主の臨在を意識して
今回、冒頭で用いられている「自分の義」という言葉は今日の箇所で数回用いられている「施し」に置き換えることができる言葉。自分が持っているもので、誰かの欠乏を補うこと。それが施しである。これは聖書ではとても重要な人間の使命として登場する言葉である。しかし、そんな善行にも落とし穴が存在するとイエスは言う。これを理解することが今回の大事なポイントとなる。
斎藤信一郎牧師の、聖書あれこれ
今回、冒頭で用いられている「自分の義」という言葉は今日の箇所で数回用いられている「施し」に置き換えることができる言葉。自分が持っているもので、誰かの欠乏を補うこと。それが施しである。これは聖書ではとても重要な人間の使命として登場する言葉である。しかし、そんな善行にも落とし穴が存在するとイエスは言う。これを理解することが今回の大事なポイントとなる。
旧約聖書の預言が紛れもなく一言一句、神が人類に与えた預言の言葉ならば、我々人類はどのように神の言葉と向き合うべきだろうか。また、どんな認識を持って聖書と向き合うことが重要なのかをイエスが教えられたのが今回の箇所である。旧約聖書の神の教えは、一つ一つ傾聴するに値する内容なのだということ。現代の自分たちとは関係が薄い教えだと決め付けてはならず、軽く扱ってはならないということである。