断食の作法
◆施す時
6:1 自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。6:2 だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6:3 あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。6:4 それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
◆祈る時
6:5 また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。6:6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
◆断食する時
6:16 また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。6:17 あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。6:18 それは断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。
はじめに
主の祈りシリーズが終わった直後に断食の教えが続く。実は主の祈りの直前で取り上げた施す時の教えと祈る時の教えとが3点セットになっている。この三つに共通していることに注目すると、「偽善者たちのようにするな」(2節、5節、16節)と警告するイエスの言葉が三つとも登場する。その理由も共通で「彼らはその報いを受けてしまっている」とイエスは語る。今回のテーマは断食だが、同時にこの三つの教えを通してイエスが何を強調しているのかについて合わせてみことばに聴いていく。
聖書における断食の目的
現代ではデトックスという言葉で知られる断食。食事を一定の間断つことによって、腸内環境が改善するとされ、体調が良くなることが知られている。聖書では、いかなる理由で断食が行われたのか。聖書では最初に士師記20章26節に登場する。
「これがためにイスラエルのすべての人々すなわち全軍はベテルに上って行って泣き、その所で主の前に座して、その日夕暮まで断食し、燔祭と酬恩祭を主の前にささげた。」とある。イスラエルの民がカナンに定住して後、初めて起きた内戦による犠牲者が多数出た時に断食祈祷をしたことが語られている。これ以降の断食の話は大方この趣旨に沿って民が危機に陥った時に断食が呼びかけられている。
一方、これに対する神の批判がイザヤ書58章6節に登場する。
「わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。」とある。断食には悔い改めと共に民が協力し合って改善策を講じる具体的な行動を求める内容が語られている。これらのことから旧約聖書の断食は、古くは個人的なものというよりも、共同体が自分たちの中に見出した神への背きを心から悔い改め、具体的な改善策を講じる時の儀式的な要素があったことが伺える。
また、これよりも古くは「身を悩ます」という言葉で断食は聖書に登場する。
レビ記16章29節「これはあなたがたが永久に守るべき定めである。すなわち、七月になって、その月の十日に、あなたがたは身を悩まし、何の仕事もしてはならない。この国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者も、そうしなければならない。
ユダヤ歴でこの日は一年で最も神聖な日とされる秋の祭の大贖罪日にあたる。大祭司が年に一度だけ至聖所に入って民全体のためのあがないの儀式をする日を指す。この日に全イスラエルが断食した。
新約時代になると、断食はより個人的な祈願や教会の特別な祈願とセットで行われる性格が強くなっていく。パリサイ人たちが週に二度断食していたことが伺える箇所(ルカ18:12)やパウロとバルナバが世界宣教に断食と按手をされて派遣された時(使徒行伝13:3)など。
そして、イエスの場合には宣教開始前に荒野で40日間の断食祈祷をしたことで知られているように、断食は個人的に特別に祈りに専念する時の手段としても有効だと言うことを改めて強調しておきたい。これらを踏まえ、今回の聖書箇所の理解を深めたい。
隠れた事を見られるあなたの父なる神
施しと祈りと断食とが主の祈りの前後で取り上げられた理由…、神の目にどう受け入れられるかよりも、人に見られることを意識しながら行うことに重きを置くものに変質してしまった当時の状況が伺える。悔い改めて本来の目的に戻ることを促すイエスの教えとなった。人から外面を見られることより、人には見えない隠れた事や内面まで見られる神を意識することの大切さを訴えたイエスであった。
我々は日々神を非常に身近な存在として実感ながら生きる者として創造された。イエスと神は別名「インマヌエル」と呼ばれるお方である。
*マタイ福音書1章23節『「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。』
*イザヤ書7章14節「それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。」
*イザヤ書8章8節後半「インマヌエルよ、その広げた翼はあまねく、あなたの国に満ちわたる」。
多忙な世の中にある我々だからこそ、絶えずこれらのみことばに立ち返りたい。断食はその原点に立ち返るためにとても有効なのである。断食は絶えず行う必要はないし、必ずしなければいけないというものではない。しかし、断食の精神は非常に大切である。食事を断たなくても、時間を割いて神に集中することは多忙な現代に生きる我々だからこそ、大切なのではないだろうか。我々に日々関心を向けて下さり、総合的に見守っていて下さるお方に絶えず立ち返りながら、インマヌエルなる主と共に歩んでいこう。
2024年10月27日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「断食の作法」
参考聖書箇所(口語訳)
■旧約聖書(1)
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レビ記 16:29 これはあなたがたが永久に守るべき定めである。すなわち、七月になって、その月の十日に、あなたがたは身を悩まし、何の仕事もしてはならない。この国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者も、そうしなければならない。
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レビ記 16:31 これはあなたがたの全き休みの安息日であって、あなたがたは身を悩まさなければならない。これは永久に守るべき定めである。
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レビ記 23:27 「特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。
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レビ記 23:29 すべてその日に身を悩まさない者は、民数記のうちから断たれるであろう。
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レビ記 23:32 これはあなたがたの全き休みの安息日である。あなたがたは身を悩まさなければならない。またその月の九日の夕には、その夕から次の夕まで安息を守らなければならない」。
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民数記 29:7 またその七月の十日に聖会を開き、かつあなたがたの身を悩まさなければならない。なんの仕事もしてはならない。
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民数記 30:13 すべての誓願およびすべてその身を悩ます物断ちの誓約は、夫がそれを守らせることができ、または夫がそれをやめさせることができる。
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ダニエル書 10:12 すると彼はわたしに言った、「ダニエル書エルよ、恐れるに及ばない。あなたが悟ろうと心をこめ、あなたの神の前に身を悩ましたその初めの日から、あなたの言葉は、すでに聞かれたので、わたしは、あなたの言葉のゆえにきたのです。
