罪からの完全開放④ 無限の希望の主

はじめに

今年は一年を通して国内外で生活、健康、安全、命を脅かす事柄が絶えませんでした。また米国大統領選やAI技術の進歩による経済への影響も大きかった一年だったのではないでしょうか。来年のトランプ次期大統領就任でさらに世界は激変する可能性がある中にいる私たちですが、変わることのない確かな神様の約束に支えられて新年に臨んでいきたいと思います。今年最後の聖書の言葉、イエス・キリストの力強い希望に満ちた約束の言葉に耳を傾けて参りましょう。

イエス・キリストがなされた業を超える業を行う方法とは

ヨハネ福音書14章12-15節(165p)

12節よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。」

 今回の箇所はギリシャ語ではアーメン、アーメン、レゴー フミンから始まっている箇所。イエスが重要なことを弟子たちに語る時の決まり文句。イエスの教えを本気で信じて実践する者は、同じ業を行うばかりか、イエス以上に大きな神の業を行うという確約である。イエスより「もっと大きいわざ」とはなんであろうか。そんなことを弟子たちの中で行ったことがあるのはだれか。我々はそんな人物を知っているだろうか。

そもそも、そんな大それたことを考えたことがあるだろうか。これはイエスが強調した弟子たちへの約束。イエスよりもっと大きいことでなくても、イエスのされたわざをしていると自信を持って言えるだろうか。疑問は尽きない。それでもイエスの方ではその根拠を示される。「わたしが父のみもとに行くからである。」と。これは約束の聖霊が間もなく弟子たちに与えられることを示唆する言葉。ならば、イエスのわざを行うのも、それ以上のことを行うことができるのも聖霊の助けによることがイエスの真意であることになる。

16節 「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。」

それならば、私たちはどう祈ればいいのか。次の節にイエスの答えを見出すことができる。

イエス・キリストの名によって祈るとは

13節 「わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。」

イエスが何よりも願っていることは、私たちが聖霊の祝福をイエスの名によって願い、体験していくことである。イエスの名によって願うとは、イエスが与えたいと願っている聖霊の祝福を祈ることにほかならない。イエスはこう言われた。

17節 「それは真理の御霊であるこの世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。」

聖霊がどれほどの祝福をもたらすことができるのか、それを本気で体験してみたいと願い、本気でその素晴らしさを知りたいと願う者が現れるのをイエスは待っておられる。この祈りを理解し、真剣に祈る教会こそ、現代で最も必要とされている教会なのである。

14節 「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

これは気休めの言葉ではなく、必ず実現するとイエスが約束された確約である。

イエス・キリストの戒めを守る方法は単純明快

15節 「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。」

イエスの戒めとはイエスが私たちを命を犠牲にするほど愛して下さったように、私たちも目先のことに煩わされず、徹底して相手を赦し、受け入れ、憤らず、裁かず、非難せず、愚痴をこぼさず、陰口を言わず、常に相手の祝福と霊的成長を徹底して祈ることにほかならない。これは聖霊の助けがあってこそできることである。聖霊の助けを真剣に求めない者は決してこれを実践することはできないのである。それほど単純明快なのである。そして、このことをイエスからその信仰を教会の土台とすると言われたペテロが聖霊降臨日に実践して見せた。自分たちの愛する師を虐殺し、自分たちの命も狙おうとしていた人々に対しても、ペテロは聖霊に満たされて福音宣教をしたのであった。その日三千人がイエス・キリストこそが神が遣わされた人類を罪とその呪いから救い出す唯一の救い主であることを信じてバプテスマを受けて信者に加わったことが記されている(使徒行伝2:41)。これはイエスが生前になし得なかった神のみ業であった。

イエスの約束はその後いかに実現し続けているのか

イエスの十字架のあがないと復活、聖霊降臨から約二千年経った現代でも、この約束は継続している。イエスやペテロ以上でなくても、信仰により、聖霊の助けを心から信じ、奇跡級の事柄を期待して祈ることは非常に重要である。その一例を実体験から語りたい。当時私が名古屋市の平針教会にいた頃(同じ時期に北九州教会も新会堂建築を計画していた時期であるが)、新会堂実現を夢見て様々な協議を教会員たちと共にしていた。その時に一つの切実な願いであり、教会員の悩みである事柄が存在した。駐車場の入り口が狭く、鋭角に曲がりながら入っていかなければならなかったため、多くの人がそこで愛車を擦って傷つけていた問題である。

そこで駐車場入り口の門も拡張したいと切に願ったのである。ところが、片方は敷地の角に近いところであり、もう片方には電柱があったため、物理的に拡張ができない状況があった。建築案と予算を決定しなければならないタイミングであったが、神のわざが起こされることを願い、解決の道筋が与えられるようにと教会員で真剣に祈ることになった。すると間もなく役所から電話があって、教会の入り口にある電柱を老朽化のために移設工事をしたいとの連絡が入って来たのである。ハレルヤ。

これはうそのような本当の話である。常識からすれば、あきらめるほかない状況だったが、神のみ業を信じて祈る時、神にしかなしえない奇跡を体験することは現代でもできるのである。イエス・キリストの希望に満ちた約束の言葉は現代でも有効である。後は私たちがそれを信じて実践するのみ。その勘所は自分たちの力でできることを祈るだけでなく、自分たちに不可能だと認識していることを祈りに加えることである。
今年度北九州教会が掲げた使徒行伝9章31節「こうして教会は…平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。」という年間主題聖句は聖書の約束である。これは北九州教会の明日の姿であることをもう一度真剣に受け止めつつ、新年を迎えて行こう。

2024年12月29日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「罪からの完全開放④ 無限の希望の主」

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