キリスト教特有の教え⑥ あがないと目的

ヨハネ第一の手紙2章2節(376p)

じめに

キリスト教において「あがない」という言葉は最重要語であり、聖書の核心部分です。それにも関わらず、これを説明することが難しいと感じる人は多いのではないでしょうか。それは「あがない」という言葉の説明そのものが難しいことにあります。また「罪と裁き」について理解する必要があるからです。これによって既に取り上げたもう一つの最重要語である「救い」についても理解が深まることでしょう。

罪と裁き…

聖書で言う罪とは、神様に対して罪を犯すことをいいます。法律などを破った時の罰則は法律に従って裁かれるように、神に対して罪を犯した者は聖書に記されている基準によって裁かれます。「罪」とは神様の創造物である人、生き物を問わず、それらの命の尊厳を踏みにじる行為を指します。また、神の創造物から生きる希望を奪う悪意あるすべての言動を含みます。そして、多くの人が過小評価しがちなのが神に対する無関心と不服従という根源的な罪です。

これらは、初めて神の教えに背いた人類の始祖であるアダムとエバの時代から現代に至るまで全人類に影響を与え続けている罪です。この世に「死」、「腐敗」、「痛み」、「憎しみ」、「老い」、「災害」、「戦争」が存在するようになったのも罪が起源だと聖書は証言しています。これらはすべて神が預言した罪の結果としての「裁き=神様に背き、罪を犯した報い」の一環です。これらを物語形式でわかりやすく説明しているのが聖書のはじめの書である創世記です。

しかし、この世では神に対して罪を犯してもすぐに「裁き」を受けないこともあります。神が定められた世の終わりの時になって初めて最終的な「裁き」が行われる事柄もあります。具体的な例として、他の人にばれなかった罪や、権力などを利用して罰せられなかった罪に対してもこの時に必ず裁かれます。そのため、私たちは神様が必ず公正かつ最終的な裁きを行って下さることを信じ、常に神様に対して誠実であることを心掛け、人を恨んだり、復讐心に捕らわれないようにする必要があります。そこで最も重要になってくるのが「あがない」の理解なのです。

あがないとは…

あがないとは、神様がこの根本問題を人間に代わって解決して下さることを言います。言葉で言うのは簡単ですが、それは想像を絶する神の側の犠牲の上に成り立つ罪と裁きからの救いだと聖書は教えています。

輸血を例に取り上げたいと思います。大量の輸血を必要としている瀕死の病人がいるとします。その人が助かるためには病気などに感染していない汚れなき血液や血清が必要です。それが手に入らなかったら病人の回復は絶望的です。神に対して罪を犯し、裁きを避けられない人類は輸血ができない絶望的な病人と同じです。そこで神様は人間の姿でこの世にこられ、生涯を通して一度も罪を犯さないという例外的な人生を死ぬまで貫きました。キリストこそ罪に汚れていない血液をお持ちのお方、あらゆる裁きを招く根本原因に有効な血清を与えることができるお方なのです。

これがイエス・キリストです。この救い主の汚れなき血潮が罪と裁きから救われる希望なのです。イエス・キリストは信じる者たちに罪と裁きに打ち勝つ有効な血清を含んだ汚れなき霊的な血液を輸血できる人類唯一の救い主なのです。

また輸血のために血液を提供した者は一定期間体力を回復してからでないと再び血液を提供できないように、イエス・キリストが数えきれない人々に霊的な血液を提供するためには途方もない犠牲を払う必要が神様の側にはあると言ったのはこういう理由です。私たちが罪と裁きから救われるためには神様の側での途方もない犠牲があってこその救いなのです。それでも神様は人類を見捨てず、救いに至る道を整えて下さったのです。

*ヨハネ福音書3章16-17節

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」

*ローマ人への手紙3章23-24節

「…すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」

*ガラテヤ書3章13節

キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木(十字架刑)にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。」

*コロサイ人への手紙1章14節

わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。」

*ヨハネ第一の手紙2章2節

彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。」(本日の主題聖句)

あがないの目的

神様のこの途方もないあがないの最終目的は、御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためです。永遠の命とは、イエス・キリストのあがないによって罪と裁き、またすべての呪いから解放された状態で天国で永遠に幸福に生きる者となることです。しかも、天国ではだれもが聖なるキリストの光をあびながら永遠に罪を犯すことなく生きる者となるのです。この最終目的のために神様は世界を創造されたのです。この世では、罪の誘惑とその結果を避けて通れません。そのため、何よりも重要なのはイエス・キリストを救い主と信じる時に与えられる聖霊の力=霊的な血清をいただいて生きることです。一人でも多くの人がイエス・キリストと聖霊の祝福に満ちたあがないの人生を体験できるように心からお祈りいたします。

2025年8月24日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「キリスト教特有の教え⑥ あがないと目的」

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