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■旧約聖書(2)
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士師記 20:26 これがためにイスラエルのすべての人々すなわち全軍はベテルに上って行って泣き、その所で主の前に座して、その日夕暮まで断食し、燔祭と酬恩祭を主の前にささげた。
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サムエル記上 7:6 人々はミヅパに集まり、水をくんでそれを主の前に注ぎ、その日、断食してその所で言った、「われわれは主に対して罪を犯した」。サムエルはミヅパでイスラエルの人々をさばいた。
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イザヤ書 58:4 見よ、あなたがたの断食するのは、ただ争いと、いさかいのため、また悪のこぶしをもって人を打つためだ。きょう、あなたがたのなす断食は、その声を上に聞えさせるものではない。
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イザヤ書 58:5 このようなものは、わたしの選ぶ断食であろうか。人がおのれを苦しめる日であろうか。そのこうべを葦のように伏せ、荒布と灰とをその下に敷くことであろうか。あなたは、これを断食ととなえ、主に受けいれられる日と、となえるであろうか。
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イザヤ書 58:6 わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。
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エレミヤ書 14:12 彼らが断食しても、わたしは彼らの呼ぶのを聞かない。燔祭と素祭をささげても、わたしはそれを受けない。かえって、つるぎと、ききん、および疫病をもって、彼らを滅ぼしてしまう」。
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エレミヤ書 36:6 それで、あなたが行って、断食の日に主の宮で、すべての民数記が聞いているところで、あなたがわたしの口述にしたがって、巻物に筆記した主の言葉を読みなさい。またユダの人々がその町々から来て聞いているところで、それを読みなさい。
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エレミヤ書 36:9 ユダの王ヨシヤの子エホヤキムの五年九月、エルサレムのすべての民数記と、ユダの町々からエルサレムに来たすべての民数記とは、主の前に断食を行うべきことを告げ示された。
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ダニエル書 9:3 それでわたしは、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた。
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ヨエル書 1:14 あなたがたは断食を聖別し、聖会を召集し、長老たちを集め、国の民数記をことごとくあなたがたの神、主の家に集め、主に向かって叫べ。
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ヨエル書 2:12 主は言われる、「今からでも、あなたがたは心をつくし、断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。
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ヨナ書 3:5 そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。
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ゼカリヤ書 7:3 かつ万軍の主の宮にいる祭司に問わせ、かつ預言者に問わせて言った、「わたしは今まで、多年おこなってきたように、五月に泣き悲しみ、かつ断食すべきでしょうか」。
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ゼカリヤ書 7:5 「地のすべての民数記、および祭司に告げて言いなさい、あなたがたが七十年の間、五月と七月とに断食し、かつ泣き悲しんだ時、はたして、わたしのために断食したか。
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ゼカリヤ書 8:19 「万軍の主は、こう仰せられる、四月の断食と、五月の断食と、七月の断食と、十月の断食とは、ユダの家の喜び楽しみの時となり、よき祝の時となる。ゆえにあなたがたは、真実と平和とを愛せよ。
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■新約聖書
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マタイによる福音書 4:2 そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。
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マタイによる福音書 9:14 そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところにきて言った、「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。
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マタイによる福音書 9:15 するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。
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マタイによる福音書 17:21 〔しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。
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ルカによる福音書 2:37 その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。
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ルカによる福音書 18:12 わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
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使徒行伝 13:2 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。
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使徒行伝 13:3 そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。
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使徒行伝 14:23 また教会ごとに彼らのために長老たちを任命し、断食をして祈り、彼らをその信じている主にゆだねた。
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使徒行伝 27:9 長い時が経過し、断食期も過ぎてしまい、すでに航海が危険な季節になったので、パウロは人々に警告して言った、
◆これが断食の最後の節
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