目からウロコの創世記シリーズ① 天地を創造した神

創世記1章1節(1p)

 「はじめに神は天と地とを創造された。」

じめに

書籍の「はじめに」を読むと、著者の執筆動機や目的がわかります。この役割を聖書で果たすのが、最初の書である創世記の第1~5章です。通常の書籍とは違い、聖書の各章は短く、5章までわずか6頁ほどです。口語訳聖書では旧新約合わせて1,735頁にもおよびますが、その膨大な内容をみごとに凝縮し、聖書の中心主題と目的を端的に伝えているのが冒頭の5章です。その内容をひも解いていくのが、新年からはじまる「目からウロコの創世記シリーズ」です。

聖書は「人類への神様からのラブレター」と表現されることがあります。ラブレターの最初の一行は、だれであっても力が入るのではないでしょうか。創世記1章1節も例外ではありません。ここに込められた、神様の人類への思いを共に探っていきましょう。

聖書の中心主題と目的

創世記第1章1節は、明確に「この世界を自分(神)が創造した」という一文から始まり、この世界が神ご自身によって創造されたものであることを明確に宣言しています。これは、仏教やイスラム教、また新約聖書の福音書などが、仏陀、ムハンマド、キリストの生い立ちやその親族の歴史的背景から始めるのと極めて対照的です。

聖書はおよそ1400年(紀元前1200年~紀元100年頃)かけて、幾人もの執筆者と編集者の手を経て完成しました。それ以前の出来事については、長年「口伝(厳選された伝承者から伝承者へと口頭で伝えられ、完全に暗記して継承していく方法)」によって伝えられてきました。大昔の人々にとって、神聖な神様の言葉を文字にすることはタブーだったのです。その後、シナイ山で十戒を授かったモーセによって、旧約聖書最初の5つの書が文字化されました(推定紀元前1200年代)。

モーセの時代、すでにカナン地方(現イスラエルの古い呼称)にはバアル(嵐と豊穣の神)、アシェラ(豊穣の女神)、モレク(男性神)、アシタロテ(愛と戦いの女神)などの複数の神々が存在し、古代エジプトにもラー(太陽神)、オシリス(冥界の神)、イシス(母性と魔法の女神)などの神々が存在していました。

このように多神教が当たり前だった世界観に真っ向から対立したのが、一神教を主張する聖書の神だったのです。「私こそがこの世界を創造した神である」。聖書の最初の一行目は、天地創造の神から全世界への宣言です。人類が忘れてしまった「天地創造の神がどのような存在であるか(聖書の主題)」、そして「どのようにこの世界を創造したのか」を証明していくのが創世記の目的なのです。

天と地の両方を創造したと宣言する神

「天」と「地」には様々な定義が存在します。とは上空の大気圏や宇宙空間を指すこともあれば、一般的には神々がおられる場所を指すこともあります。またとは地上世界、あるいは海や海底を含む地球全体を指すこともあります。

創世記1章1節をはじめ、聖書においても「天と地」は広い意味で用いられています。ただし、多神教のように複数の神々が存在する代わりに、聖書の世界では人間とは異なる天使のような霊的な存在が天におり、必要に応じて地上世界と関わることが許されています。

何よりも強調しておきたいのは、聖書において「天の領域」さえも神が創造されたということです。「はじめに神は天と地とを創造された」という言葉は、神が天と地の「圏外」からその両方を創造されたことを宣言しています。多くの宗教では「神は天の御座におられる」と教えますが、聖書は「天」という場所さえも、神が無から造られたと教えているのです。

見えない神の必然性

私たちは、広大な宇宙の果てまですべてを一度に肉眼で見渡すことが不可能であることを知っています。成人の身体には約37兆個の細胞があると言われていますが、その細胞一つでさえ肉眼で見ることは不可能です。また、太陽を例に挙げれば、地上からであっても直視することは危険ですが、まして宇宙空間では失明するほど太陽の放つ光は強烈です。これらすべてを創造された神様は、被造物とは比較にならないほど「規格外」なお方ですので、肉眼で見ることが不可能なのは当然であり、必然なのです。

「もし神様が目の前に現れてくれたら信じるのに」という声を聞くことがあります。しかし、聖書において神は、肉眼で見ることのできないお方として語られています。ただし神は、霊の世界においては最高に幸福を感じられる「光源」としてご自身を現されると表現されています。また、聖書の神は語りかける神です。その究極の光源から発せられる「神の声」を私たちは聞くことができるのです。この神がどのようにして人間にわかる形でご自身を現されるのかについては、次回以降で詳しく見ていくことになります。

主題を明確にされる神

わずか1頁半の第1章は31の節から成りますが、「」という言葉も全部で31回使用されており、ほぼすべての節に登場します。しかもそのほとんどが主語として用いられています。これは意図的としか言いようがありません。「聖書の一丁目一番地の主題は「」である。」ということが明確に宣言されているのです。

現代においても信心深い人は大勢います。しかし、どれだけの人が聖書が伝える「明確な神についての説明」と「天地創造の目的」を正しく理解しているでしょうか。聖書には、神について知るべきすべての答えがあります。この「目からウロコの創世記シリーズ」が、聖書を通して自己を開示される神を、今まで以上に広く深く理解する機会となりますようにお祈りしています。

2026年1月4日(日)  北九州キリスト教会宣教題
「目からウロコの創世記シリーズ① 天地を創造した神」

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