主の祈り

キリスト教特有の教え② イェシュアの祈り

キリスト教ならではの教え、第二回目は主の祈りこと、主イエスが最も大切にされた祈りです。これはすべてのクリスチャン、そして人類が模範にすべき祈りとしてイエス様が弟子たちに教えた祈りです。この祈りは日曜毎に唱和されているにも拘わらず、世界でも日本の教会でも内容をよく理解した上で実践することが軽んじられているのではないかと危惧しています。

赦すことと赦されること

主の祈りの第四番目「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」について大事なことは、主の祈りシリーズの「赦されるための作法」で語らせていただいた。今回はこれを踏まえて、あなたが相手の言葉や態度などで不当な扱いや差別、傷つくような思いをした場合。または自分の大事にしている生き方や価値観を否定された時、軽んじられた時など、特に赦す側の心得について理解を深めていきたい。

主の祈りの結びのことば

前回までで主の祈り5回シリーズを終えた。しかし、礼拝で唱える主の祈りには結びのことばとして最後に頌栄を唱えている。これはいつ頃から採用されたものなのか、そしてこの部分はどのような信仰を込めて唱えたらいいのか、今回はこの頌栄部分の理解を深めたい。

誘惑への対処法

 主の祈り(5回シリーズ)も今回で最後となった。今回のシリーズの特徴は、弟子たちが主イエスと共に祈った祈りと言う前提に立って聖書解釈を試みた点にある。他の解釈としてイエスが弟子たちにどう祈るかを教えたとする方法もあるが。前者の場合は、毎日主イエスの祈りに合わせて祈ることになる。そして祈りの内容が難しければ難しいほど、主イエスと一緒に祈ることで励まされるからである。  イエスが最後に持って来た5番目の祈りも、これまで同様に単純な祈りではない。短いが、含蓄のある祈りである。今回も聖書の文言と礼拝の時に唱和する文言との違いを比較しながら理解を深めていこう。

赦されるための作法

「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」 これまで多くのクリスチャンからこの第4番目の祈りを唱えるのに困難を覚えるとの訴えを聞いてきた。その理由は、祈る側が先に罪を赦すことが自分の罪を赦される前提条件のようになっているからである。ところが我々は他の人から悪質な被害を受けた場合、なかなか赦せないのである。果たして第4番目の祈りの意味は実際にはどんな意味なのか。

霊的な日毎の糧

祈る目的はなんだろうか。神への頼み事ではない。主イエスの祈りの第一の祈りでは、神がどのようなお方なのかを黙想しながら、神が招かれる祈りの場に心身を鎮めて御前に出る。第二の祈りは、この特別な特権に参与できるようになるために御子イエス・キリストと聖霊が今も果たして下さっている役割に対して感謝に満たされながら、人生の目的を再確認する。こうして第三の祈りの扉が開かれることになる。主イエスの祈りは祈りに革命を興す祈りである。一般的な祈りとは一味も二味も違うことを今回も確認していきたい。

キリストと聖霊を喜ぶ祈り

今日の宣教題と主の祈りの第二番目の祈りとがどのように結びつくのだろうかと疑問に思った方も多いのではないだろうか。主イエスの祈りの二番目の内容は「御国」と「みこころ」と「天と地」という聖書の重要語から成り立っているが、キリストも聖霊もどちらも語られていない。さっそくその切っても切り離せない理由を理解していきたい。