罪からの完全開放③ 希望のひかりイエス

はじめに

本日はクリスマス礼拝につき、これまでにしたことがない特別な宣教スタイルで話したいと思います。今日のテーマについて聖書がいかに様々な言い方を駆使してイエス・キリストが希望のひかりなのかについて語っていることを実際に33の聖書箇所をご一緒に確認していきたいと思います。

光について言及している33の聖書の箇所

ヨハネの第一の手紙1章5節(376p)

Ⅰヨハネ1:5 わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神はであって、神には少しの暗いところもない

ヨハネ  1:7 この人はあかしのためにきた。についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。
…<聖書箇所を省略形で表記します>

ヨハ  1:8 彼はではなく、ただ、についてあかしをするためにきたのである。

ヨハ  1:4 この言に命があった。そしてこの命は人のであった。

ヨハ  1:9 すべての人を照すまことのがあって、世にきた。

ヨハ  3:19 そのさばきというのは、がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、よりもやみの方を愛したことである。

ヨハ  3:20 悪を行っている者はみなを憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、にこようとはしない。

ヨハ  3:21 しかし、真理を行っている者はに来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。

ヨハ  8:12 イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世のである。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命のをもつであろう」。

ヨハ  9:5 わたしは、この世にいる間は、世のである」。

ヨハ  11:9 イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世のを見ているからである。

ヨハ  11:10 しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、がないからである」。

ヨハ  12:35 そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、はあなたがたと一緒にここにある。がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。

ヨハ  12:36 のある間に、の子となるために、を信じなさい」。イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。

ヨハ  12:46 わたしはとしてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。

使  26:18 それは、彼らの目を開き、彼らをやみからへ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。

使  26:23 すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初によみがえって、この国民と異邦人とに、を宣べ伝えるに至ることを、あかししたのです」。

エペ  5:8 あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあってとなっている。の子らしく歩きなさい――

エペ  5:9 あらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである――

エペ  5:14 明らかにされたものは皆、となるのである。だから、こう書いてある、/「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。

コロ  1:12 のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。

一テサ  5:5 あなたがたはみなの子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。

一テモ  6:16 神はただひとり不死を保ち、近づきがたいの中に住み、人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである。ほまれと永遠の支配とが、神にあるように、アァメン。

ヘブル  6:4 いったん、を受けて天よりの賜物を味わい聖霊にあずかる者となり

ヘブル  10:32 あなたがたは、に照されたのち、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してほしい。

ヤコブ  1:17 あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。

一ペテ  2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみに招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。

一ヨハ  1:5 わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神はであって、神には少しの暗いところもない。

一ヨハ  1:7 しかし、神がの中にいますように、わたしたちもの中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。

一ヨハ  2:8 しかも、新しい戒めを、あなたがたに書きおくるのである。そして、それは、彼にとってもあなたがたにとっても、真理なのである。なぜなら、やみは過ぎ去り、まことのがすでに輝いているからである。

一ヨハ  2:9 「の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。

一ヨハ  2:10 兄弟を愛する者は、におるのであって、つまずくことはない。

黙  22:5 夜は、もはやない。あかりも太陽のも、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する(=再び闇に支配されることは永遠にないという約束)。

聖書は神の命の言葉、イエスの希望のひかりそのもの、ゆえに…

ヨハ  10:30 わたしと父とは一つである」。

ヨハ  14:9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。

ヨハ  5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。

わたしたちは聖書を通してこれからも日々イエス・キリストを通して神と出会い、希望に満たされていきたい。また、希望の光、命の言葉を全世界に輝かせていきたい。

2024年12月22日(日)  北九州キリスト教会宣教題
「罪からの完全開放③ 希望のひかりイエス」

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