復活に先立つ出来事
はじめに
イエスが十字架の上で息を引き取った時にマタイは何が起きたと伝えているのでしょうか。そこに十字架と復活を理解する上で大切な内容が語られています。イエスが息を引き取ったのは金曜日の午後3時過ぎ。この直後に起きた出来事の中になぜか53節で復活の後に起きた出来事が間に語られています。マタイが伝えようとしたことを黙想する時、復活理解が深まることになります。
イエスが息を引き取った直後の出来事
マタイによる福音書27章50-56節(49p)
50節 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
51節 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、
52節 また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。
53節 そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。
マタイはイエスが息を引き取った時、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けたと伝えています。神殿には神に捧げる備えのパンやメノラーと呼ばれる7つのロウソクを灯す特別な燭台(しょくだい)などが置かれていました。この場所までは担当の祭司が入ることが許されていました。しかし、幕に仕切られた奥の至聖所(しせいじょ)には年に一度だけ大贖罪日にその年の大祭司だけが入って罪のあがないの儀式を行うことになっていました。それほど神聖な場所でした。そこに安置されていたのはユダヤ教における最も神聖な契約の箱でした。モーセが神に授けられた十戒とエジプトを脱出した後にイスラエルの民が40年間毎朝神から与えられたマナと言う特別な食べ物、そしてモーセの兄アロンで初代の大祭司が用いた杖でした。神が民を聖別し、教え、養い、守り、導かれたことを象徴する三種の神器が収められていました。
この神殿の幕が裂けたという出来事は、もはや大祭司によって民の罪をあがなうための儀式をする必要がなくなったことを意味しています。人類史上ただ一人、神に対して罪を犯さずに呪いの死を遂げたイエス・キリストが最初で最後のあがないの儀式の小羊となり、永遠に有効なあがないの血を注がれたからです。一つの伝承では、バビロン捕囚の時期から行方不明になった初代の契約の箱(イエスの時代に神殿にあったのは、二代目の契約の箱と考えられている)は、岩肌をくり抜いて造られた墓地の奥に密かに安置されたと言う。バビロニアの兵士たちが墓地の中に神聖な契約の箱を隠すはずがないと思うに違いないと、裏をかいた祭司たちの必死の抵抗だったと考えられます。その丘の上に死刑場がやがて設けられ、イエス・キリストが十字架上で流された血が51節にある通り、岩が裂けるほどの地震によって地面にも亀裂ができ、初代の契約の箱の上にイエスの血が注がれたという仮説です。これが本当ならば、本物の契約の箱の上に神の小羊イエス・キリストの血が注がれたことになるのです。
これが真実だった場合には、52節で語られていることにも一筋の光が差し込みます。イエスの流された血が墓地に安置されていた聖徒たちのところにも数時間の内に届き、ちょうどイエスの復活の時期に合わせて生き返って墓から出て来たということです。こうして当時の十字架刑をイエスが永遠の大祭司としての役割を果たしつつ、同時に永遠のあがないの小羊としての役割を果したとマタイは示したかったのではないかと考えられます。この記述があるからこそ、イエス・キリストの死が罪をあがなう神の業だったと信じることができる重要な根拠の一つとなっていったのではないでしょうか。そしてマタイはこれらの出来事の証人として特別な人々を記録に含むことを忘れなかったのです。
異邦人にも信仰を芽生えさせたイエスの死
54節 百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。
マタイは続いて異邦人であったローマの百卒長という軍人にも焦点を向けます。この人物はおそらく十字架刑の総責任者だったと考えられます。これまでも幾多の死刑に立ち会った人物。彼が目にした数々のイエスへの誹謗中傷と暴力。それにも関わらず、最後までイエスが貫き通した生き様を目の当たりにして百卒長のイエスへの物の見方が変えられたとマタイは報告します。
死刑囚の死など意に介さないはずの百戦錬磨の百卒長。彼が非常に恐れを抱くほどに通常とは次元が違うイエスの最後を目の当たりにします。そして、この異邦人がイエスは正真正銘、神の子であったとの信仰告白を口にするのです。最初期の異邦人クリスチャンの誕生場面をマタイは記録に入れたと理解できるのです。
女性たちに言及するマタイ
55節 また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。
56節 その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。
イエスの直弟子たちがほとんど十字架刑の現場に姿を見せない中、初期からイエスの活動を支えて来た女性たちが最後までイエスを見守っていたことが語られます。その中には56節に名を連ねる女性たちもいました。彼女たちこそ、十字架から取り下ろされた後に必要最低限の遺体処置を行った人たちであったのかもしれません。
イエスが息を引き取ったのが午後3時過ぎ、それから死亡確認が兵隊たちによって行われた後、十字架ごと横に寝かせてイエスからくぎを抜く作業が行われ、遺体に必要最小限の処置をし終わる頃には午後4時を過ぎていたと思われます。それから墓までローマ兵に付き添われて移送されたイエスの遺体。午後5時頃、安息日が始まる日没前にぎりぎり間に合うようにしてイエスは墓に葬られたものと考えられます。その遺体の安置場所を最後まで確認して家路についた女性たち。彼女たちが復活したイエスの最初の目撃者になっていくのです。
新しい神の契約のはじまり
イエスの十字架刑と復活。マタイはこの出来事を通してそれまでの罪をあがなうユダヤ教の宗教儀式とは異次元の神の御業がはじまったことを語っているのです。そこには異邦人も含まれ、すでに死んでいる信仰者も含まれ、当時の社会では軽んじられていた女性たちも含まれるのです。
すべてはイエスの十字架の上での人類の罪をあがなう祈りと流されたあがないの血潮によって実現したとマタイは語りました。こうして苦痛と呪いでしかなかった十字架という処刑道具が神の子・イエス・キリストによって人類の希望の象徴に変わったのです。神の愛と罪の赦しの象徴に変わったのです。イースターは、この新たな希望を人類に与えられた神の御業を心から感謝し、礼拝する時なのです。この信仰と希望と愛に、現代まで続く命を軽んじるあらゆる悲劇と憎しみに勝利する神が実現して下さる救いへの道が示されているのです。
2025年4月20日(日) 北九州キリスト教会 主日(イースター)礼拝宣教題
「復活に先立つ出来事」
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