イエスの父ヨセフ

マタイによる福音書2章13-23節(2p)(40p)
(今回の聖書箇所は宣教の最後に載せています。上のリンクをクリックしてご覧ください。)

はじめに

クリスマスの時期によく教会で語られるのはイエスの降誕物語、羊飼いたちや東方の三人の博士たちの物語です。しかし、もう一組忘れてはならないのがイエスの父と母です。今回はクリスマスの時にあまり取り上げられることのないイエスの父ヨセフと幼子のイエス親子が人知れず背負った十字架に焦点をあてたいと思います。イエスの降誕物語の箇所にどのような十字架が描き出されているのか早速聖書に聞いて参りましょう。

ヨセフが背負った十字架

マタイ福音書1章~2章にかけて天使がヨセフに夢の中で三度現れています。最初は1章20節でヨセフが突然身重になった許嫁のマリヤを離婚すべきかどうか悩んでいた時でした。天使はマリヤの妊娠は神の聖なる霊による出来事であって、決して聖書が禁じているような理由による妊娠ではないことを告げます。そしてマリヤを予定通りに妻に迎え入れるように告げます。この時のヨセフの狼狽ぶりは計り知れないものがあったことでしょう。自分が見た夢が本当に神から来たものかどうか疑ったとしても不思議ではありません。しかしここに彼の性格の一面がよく表れているように思います。19節でも「…ヨセフは正しい人であったので…」とある通り、彼は夢のお告げとマリヤの純潔を信じて結婚に踏み切るのです。この時代、婚約中の妊娠は親戚一同の恥とされる事柄でした。ましてマリヤの家系は由緒ある祭司の家系だったので、許嫁のヨセフの責任は重大であり、彼はマリヤをかばう代償として親戚中の非難を受ける覚悟が必要だったのです。これがヨセフが最初に背負わなければならなかった十字架です。

続いて天使が夢で表れるのは今回の聖書箇所冒頭13節。領主ヘロデ王が自分と子どもたちの地位を脅かしかねない特別な子どもが誕生したとの情報を聞き、ベツレヘム一帯の2歳以下の子どもたちを虐殺する命令を出した時のことでした。この時も天使が夢に現れてエジプトへ逃げるように命じます。この時もヨセフは夜明けを待たず、夜の内にすぐさま行動したことが語られています。しかし、これも大変な覚悟が必要だったことでしょう。異国の地へ妻とあどけない息子を連れての突然の移住。そこでの生活も困難を極めたことでしょう。これもヨセフが背負った十字架でした。

三度目の十字架というのは2章19節以下に語られている故郷への帰還の物語の箇所です。この箇所が明らかにしていることは、ヨセフがエジプトへ逃げ延びた後にヘロデ大王が行った幼児大虐殺を知っていたという事実。そして、自分の故郷であるベツレヘム一帯はその息子アケラオが統治していることを知り、前途に待ち構える新たな十字架を覚悟したのです。イスラエルへの帰還を決行したのは、三度目となる夢の中での天使のみ告げがきっかけでしたが、彼は改めて自分の本来の故郷であるベツレヘムへは戻れないことを悟ったのだと思います。そもそもベツレヘムは数年前に親族の中にも自分の子どもの赤ん坊もヘロデ大王によって虐殺された地域でした。息子の年代の子どもがごっそり抜けている場所に戻って行けば、愛児を殺された多くの親からどんな目で見られるかわかったものではないこと。また、ヨセフ親子がどれだけそこでは目立ってしまうか心配したに違いありません。すぐにその情報は新しい領主の耳に入ることを恐れ、ベツレヘムに戻ることを断念したものと考えられます。この時もう二度と故郷へは戻れないと覚悟したヨセフ。それが三つ目の十字架です。

子ども時代からイエスが背負った十字架

今から約2千年前にこの世に生まれたイエス・キリスト。彼は生まれた時から命を狙われて両親と共にエジプトへ国外退去せざるを得ませんでした。しかも、自分がこの世に生まれたために同世代の子どもたちが大勢ヘロデ大王の魔の手にかかって死ななければならなかった事実を生涯背負って生きなければならなかったのです。別の言い方をすれば、自分がいなければ殺されずに生き続けることができたであろう大勢の同世代の子どもたちがいる。それがどれほど少年時代からイエスにのしかかっていったかということです。

自分など生まれてこなかった方が世のためであったと自分を責めざるを得ない人生から始まったのがイエス・キリストにとっての始めてのクリスマスだったのです。人生の最初期からその小さな体と心に十字架を背負っての人生の始まりだったといえます。

少年イエスが成長するにつれてなぜ自分の家族が生まれ故郷のユダヤのベツレヘムに戻って生活できなかったのか。そしてなぜ外国人が多く住むガリラヤのナザレに住むことになったのか。その背後には過去の悲しすぎる出来事でイエスには悩んでほしくないとの親心を子どもながらにイエスは敏感に感じ取っていたであろうと想像します。

イエスが十字架刑に処せられた時に有名な言葉の一つがマタイ福音書27章46節の「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」です。これと対をなすのがイエスが幼い時から神に祈らずにはいられなかった切実な神への訴え…「わが神、わが神、なぜ私だけをお救いになったのですか。…」

存在そのものが罪と自覚して生きなければならなかった少年イエス

イエス・キリストにとっての地獄は十字架刑だけではなかったのです。生まれた時から背負い続けた生き地獄があったのです。しかし、その十字架こそが神がはじめから用意されていたイエス・キリストの人生だったのです。旧約聖書のイザヤ書53章は「苦難の僕」という題名でキリストの十字架刑を預言する箇所として有名です。しかし、その聖句は様々な点で少年イエスにも当てはまるのではないでしょうか。特に3節で「彼は…悲しみの人で…」とはイエスの人生の始まり方そのものではないでしょうか。そしてイエス・キリストの生涯は同じような悲しみ、苦しみ、絶望を抱くすべての人を代表しているのです。このような苦しみから永遠に救い出し、解放する救い主として御子イエスをこの世に遣わされた。それがクリスマスのもう一つの一面だということを忘れないようにしたいと思います。

2025年12月14日(日)  北九州キリスト教会宣教題
「イエスの父ヨセフ」

礼拝動画はこちらからご覧ください。

(今回の聖書箇所)
マタイによる福音書2章13-23節(2p)

13 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
14 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
15 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

16 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。17 こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。18 「叫び泣く大いなる悲しみの声が ラマで聞えた。 ラケルはその子らのためになげいた。 子らがもはやいないので、 慰められることさえ願わなかった」。19 さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、20 「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。

21 そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。22 しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、23 ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

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