目からウロコの創世記シリーズ④ 第二日:大気と水の大循環
はじめに
聖書は、神の存在と、神が計画された人生の目的を忘れてしまった人類へのラブレターです。第1章の冒頭から、神は父・子・聖霊なる三位一体の神として、人類に霊肉両面で積極的に関わり続けておられる、人格(神格)を持ったお方であることを確認しました。そして神は「言(ことば)」によって、それまで闇に支配されていた地上に光をもたらしたと証言します。この時から事実上の「第一日」として、地球時間が時を刻み始めたのです。
続いて、この世界が命あふれる奇跡的な惑星になるために、神が介入された地球史上最も重要な「第二の出来事」とは何か、ご一緒に見ていきましょう。
下の水と上の水
創世記1章6-8節(旧約聖書1p)
1:6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
1:7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
1:8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
第一日に太陽光が海面まで到達するようになってから、海とガスで覆われた大気に大きな変化が生じました。光が化学反応を起こさせたのです。「下の水」として表現されている海では、海面が徐々に温められ、海中では本格的な対流(水の循環)が始まりました。また、海面温度の上昇に伴い、大量の海水が水蒸気となって、ガスで充満していた大気と反応しながら雲を形成していきました。これが大気圏における本格的な対流を加速させ、やがて雨雲となり「上の水」を形成していくことになります。
こうして第一日から始まった太陽光の働きにより、海中と海上で「水の大循環」が始まりました。これが、地球史上特筆すべき第二段階として聖書が伝える内容です。これも天地創造の神が意図して、計画的に行われたことだと聖書は証言しているのです。
「名づける神」とは
創世記第1章で、神が行う固有の動作として「神は…を…と名づけられた」という言葉が繰り返し語られます。1:5では「神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた」、1:8では「神はそのおおぞらを天と名づけられた」、1:10では「神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた」とあります。今回の第二日を含め、創造の第一日から第三日までに計5回登場します。
これは、全能の神を理解する上で非常に重要です。ここには、神のどのようなご性質が表現されているのでしょうか。これを理解するには、私たち人間界で「名前を付ける」行為が何を意味するかを考えると、自ずと見えてきます。
名前を付けるのは、その対象と特別な関係性を持ちたいと願う時です。親であれば、生まれてきた子どもに特別な期待を込めて名前を付けるのではないでしょうか。この動作は、生涯にわたって人格的な関わりを大切にしていきたいという意思を意味します。誰かの名前を覚えたり、名前で呼んだりすることは、相手を大切にしていることの表明でもあります。 逆に、関係が進展するか分からない相手の場合、「あなた」「そこの人」など、記号的な呼び方にとどまります。刑務所などで受刑者を番号で呼ぶ習慣は、非常に殺伐とした関係性を連想させます。しかし、天地創造の神は、最初から被造物との「関係性」を大切にすると宣言しておられるのです。
存在意義(生きる使命と目的)を与える神
また、親が子どもに名前を付ける時、尊敬する人にあやかったり、将来の願いを込めたりするものです。ここから、神が被造物に名前を付けられた動機が見えてきます。より正確に表現するならば、神はそれらの被造物に、初めから期待と存在意義(使命と目的)を考慮して創造を行われたのです。
神は人間と違って、不必要なものを創造するお方ではありません。神の創造は理に適(かな)い、全被造物がお互いを必要とし合うものとして天地創造の業を行われたと、聖書は告げているのです。神は、ご自身の存在を忘れた人類に対して、天地創造の成り立ちをこれ以上ない形で説明しつつ、ご自身がどのような人格を持った神なのか、そしてどのような期待を込めてこの世界を創造されたのかを明らかにされるお方なのです。
区別する(固有の役割と隔たりを設ける)神
6節と7節に「分ける」という言葉が登場します。これは、神が「区別する神」であることを表しています。神は被造物に固有の役割を与えるお方です。同時に、神と被造物、また被造物同士が、一定の距離感を保って存在することを当初からお決めになっていたことが表現されています。
お互いの違いを理解し、適切な距離を保って交流すること。この能力も、すべての生き物にとって非常に大切です。この能力を付与されたのも神であると、聖書は主張しています。
神の御性質によって創造された世界
聖書の最初の数行が強調しているのは、この世界が「神のご性質」によって創造されたということです。それゆえに、神のご性質が尊ばれるところには、常に完全な調和が存在します。神には創造の目的があります。創造物に責任を持ち、関係性を深めたいと願われる神です。個々の命に固有の役割を与え、各自が適切な距離を保ってその存在目的を果たしていくこと。これに抗(あらが)うことこそが「罪」であり「死」なのです。これについては、第3章でより詳しく学ぶことになります。
創世記第1章を通して、神の御性質や、被造物に期待されている役割が見えてきたでしょうか。神はこの箇所を通して、もう一度私たちをご自身の元へと引き寄せようとされています。聖書には次のような言葉もあります。
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。」
ローマ人への手紙1:20
煩雑な日常から離れて広大な自然を見渡す時、ふと我に返るような不思議な感覚を持つことはないでしょうか。私たちはあまりにも日常生活や自己実現のために時間に追われ、神との関係性を保つゆとりを失ってはいないでしょうか。そのような時こそ、次の言葉に立ち返りたいと願わされます。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」詩編 46:10
「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。」詩編100:3
2026年1月25日(日)北九州キリスト教会宣教題
「目からウロコの創世記シリーズ④ 第二日:大気と水の大循環」
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