ヨナとイエスの共通点
今月11月はマタイによる福音書の講解説教から離れ、聖書の中で話題や議論になる箇所を取り上げる。また、今月は行事が目白押しになっている。召天者を覚える礼拝。子ども祝福。世界祈祷週間など。それらの行事に関連した聖書箇所となるようにも配慮したい。今回の聖書箇所はどのように話題になるのか、さっそく内容に入っていこう。
斎藤信一郎牧師の、聖書あれこれ
今月11月はマタイによる福音書の講解説教から離れ、聖書の中で話題や議論になる箇所を取り上げる。また、今月は行事が目白押しになっている。召天者を覚える礼拝。子ども祝福。世界祈祷週間など。それらの行事に関連した聖書箇所となるようにも配慮したい。今回の聖書箇所はどのように話題になるのか、さっそく内容に入っていこう。
主の祈りシリーズが終わった直後に断食の教えが続く。実は主の祈りの直前で取り上げた施す時の教えと祈る時の教えとが3点セットになっている。この三つに共通していることに注目すると共に、同時にこの三つの教えを通してイエスが何を強調しているのかについて合わせてみことばに聴いていく。
主の祈りの第四番目「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」について大事なことは、主の祈りシリーズの「赦されるための作法」で語らせていただいた。今回はこれを踏まえて、あなたが相手の言葉や態度などで不当な扱いや差別、傷つくような思いをした場合。または自分の大事にしている生き方や価値観を否定された時、軽んじられた時など、特に赦す側の心得について理解を深めていきたい。
前回までで主の祈り5回シリーズを終えた。しかし、礼拝で唱える主の祈りには結びのことばとして最後に頌栄を唱えている。これはいつ頃から採用されたものなのか、そしてこの部分はどのような信仰を込めて唱えたらいいのか、今回はこの頌栄部分の理解を深めたい。
主の祈り(5回シリーズ)も今回で最後となった。今回のシリーズの特徴は、弟子たちが主イエスと共に祈った祈りと言う前提に立って聖書解釈を試みた点にある。他の解釈としてイエスが弟子たちにどう祈るかを教えたとする方法もあるが。前者の場合は、毎日主イエスの祈りに合わせて祈ることになる。そして祈りの内容が難しければ難しいほど、主イエスと一緒に祈ることで励まされるからである。 イエスが最後に持って来た5番目の祈りも、これまで同様に単純な祈りではない。短いが、含蓄のある祈りである。今回も聖書の文言と礼拝の時に唱和する文言との違いを比較しながら理解を深めていこう。
私は父が西南学院大学神学部を卒業し、兵庫県明石市で開拓伝道を始めた次の年に生まれた。1963年のこと。多くの人が人生の途中でキリスト教と出会い、教会に行くようになるのに対して、私は教会もキリスト教も人生の一部としてスタートしたのであった。
「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」 これまで多くのクリスチャンからこの第4番目の祈りを唱えるのに困難を覚えるとの訴えを聞いてきた。その理由は、祈る側が先に罪を赦すことが自分の罪を赦される前提条件のようになっているからである。ところが我々は他の人から悪質な被害を受けた場合、なかなか赦せないのである。果たして第4番目の祈りの意味は実際にはどんな意味なのか。
聖霊について理解するということは、キリスト教の最重要テーマを理解することである。前回は聖書でどれほど聖霊の祝福の重要性が語られているかを確認した。今回はその祝福の中身を理解する。これによって、聖霊の祝福を祈る時、具体的に何を期待して祈るかが明確になってくる。
聖霊について理解するということは、キリスト教における最重要テーマの一つではなく、最重要テーマを理解することである。創造主なる神やイエス・キリストに比べると、聖霊については、かなり曖昧な理解しかできていないと感じている人も多いのではないだろうか。今回の研修の目的はこれに終止符を打つこと。聖霊の祝福とは何か、どうしてキリスト教信仰において必要不可欠なのか。なぜ最重要テーマなのか。今回の研修でこのことが確信できる時になるように祈る。
祈る目的はなんだろうか。神への頼み事ではない。主イエスの祈りの第一の祈りでは、神がどのようなお方なのかを黙想しながら、神が招かれる祈りの場に心身を鎮めて御前に出る。第二の祈りは、この特別な特権に参与できるようになるために御子イエス・キリストと聖霊が今も果たして下さっている役割に対して感謝に満たされながら、人生の目的を再確認する。こうして第三の祈りの扉が開かれることになる。主イエスの祈りは祈りに革命を興す祈りである。一般的な祈りとは一味も二味も違うことを今回も確認していきたい。