完全開放こそ、神が人間となられ、イエス・キリストの生涯と教えを通して啓示して下さった目的です。

聖書は一貫して、人間が罪とその呪いの影響下に堕ちてしまった現実を深刻に受け止め、どのように我々をそこから救い出そうとしておられるかを語っています。この世で体験している罪とその呪いから完全に解放されない限り、死後の世界も罪とその呪いから解放されず、さらに深刻になる世界が永遠に続くと聖書は警告しています。罪からの完全開放、これは人類でただ一人イエス・キリストだけがなせる神の救いの御業です。だからこそ、イエスが我々と同じ罪とその呪いの影響下にある人間としてこの世に誕生して下さったクリスマスには特別な意義があるのです。

キリストがこの世で果たした異次元の役割

他の宗教の教祖も様々な困難な人生経験を通っている。釈迦やマホメットなどは、裕福な家庭に生まれながらも、自ら厳しい修行を課して悟りを開く努力をしたことで知られている。その甲斐あって優れた教えを数多く残し、人生の最期には大勢の弟子や信者に囲まれてこの世での最後を閉じている。これに対し、キリストは生まれた時から死ぬまで、常にこの世に生まれたことを呪われながら生きなければならなかった。誕生後もすぐに当時のユダヤの王ヘロデに暗殺されそうになり、命からがら両親と一緒にエジプトに避難している。自分のせいで当時ユダヤ地方に住む同年代の2歳以下の男子が無残に兵士たちによって殺されたことは、イエスの記憶から生涯離れることはなかったであろう(マタイ2章)。

イエスはまた、釈迦やマホメットと違い、早くに父親を亡くし、一家の家計を支えなければならなかったことが示唆されている。イエスがおよそ30歳の時に伝道を開始した時に父ヨセフの名前が家族の紹介の中に言及されていないからである(マタイ13:55、マルコ6:3)。

また、他の教祖たちが結婚したのに対し、イエスは生涯結婚することなく、伝道開始からわずか3年半足らずで、若干33歳という若さでこの地上での生涯を終えている。そして、何よりもこの世での最後は神に呪われて死ぬことを象徴する十字架にかけられ、人々から呪いの言葉を掛けられながら最悪の人生の閉じ方をしたのである。

キリストは今日知られるところの世界の三大宗教の教祖として誕生したというよりも、この世で最も呪われた生涯を送った象徴的な人間として誕生し、生き、生涯を閉じたのである。このような生涯を送った歴史上の人物が現代では30億人を超える信者をかかえる世界最大の宗教の教祖になったこと自体、奇跡と言えるのかもしれない。

神が与えたイエス・キリストの人生の目的

多くの人にとって、人生の最大の疑問の一つが、なぜ愛の神がこの世に死と呪いが存在することを許されたのかということであろう。これについては今月の2回の宣教シリーズですでに言及したのでそれらを参照されたい。ただ大前提として理解しておかなければならないのは、人間はロボットのように感情も自由意志もない存在として創造されたのではなく、自らの決断と覚悟で神が与えておられる人生の目的に忠実に生きることを選択する存在として創造されたということである。それはイエスの生涯が象徴しているように、どのような犠牲を払ってでも、神と共に生きる生涯を貫くことを意味する。

このような生き方は難しいどころか、神の助けなしには不可能だと聖書は断言する。聖書は神に従うことに失敗する人々が数多く描かれている。人間は自分の努力だけでは神の基準に忠実に生きることはできないと聖書は繰り返し語る。これを認め、救い主イエス・キリストが神の犠牲の小羊として果たして下さった唯一無二の役割によって、人類は罪とその呪いから完全に解放される道が開かれていくと教えるのである。

この世においても、死後の世界においても、罪とその呪いに勝利できる唯一の救い主が共におられ、このお方に頼りながら生きない限り、逆に罪とその呪いの結果は永遠に付きまとうことになる。それに終止符を打つために、神自らが人間イエスとなって地上にこられ、罪の結果としての呪いをご自分に背負われたのである。それを象徴しているのがイエスが背負われた十字架である。『「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木(で出来た十字架)にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。』(ガラテヤ3:13)

神が繰り返し示し続けて下さっている罪のあがないという福音

聖書の最初の書である創世記の3章に人類最初の夫婦アダムとエバが罪とその呪いの影響を受けて絶望的な状況に陥ったことが語られている。その時、神は彼らを滅ぼす代わりに、自らの手でイエス・キリストを象徴する特別な動物を彼らの罪をあがなう犠牲の動物として殺している。アダムの次男であるアベルが羊を飼う最初の人間になり、自らも羊を神に捧げていることから、神がこの時用いた動物は羊だったと考えられる(創世記4章)。アブラハムの息子イサクの命をあがなう時も神が用意したのは羊だったことが語られている(創世記22章)。

罪とその呪いからの完全開放は、聖書の最初の段階からの最重要テーマである。そして、時満ちて約2千年前に全人類の罪をあがなう救い主としてイエス・キリストが唯一無二の使命を成し遂げて下さったのである。人類でただ一人、その生涯において一度も罪を神に対して犯すことのなかったお方が、罪をあがなう神の小羊となったのである。

神がこのようにして示しておられるイエス・キリストを罪から完全にあがなう救い主と信じて、神と聖書の教えに生涯従い続ける生き方を選び取って生きる者と共に神は生涯共に生きて下さるのである。そして、罪とその呪いに勝利して生きる道を歩み始め、やがては完全に解放されて天国で永遠に生きることが許されるのである。神は今日も本日の聖書箇所のように、

18節 神はあらゆる預言者の口をとおして、キリストの受難を予告しておられたが、それをこのように成就なさったのである。19節 だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。」

と呼びかけておられる。世界がクリスマスに関心を寄せる今こそ、罪からの完全開放を実現されるイエス・キリストを一人でも多くの方が信じて、生涯従い続ける者になることを心から祈る。

2024年12月15日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「罪からの完全開放② 犠牲の神の小羊」

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