キリスト教特有の教え⑤ 新しく生まれ変わる

じめに

キリスト教ならではの教え、第五回目は聖書に精通していたニコデモというユダヤ人指導者との問答です。ポイントは2節にニコデモが夜にイエス様を訪ねて来たという点です。直前の2章によれば、イエス様は神殿に行くなり神殿内で不正な商売をしている人々の台をひっくり返すなどして商人たちをひどく叱責しました。このことで、それを許可していたユダヤ人指導者たちから敵視されはじめていました。

しかし、イエスを敵視する指導者たちばかりではありませんでした。イエスの教えに心惹かれ、もっとイエス様と関わりを持ちたいと願う人々もいました。ニコデモもその一人でした。そこで人目を忍んで夜にイエス様に会いに行ったのが今回の物語の背景です。今回の箇所は聖書の中で最も理解が難しい教えの一つです。同時にニコデモがかねてから知りたいと願っていたものでした。

刀直入に本題に入るイエス

ヨハネ福音書3章1-7節(138p)

1節 パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった

2節 この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」

3節 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。

ニコデモはイエス様に会うとすぐに敬意を込めた挨拶をしますが、イエス様はそれには応えず単刀直入に本題に入ります。イエス様はニコデモが最も知りたいことが何であるかをご存知でした。

イエス様の会話は「よくよく」から始まっていますが、これまでも強調して来たように、イエス様が特別な聖書の真理を語る時に用いるキーワードです。ギリシャ語では「アーメン、アーメン」で始まっている会話です。これを用いる時は最大限の注意を払う必要があります。特に重要な原則を話す時の特徴だからです。

よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない。

水と霊とから生まれるとは

4節 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。

ユダヤ教の世界では輪廻転生などの思想は存在しません。ニコデモは率直に「新しく生まれなければならない」とはどういう意味かと質問します。

5節 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない

6節 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である7節 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない

人は一生の間に二度生まれなければならないと教えられました。一回目は出産を経て肉体的にこの世に生まれて来る時。二度目は霊の世界(領域)において新しく生まれることだと教えられました。これを「アーメン、アーメン」で再度強調しました。次の4章でイエス様は次のように井戸水を汲みに来た女性にこう語っています。

「…この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」 ヨハネ4章13-14節

と霊とから生まれる」とは、イエス・キリストと聖霊が果たす唯一無二の役割のことです。「」はイエス様だけが与えることができる罪を完全にあがなう命の水が深く関与する霊のバプテスマ。「聖霊」とは、聖霊の伴走によって神の御心を本格的に理解して歩み始める霊のバプテスマを指します。5節後半で語られた「神の国にはいる」ためには、この特別な霊のバプテスマが不可欠とだということです。この霊のバプテスマを受けた者は泉のようにその人を徐々に潤していき最終的には永遠の命に至るとイエス様は保証されました。

神の国と命の水=永遠の命との関係

当時のユダヤ人たちは聖書の教えを守っていればいつか永遠の命が手に入ると理解していました。ただし、どれだけ真剣に聖書を学び、実践していても、それを手に入れたと確信することができないでいたのです。また、それがどんなものなのか正確に理解していなかったのです。そこで彼らはいつも議論し、より確実に永遠の命を得る方法を探し求めていました。

イエス様はこのことをヨハネ福音書5章39節と24節で次のように語っています。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。」

よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」

順番を逆にして先に39節から説明すると、聖書は確かに永遠の命について教えていますが、永遠の命とは、神の御心に完全に従って生きているわたし=イエスを指すのだと教えられました。

第二に24節で、永遠の命を受ける条件とはイエスこそ神が聖書を通して遣わすと約束しておられた(神の御心に完全に従って生きていけるように導いて下さる)救い主だと信じることだと明言しました。

第三にイエス様を救い主と信じて従う者は、死んでからではなく、この世に生きている間から永遠の命を受けていくと宣言されました。それは先に言及したように、立ちどころに実現するのではなく、泉のように永遠の命の水は湧きあがり、時間をかけて成熟へと導びくという意味です。

第四に永遠の命(命の水、わきあがる泉)は、あまりにも強力なので、罪とその呪いの影響から解放し、永遠の裁きからも救われるとイエスは宣言されました。このようにしてイエス様のご支配の中に移された者は「死から命」すなわち永遠の滅びと呪いから永遠の命と祝福に移されたことを体験できると教えられました。

神の国に生きる幸いをその後も体験したニコデモ

この時のイエス様との会見以来、ニコデモの人生は変えられました。ヨハネ福音書7章にはユダヤ人たち指導者が集まってイエスを有罪に処す議論が展開します。その中でニコデモは勇気を奮い立たせてイエス様を弁護する発言をしています。

19章39節でもニコデモは十字架につけられて息を引き取ったイエスのために大金を出して主イエスの遺体に施す没薬などを提供しています。自分の身の危険や議員生命を顧みずに行ったことでした。かつての人の目を避けてイエスに会いに行ったニコデモとは別人になっていたのです。

彼もまた新しく生まれ変わった人、また神の国に生きる幸いを見出した人だと言えるでしょう。私たちもニコデモに続く者でありたいと願わされます。

2025年8月10日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「キリスト教特有の教え⑤ 新しく生まれ変わる」

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