十二弟子のアンデレ③ 子どもの架け橋

十二弟子のアンデレ、彼は人々をイエスにつなげていく、架け橋となる弟子であった。そして、特に一人の子どもの人生にイエスとつながる大切な記憶を造ることになる。それがアンデレが果たした大切な役割であった。

集まってきた群衆の健康状態にも気を使うイエス

ヨハネによる福音書6章8~14節(145p)

1節 そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。2節 すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。3節 イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。4節 時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた

ガリラヤ湖畔の近くの小高い山に登ったイエスと弟子たちのところに大勢の群衆が集まったのが今回の場面。そこは人里からある程度離れた郊外であった。

5節 イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。6節 これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。7節 すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。

後で語られているように、そこには男たちだけでも5千人以上集まっていたという。ユダヤ人の三大祭りの一つである過ぎ越しの祭が間近だったため、エルサレムへ移動中の群衆も噂を聞きつけてイエスの元へ集まって来ていたことがわかる。

イエスは彼らのために心に残る教えを与えたいと願った…そして、それにアンデレが大切な役を果たすことになる。

アンデレの言葉の真意

8節 弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、9節 「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。

このアンデレのしたこと、語った言葉がこの後で大きな違いを生むことになろうとは…。この箇所はさらりと読み飛ばしてしまいそうな内容だが、少し想像力を膨らませて検討してみたい。

アンデレはどうやって、子どもが5つの大麦のパンと二匹の魚を持っていると正確に知り得たのであろうか。彼は子どもが持っていた籠の中のパンと魚の個数まで調べたことがわかる。そうだとすると、アンデレはあえて子どもに近寄って、確かめた。その上で、イエスにその情報を正確に伝えたことになる。

9節のアンデレの言葉をあきらめムードで語ったように受け止めることもできるが、もしかするとそれとは逆に、イエスならこれを用いて奇跡を行って下さるかもしれないと期待して報告したのかもしれない。その証拠にアンデレはわざわざ子どもが持っていた食糧を正確に報告した。

彼は初めからあきらめて、報告しないという選択肢もあった。しかし、彼はそうしなかった。9節のアンデレの真意とは…「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。これでここにいる大勢に食べさせるだけの分量にイエスさまならなんとかできるでしょうか」。

今回の奇跡物語はヨハネ福音書が伝える4番目の奇跡。アンデレが自分のまわりにいた人たちの持っている食糧を詳しく調べようとしなかったなら、奇跡は起きなかった。子どもが持っていた籠の中身を調べようとしなかったら奇跡は起きなかった。そして、現実に失望せず、あきらめずにイエスに伝えなかったならば奇跡は起きなかったのである。

アンデレが現状と自分の常識をわきに置き、イエスの可能性を信じたからこそ、起きた今回の奇跡なのではないか。

イエスへの信頼が生むイエスとの出会いの広がり

それが群衆、そして特にこのパンと魚を持参した子どもにとって人生最大のイエスとの特別な出会いに変わっていくことになる。

10節 イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。(女性と子どもを含めるとさらに数千人多かったと考えられる

11節 そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。(単に少しづつ食糧が行きわたったのではない!

12節 人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。(イエスは余ったパンも大切に扱われた
13節 そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。

14節 人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。(この時アンデレがイエスを信じて行動を起こしたことによって、数千人単位で人々がイエスこそ聖書が預言していた救い主ではないかと期待するきっかけを作ったことになる。)

子どもの視点で読み解くと…

これをパンと魚を持ってきた子どもの視点から読み解いて見たい。すると、イエス・キリストはすごい奇跡を起こすことができる人だという驚きだけではなく、「自分の持ってきたパンを用いて、こんな大勢の人に役立つものに変えて下さった」というイエスへの信仰が深まる体験になったのではないだろうか。

「イエスさまはこんなちっぽけな自分でも用いて下さるお方なんだ!イエスさまは凄いな、イエスさまありがとう!」という気づきと感謝の心をその子どもに与えたのではないかと想像する。

アンデレが果たした大切な役割

アンデレがイエスに期待し、それを行動に移したことによって、大勢の人がイエスの力ある業を体験し、イエスが本当に世界の救い主なのかもしれないと期待するきっかけになった。そして、特に一人の子どもの人生にイエスとつながる大切な記憶を造ることになった。それがアンデレが果たした役割。

十二弟子のアンデレ、彼は人々をイエスにつなげていく架け橋となる弟子であった。

みことばからの励まし

イエスの側近三弟子の人選からはずれてしまったアンデレ。それでも自分にできることを誠実に果たしていったアンデレ。そこに私たちも共感でき、また励まされる。イエスは私たち一人一人の長所と短所を含めた個性を大切にして下さる。その神様の御業に期待し、感謝して今週の歩みを始めよう。

今日は子ども祝福礼拝。イエスが用いられるのは大人ばかりではない。子どももそのままで用いて下さる。教会とつながりがある子どもたち一人一人がこれからも豊かにイエスに用いられ、喜ばれるように、彼らの祝福を共に祈ろう。

また、教会学校の子どもクラスに関わって下さる方、ナオミ愛児園の職員にも感謝。その働きのためにも共に祈ろう。

最後に子育てに奮闘している親のためにも祈ろう。神の知恵と忍耐が豊かに与えられるように。こうしてアンデレに続く者となることができる。

 

2023年11月19日(日)<子ども祝福礼拝> 北九州キリスト教会宣教題
「十二弟子のアンデレ③子どもの架け橋」

礼拝動画は下のリンクからご覧ください。

https://www.youtube.com/live/JXwBQhYmjeE?si=rAFU4Z5uouP3iK62