世の終わりシリーズ① 前兆と携挙

じめに

前回のシリーズでは葬儀関連と死んだ直後の人間の魂について学びました。次の関連主題として、今月は私たちが住む地上世界がどのように終わりを迎えていくかについての聖書の預言を見ていきます。聖書は最終的な新しい天と地が実現する前に、大きく分けて3つの特筆すべき段階があると教えています。7年間の大患難時代、千年王国、そして最後の審判です。その最初である「7年間の大患難時代」に突入するまでに起きることについてイエス様は次のように弟子たちに語りはじめました。

最後の7年間

マタイによる福音書24章1-14節(39p)

1節 イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。2節 そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。3節 またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」

「世の終わり」「終わりの時」「終末」という様々な呼び名で語られてきた地上世界が消滅し、聖書が預言している新しい天と地が実現するまでの出来事。その最初の重要な時期とされるのが旧約聖書のダニエル書7章~12章までの終末預言の中の「最後の7年間」に関する預言です。

ダニエル書9章24節 「あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。25節 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。」

この箇所を注意深く読むと24節で七十週が特別な期間だとわかります。しかし、その直後の25節には七週+六十二週=六十九週にしかなりません。ここに一週分が不足しているのです。預言書では一週は7日×年で7年と再計算することが可能なのです。このことから、千年王国が開始する直前に「最後の7年間」が再始動するとの解釈があります。ヨハネの黙示録11章にその残された最後の7年間だと思われる期間のことが書かれています。そこでは四十二ヵ月という数字と、千二百六十日という数字が出てきます。これはどちらも3年半であり、二つ合わせて7年になる計算です。この最後の7年間の大患難時代が到来する前に、イエス様は弟子たちに前兆があることを理解するように教えられたのです。

7つの前兆とは

4節 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。5節 ①多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう

6節 また、②戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。7節民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。8節 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである

9節 そのとき人々は、③あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう

10節 そのとき、④多くの人がつまずき、また互に(信徒同士も)裏切り、憎み合うであろう

11節 また⑤多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。12節 また⑥不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。13節 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる

14節 そしてこの⑦御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである

わかりやすくするために前兆に何が起きるかを①~⑦までの傍線でまとめました。すべてが既に歴史上起きたか、進行中だということがわかるのではないでしょうか。七番目の全世界への伝道も今では国単位ではなく、少数民族単位まで絞られました。日本では戦国時代のキリスト教禁制時代の大迫害を除けば、クリスチャンが命を犠牲にしなければならないほどの状況だとは言えませんが、世界的には最近アメリカで暗殺された大学生に多大な影響を与えていたチャーリー・カーク氏のように、様々な国でクリスチャンが標的にされ、殺害される悲劇は起き続けているのです。

残すは、わずかな未完の預言のみ

多くの研究者が今一番注目している残された重要な今後起きるべき預言の一つは、最後の7年間が始まる次期にエルサレムにおいて神殿祭儀が再開されるとの理解です。1948年にイスラエルが約1900年ぶりに歴史の表舞台に復活したものの、エルサレムの神殿跡地にはイスラム教のモスクが現在建っています。そこはイスラム教にとっては教祖ムハンマドが天に召天された特別な聖地として重要視されています。従って、そこにかつてのエルサレムの神殿を建てることは不可能と思える状況です。しかし、聖書の終末預言が成就するためには、まずこの難問が解決される必要があります。
近年イスラエルでは、いつでも神殿祭儀が開始できるように必要な祭具や特別に用いる赤い牛などの準備が進み、儀式を行うための祭司のリハーサルも入念に行われていると聞きます。後はイスラム教側とこの問題の解決ができるかどうかにかかっているのです。そうなれば、ダニエル書の終末預言、最後の7年の大患難時代に関する条件がすべて揃うことになります。

聖書が預言する最後の大患難時代は携挙から始まるという有力な説

終末預言には様々なシナリオが存在しますが、私は大患難時代の冒頭にイエス様も24章で預言した携挙が起きると考えています。これについては次回の箇所で詳しく取り上げますが、世界中のクリスチャンがラッパの音のような音が鳴り響く中で突然地上からいなくなるというSFさながらの出来事が起きるとの預言です。このようなことが実際に起きたならば、どんなに世界は大惨事と混乱に見舞われることでしょうか。これは大患難時代の開始の明確な合図になると思います。

様々な場面で分断が起き、互いに誹謗中傷しあい、憎み合って喜ぶのは悪魔だけ

最後に10節と12節の預言に触れたいと思います。「そのとき、④多くの人がつまずき、また互に(信徒同士も)裏切り、憎み合うであろう。」「また⑥不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。」現代は同じ国民同士、宗教同志、団体同士でも争いと陰謀が絶えず、お互いへのリスペクトが出来ない世の中になってきているのではないでしょうか。

この度の自民党の選挙においても、あるいは世界の紛争においてもかつてない分断が生じているように思えてなりません。こういう時代だからこそ、お互いに神様の御前では誤り多き存在だということをわきまえたいと思います。そして罪そのものは憎み、罪人本人は悔い改めることを信じて最後まであきらめなかったイエス・キリストの姿に真の解決方法と希望を見出していければと願わされます。ユダヤ教の秋の祭がはじまったこの時期、共に世界平和のために祈りましょう。

2025年10月5日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「世の終わりシリーズ①前兆と携挙」

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