洪水物語⑤ 全世界が滅んだ証拠
はじめに
創世記のノア洪水物語までを「神話」とし、実際に起きた出来事ではないと解釈する人もいます。しかし、非現実的だという理由でこれらを「神話」として片づけてはなりません。マタイ福音書19章26節でイエスが語られた「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない。」との理解は信仰の根幹に関わります。ノアの洪水物語が神話なら、イエスの処女降誕も、三日目に復活したことも「神話」だと聖書のあらゆる奇跡を捉えなおす引き金になります。聖書には、歴史的事実として信じ難い内容が確かに存在します。中にはたとえ話としてはじめから語られている箇所も確かにあります。しかし、多くは神話として片づけてはならないのです。
神の存在自体、簡単に証明できるものではありません。証明できないからという理由ですべて神話だと片づけるならば、神が人類を罪とその呪いから永久に救い出そうとしておられるという聖書の中心主題も人間による創作になってしまいます。キリスト教信仰においては、イエスが行われた奇跡やその他の信じ難い聖書の奇跡の物語が実際にあったと信じることに意味があるのです。
ノアの物語のように、全世界を覆い尽くす大洪水が起きたことを仮に証明できなかったとしても同じです。そもそも世界規模の洪水が「起きなかった」と証明することもできないはずです。ノアの洪水物語が極めて非現実的な内容だということは確かです。それでも、ノアの時代に世界中の山々を完全に覆い尽くす類を見ない洪水が実際に起きたと信じることは聖書信仰の要なのです。
全世界が水で覆われた本当の原因
創世記7章11-24節(8p)
11節 それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、12節 雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。
この箇所には見落としてはならない内容がある。世界最高峰のエベレスト山さえも沈めてしまったとされる過去に一度切りの大災害。それは11節下線部分にあるように大雨だけによるものではなかった。「大いなる淵の源」つまり地上と海底の至る所から水が噴出したことが原因だったと聖書は語る。これは単なる水ではなく、熱水が混じっていたかも知れない。世界中の氷河と高山の雪解けによる海面の上昇などたかが知れている。世界の海と湖の水温の上昇で相当量が蒸発して集中的に雨を降らせても、世界中の山々が水で覆われることは考えにくい。しかし、その常識を11節は始めから承知していたことを伺わせる。世界中の山々までが海中に沈んだ原因は、地中の膨大な水源からの水の吹き出しがもたらした空前絶後の大災害であったと聖書は端的に説明しているのである。最初に大いなる淵の源がことごとく破れたことが原因で世界規模の洪水が起き、急速な勢いで陸地を覆い尽くしていった。それに連動して天の窓が開けて四十日四十夜雨が降り続いたと聖書は語っているのである。(注①、②)
神の招きに従った「命の息のある」ものたち
13節 その同じ日に、ノアと、ノアの子セム、ハム、ヤペテと、ノアの妻と、その子らの三人の妻とは共に箱舟にはいった。14節 またすべての種類の獣も、すべての種類の家畜も、地のすべての種類の這うものも、すべての種類の鳥も、すべての翼あるものも、皆はいった。15節すなわち命の息のあるすべての肉なるものが、二つずつノアのもとにきて、箱舟にはいった。
この箇所で注目したい点が二つある。一つは既に述べたことであるが、15節後半の表現によれば、動物たちは神の導きによって箱舟のところまで自分たちでたどり着いたということ。神が大洪水が開始するまですべてをタイミングよく導かれたことが表現されているのである。
もう一つは、15節で用いられている「命の息のある…もの」と「肉なるもの」という言葉に注目したい。聖書では「命の息」は神から預かった命を指す。我々の魂と関連があるものとして用いられる言葉。「肉なるもの」は生物学的に生きている肉体を指す。箱舟に入ることができなかったものたちとは、既に神から預かった命(霊的な神との関わりを豊かに持つための命)を軽んじて風前の灯になっていたか、生物学的には生きていても命の息を既に失っている状態だったと聖書は暗示している。対照的に箱舟に導き入れられた生き物たちはこの点で違っていたのである。すべての生き物は、神と交わり、霊的に意思疎通をするために「命の息」を預かってこの世に誕生する。それは、適切に用いなければ消滅しかねない「命」なのである。創世記2章7節および6章3節を読み、この箇所と合わせて黙想されることをお勧めしたい。(注③)
最後まで協働される神
16節 そのはいったものは、すべて肉なるものの雄と雌とであって、神が彼に命じられたようにはいった。そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた。
さりげない表現だが、重要な表現がここにもある。これまで神ノアに洪水への備えを指示し、自らも動物たちを安全に箱舟までの長距離を誘導してきた。聖書は最後の最後の場面でも神が自分の側で果たすべき役目を果たされたと語っている。四十日四十夜の激しい雷雨が混じった悪天候が予想される航海に備え、神は万全の封印を施された。神の手によって箱舟の戸は閉ざされたのであった。
現代に生きる我々も、洪水前の人類と同じ問いの前に立たされている。神の招きに従い、命の息を絶やさないように神と共に生きることができるのか。現代版の箱舟とは教会を指すと言えるかもしれないし、最終的に神が導き入れて下さる天国と表現できるかもしれない。今の時代はかつてないほど、全世界が人間の過ちによって瞬く間に滅びかねない時代となっている。このような時代だからこそ、ノアの洪水物語は我々に多くのことを示しているのではないだろうか。そして、神の救いのご計画は今もなお、継続中なのである。
- 注① 箱舟に関する参考ネット動画)Beware —This Will Change Your Mind on Noah’s Ark – YouTube
- 注② 近代の調査により、世界最高峰のチベットの山々にも貝殻をはじめとした海にしか生息しない生物の化石が広範囲に渡って発見されている。これを世界規模の洪水が起きた証拠と見ることもできる。
(参考ネット動画)Evidence of the flood of Noah(その他、魚が口に獲物を加えたままの化石、胎児が残ったままの化石、クラゲや虫の化石など、短時間で地中に埋もれて土砂が大量に被さって高圧力がかからなければ現代まで残り得ない化石が世界中で発見されている事実が、極限レベルかつ地球規模の大洪水が起きたことを裏付けていると伝えている。単なる突然死ならば完全に風化する。) - 注③ 創世記2章7節「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」創世記6章3節「そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。」
2025年2月16日(日) 北九州キリスト教会宣教題
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