洪水物語④ 選ばれた生き物たち
はじめに
ついに箱舟が完成しました。大雨が始まるまであとわずか。その時、神様が何を考え、何をノアに語り、ご自身でもどう行動にでられたのか。いつも以上に言葉数が多い神様。そこにある神様の思いと配慮を汲み取っていきましょう。
神に義と認められたノア
創世記7章1-10節(8p)
7:1 主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである。
「正しい人」、これは完全・完璧な人だという意味ではない。罪を犯さないで生きているという意味でもない。ヘブライ語ではツァディーク、日本語聖書では「義」と訳されることが多い単語。
「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ福音書6章33節)のイエスの教えも思い出す。 神の義を探し、真剣に祈り求め、理解する努力と時間を惜しまない時、徐々に神の義が理解できるようになる。神の義を理解するということは、聖書で最も重要な概念であるが簡単に理解できるものではない。神の義を知るために真摯に時間を割くことなしに、神の義は理解できない。また、これを理解することを怠り、無関心でいる者は、神に義と認められることは難しい。
神が天地創造以来、最優先事項として取り組み続けていることこそ、神の国を共に実現させる人々を育成することに他ならない。そのために貢献することが人間の使命。第一に理解すべきは、神が望まれている御国とはどういう生き方をすべきなのかを理解し、それにふさわしく生きることである。世の中の現実といかに神が導こうとされている国が違っていたとしても、妥協せず、神の国に生きるように招かれている我ら。その自覚を持ち、神の国の住人らしく=クリスチャンらしく=時には外国人(よそ者)であるかのように思われることを覚悟で、神の国を目指す旅人のように生きることが求められている。信仰の父と言われるアブラハムの生涯はその模範である。
神に義と認められる生き方とは、神の義を求め、実践することをいとわないで生きること。それを実践し続けることが難しいことを理解し、自分の力では不十分であることをわきまえ、神の側でも約束を果たして下さることを信じ、神により頼んで生きることに他ならない。
ノアは、神と共に歩まなくなる世の中にあって、神の御心に生きる選択をし、神に喜ばれる生き方を選び取ろうと努力することをいとわなかった。失敗し、挫折したこともあったのではないか。それでも、悔い改めては努力を続ける人生を送り続けたのがノアだった。だから、神に義と認められたのである。
神がノアに準備させた生き物たち
7:2 あなたはすべての清い獣の中から雄と雌とを七つずつ取り、清くない獣の中から雄と雌とを二つずつ取り、7:3 また空の鳥の中から雄と雌とを七つずつ取って、その種類が全地のおもてに生き残るようにしなさい。
神が特別にノア自身に用意するように指示した生き物たちがいたことに注目したい。それらは神が箱舟まで誘導した生き物たちと何が違うのだろうか。鍵となるのが「その種類が全地のおもてに生き残るようにしなさい。」と神が理由を説明した部分である。「その(同類の)種類が」と神は語ったのであって、逆に言えば、ノアに用意させる生き物たちは全地のおもてに生き残ることが目的ではない生き物ということ。これについては洪水後の8章20節にヒントがあるので、そこを参照されたい。聖書には読み飛ばしてしまいがちな箇所が非常に多いので注意が必要である。
神の言葉から読み解く神の心情
7:4 七日の後、わたしは四十日四十夜、地に雨を降らせて、わたしの造ったすべての生き物を、地のおもてからぬぐい去ります」。7:5 ノアはすべて主が命じられたようにした。
この箇所を別の観点から読むことができる。「わたしの造った」つまり神が愛情と使命を与えてこの世に存在させた生き物たちだったということ。その生き物たちが期待を裏切り、神の愛と自分たちの使命を忘れて生きるようになった。彼らがこの機会に生き方を悔い改めなければ、地のおもてからぬぐい去らざるを得ないと言われる神の心中はいかほどであったか。7日かけてノアとその家族が箱舟の中を整えながら、神が箱舟に導いた最後の生き物たちが入っていく。何十年と全世界にノアを通して警告して来た人類の生死を分ける日が後7日まで迫っている。その後は神の悲痛を表す四十日四十夜の雨が。ノアは神の命令に黙々と従い続けた…
数字と言葉に隠れた様々な神の配慮
7:6 さて洪水が地に起った時、ノアは六百歳であった。7:7 ノアは子らと、妻と、子らの妻たちと共に洪水を避けて箱舟にはいった。7:8 また清い獣と、清くない獣と、鳥と、地に這うすべてのものとの、7:9 雄と雌とが、二つずつノアのもとにきて、神がノアに命じられたように箱舟にはいった。7:10 こうして七日の後、洪水が地に起った。
こうして洪水が始まることになる。8節で区別されている清い獣と清くない獣とは、食用として食べることが許されている動物とそうでない動物という区別だと考えて間違いないであろう。詳しくはレビ記を参照されたい。
この時、ノアは600歳だった。アダムが誕生した年代を創世記元年だと仮定した時、5章にあるノアまでの9代の後継者たちが生まれた時の年齢を元に計算すると、読んでいるだけでは分からない事柄が浮かび上がってくる。実はこれらの情報から洪水が起きたのは創世記1656年という計算になる。ノア誕生までに亡くなっていたアダムとセツとエノクを除くと、ノアの誕生後に4人の祖父たちが生まれた順に長寿を全うして亡くなり、残るノアの父レメクは洪水の5年前に777歳で亡くなり、祖父メトシェラは洪水の直前に人類最高齢の969歳で亡くなったことが判明する。現代の常識が通じる年表ではないにしても、この年表には矛盾らしきものは見当たらない。むしろ6章の系図や7章以降の様々な数字もすべて何らかの神の意図が背後にあることを示唆していると思われる。
時代が神の存在と教えを忘れて生きる生活様式にすべてが染まっていくただ中で、神の大いなる導きの元に粛々と救いのご計画が進んでいく姿がこの箇所で語られているのである。9節で語られている通り、神が動物たちを箱舟まで導いたのである。そして、それぞれが従順に箱舟の中に入っていく姿が報告されているのである。どんなに調和と統制が取れた生き物たちだったことだろうか。神が導き入れたいと願われる神の国の片鱗が垣間見えるのではないだろうか。
2025年2月09日(日) 北九州キリスト教会宣教題
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