目からウロコの創世記シリーズ⑤ 第三日:陸地と植物
- 2026.02.14
- 目からウロコの聖書
- 創世記, 創造論と進化論, 種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木, 良しとされた
はじめに
聖書は、神の存在と、神が計画された人生の目的を忘れてしまった人類へのラブレターです。これを証しするために、第一章の冒頭から神は、父・子・聖霊なる三位一体の神として、人類に物心両面で積極的に関わり続けておられる人格(神格)を持ったお方だと主張しています。そして、命を宿した神の言(ことば)によって、神は人類史上最も特筆すべき、地上における六つ(六段階)の創造の業を成し遂げられました。天地創造の前半(三日目=第三段階まで)は、神がこの後に創造する地の生物を育むための環境を整えていかれる段階です。
創世記1章9-13節(旧約聖書1p)
1:9 神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。1:10 神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。
1:11 神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。1:12 地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。1:13 夕となり、また朝となった。第三日である。
第一日、第二日との関係
第一日目に神が地表まで届くようにされた太陽光が、第二日目の大気と海の水の大循環をもたらしたことは前回言及しました。第一日目の出来事が前提となり、第二日の出来事が可能となるのです。同じことが第二日と第三日の間でも繰り返されます。第二日目の大気と海の水の大循環が、第三日になって本格的に雨が降る前提となっています。
この雨は、太陽光を遮っていた大気中の大量の遮光物質を吸収し、それらを加速度的に減少させていくことになります。第一日の地球の大気は、太陽光が海面まで届いたとはいえ、最初期は霧に包まれたような「すりガラス状態」であり、明るくはあっても遠くまで見通せる状態ではなかったと考えられます。第二日になっても大気はかなり湿度が高く、見通しの利かない状態で第三日にバトンタッチされたのでしょう。
私が長い間抱いていた疑問の一つが、第二日には神がその日の出来事を評価して「良しとされた」と語る記述がないことでした。代わりに第三日には二度「良し」と書かれています。今ではこの理由は、大気が第四日目になるまで完成しなかったからだと理解するに至りました。これを念頭に、第三日に起きた地球環境の変化について見ていきましょう。
第三日の二つの出来事…陸地の形成と植物の繁殖
地球が本格的に生命を宿す環境になるために、第三日に神は二つのことに力を注ぎました。第一に、水で全面覆われていた地球に陸地を形成されたこと。第二に、海の中を含めて「地」に様々な種類の植物を繁殖させたことでした。
陸地の形成によってそれまで海にだけ降っていた雨は、陸地を潤すだけでなく、地下に浸透して濾過されるようになりました。その水はやがて泉となり、あるいは湖や川となっていきます。さらにそこに生える植物によって水は清められ、これから登場する生物にとって欠かせない陸における生息場と大気の水を浄化する役割を担うことになったのです。
続いての植物の登場は、光合成を行い、大気中の酸素濃度を高めていく役割を担いました。その結果、大気がより澄んだ状態に向かい、生物にとって最も適したものに変化していったものと考えられます。このように第三日に神が行われた御業により、空気と水が、これから登場する生物の健康と安全のために意図的に整えられていったことを聖書は証言しています。これこそが、聖書が語る「神がこの世界の創造主である」というひとつの証しと言えるでしょう。
種類に従って順に地上の生物を創造された神
三日目、五日目、六日目は、神が計画的かつ段階的に生き物を「種類に従って」創造していかれたことが語られています。植物については大きく分けて二つの目的をもって創造されました。一つは人間の食糧のため、もう一つは海や陸の人間以外の生物の食糧のためでした。
この後の第六日で明確になることですが、人間のためには「種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木」の実が食糧となるように計画されました。これは現代のお米や小麦類、野菜、様々な果樹などです。一方で「青草と、種類に従って種をもつ草」は、人間以外のすべての生物の食糧となるように計画されたのです。
このことから、最初期の生物には肉食動物は存在していなかったと理解されます。この生態系が崩れていくのは、最初の人類であるアダムとエバが罪を犯してからになります。神様が最初に思い描いていた世界には、生物同士が殺し合い、捕食し合う生活形態は前提とされていませんでした。神様が私たちを導き入れたいと願っておられる天国も、この原則が基準になっているのです。
創造論と進化論
聖書には「種類に従って」と書いてあります。これは神様が生き物を当初からそれぞれ特徴ある姿で創造されたことを意味します。つまり、進化論の立場ではないということです。進化論が提唱する「ネズミのようなあらゆる動物の元祖から進化していった」のではないことを物語っています。
たとえば犬と猫は別々に創造され、象やカバも、ライオンやキリンなども、最初から異なる生物として神様が創造されたのです。ただし、犬科の中にはブルドッグやチワワなど数え切れない種類が存在します。猫科にも様々な種類がありますが、同種別は創造の時点では非常に少ない種類だった可能性があります。環境によって変異し、種類が増えていった可能性までは否定するものではありません。
本来、私たち人間にはすべての生き物の命に対する責任があり、そこには動物だけでなく植物も含まれています。世界の創造の初めから、計画的に世界を造られた神様です。私たちも、あらゆる生き物が殺し合わずに済み、また絶滅しないで済む世界となっていけるよう、共に協力し合い、神様に用いられたいと願わされます。
2026年2月8日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「⑤第三日:陸地と植物」
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