和解の極意
イエスは先週取り上げた24節でも和解を実現してから礼拝を捧げよと語られた。そして今回の25節でも和解の必要性を解いておられる。前回は自分から積極的に和解を実現していく話であったが、今回は相手に訴えられて裁判所に向かう危機的な場面設定である。前回はどちらに非があるのかはっきりしない内容だったが、今回は自分に非があることが前提になっているなどの違いがある。イエスはどのような理由で和解がそれほど大切だと繰り返し教えておられるのだろうか。本日の聖句とさっそく向き合っていこう。
斎藤信一郎牧師の、聖書あれこれ