キリスト教と葬儀③ 死後に起きること

じめに

今月はキリスト教と葬儀に関する3回シリーズで宣教をお届けします。第1回は葬儀への備え、第2回は葬儀とお墓について、そして第3回は死後に起きることをテーマにお届けします。人は死ぬとどのような手順で霊の世界に移されることになるのか。仏教などでは四十九日など、一定の期間をかけて魂が霊界に移動する考え方が存在しますが、キリスト教には別の考え方があります。これについては、イエス・キリストが十字架の上で隣の死刑囚に語った内容が大きなヒントになります。さっそくご一緒に確認しましょう。

魂は死ぬと数時間後には神が定められた霊的な特別な世界に移される

イエスは十字架上で息を引き取る前に自分を救い主と信じた死刑囚に次のように宣言しました。

ルカによる福音書23章43節(132p)

よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう。」

ここで重要な理解が二つあります。一つ目は「今日」という日の内にそこに移されると宣言されました。冒頭の「よく言っておく」の「よく」は、ギリシャ語でイエス様が特別に重要なことを語る時の「アーメン」が用いられています。ですからイエス様が臨終の時を迎えていた死刑囚に語りかけた43節の内容は、全世界のクリスチャンたちにも向けた特別な内容でもあるのです。死にゆく人に「アーメン」と確約し、間もなく死ぬけれども、「今日」という日の内にイエス様が一緒におられる場所に移されると励ましたのです。

死と呪いと悪魔に完全に勝利されたイエス様、最も安全で信頼でき、愛と平安に満ちておられる神の一人子であり、信じる者の救い主であられるお方がいる所が死後に「今日その日の内に移される場所、それがパラダイスです。

パラダイス

今回の箇所で理解を深めたい二つ目のキーワードは「パラダイス」です。イエス様に希望と信仰を置く者が死後どうなるかについて強調してもしきれないこととは、死後その日の内に移る場所がイエス・キリストが共におられる場所だということです。十字架に掛けられる前の最後の晩餐の席でもイエス様は次のようにそのことを強調しました。

「…わたしは…あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネ福音書14章2-3節)

生まれたての赤ん坊にとって母親の懐こそ、最も安心、安全な場所だということがお分かりだと思います。ある意味で自分を犠牲にして生みの苦しみに耐え、この世で生きることができるように、自分の命を惜しまなかった存在、それが母親です。この世には常に例外はあるものの、多くの母親はその後も子どもが安心、安全に成長していくために最善の努力を惜しみません。赤ん坊にとって自分を愛し、守り、育ててくれる存在がすぐそばにいる場所こそ最初のパラダイスなのです。

そして最終的なパラダイス、それはイエス様がおられるところなのです。イエス様ご自身も弟子たちにそのことを十字架にかけられる前に強調されたのです。何よりも重要なことは、イエス様と一緒に常にいることができること。そのような環境、それがパラダイスなのです。イエス様がこの世で惜しまなかった犠牲と試練も、すべてはイエス様を信じて従う者達が、神様の祝福から離れないで永遠にパラダイスで幸福に生きるためだったのです。

他の可能性について

聖書が告げるパラダイスにおける祝福に入ることができるかどうかは、イエス・キリストに対する正しい信仰を持つに至ることと、キリストとのあるべき関係を築き上げることができるかどうかにかかっています。この世にどんなに多くの優れた宗教とその指導者が存在しているとしても、罪とそれがもたらす永遠の呪いと苦しみから救い出すことができるのはイエス・キリストだけです。

この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。」(使徒行伝4章12節)

これまでにもイエス・キリストとの関わりを持たなくても幸せに生きてきた人は宗教、無宗教を問わず、数えきれないほどいたことでしょう。この地上ではキリストとの関わりを持たずに最後まで悔いなく人生を全うする人がいるかもしれません。ただし、それは死ぬまでのことです。イエス様は次のようにそのことを表現しました。

光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい。」(ヨハネ12章36節)

聖書が強調しているのは、最終的に人はイエスがキリストであることを信じ、服従するようになるか、それともキリストを信じず、服従しないかに分かれると預言しています。後者の中には、偽りのクリスチャンも含まれます。10月に宣教予定の世の終わりシリーズで取り上げる予定です。

もちろん、妊娠中にこの地上での生を終えた赤ん坊を始め、まともに聖書の福音を聞くことがなくこの世での生を終えたすべての人にもパラダイスにおける祝福を選択する機会は平等に与えられます。本日の箇所のように、地上の法律によって死刑に処せられる人にさえ、最後までキリストを信じる機会を与えようとされる神様の憐れみを感じ取っていただければと思います。

ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」ペテロ第二3章9節

動物にも希望はあります

神様が最終的に天の世界に迎え入れようと願っておられるのは人間だけではありません。動物も死後の世界で幸福に生きることができることを聖書は示しています。創世記の冒頭で語られるエデンの園のように神様はもう一度すべての生き物が植物だけを食べて平和に生きることができる世界を再創造して下さるのです。イザヤ書11章6-9節にはその日の様子が表現されています。

おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。」

神に救われ、愛されるために創造されたわたしたち

神様の創造の最終目的は、人類が神の御子イエス・キリストを通して救われ、神に愛されることのすばらしさを体験し、だれもがお互いにその喜びを分かち合い、光の子として永遠に生きるようになるためです。闇が存在するから光がより明確になります。また、愛が欠乏した世界を体験した者は愛の尊さがより実感できるようになります。愛するようになるためには、そのありがたさを実体験で認識する必要があります。また、愛は強制することも、義務で実行することもできません。神の無限の愛は感謝と信頼と喜びから自発的に分かち合うものだからです。自分の命よりも大切にしたいと思って下さる救い主イエス様がいて、その愛を思う存分に実践し合う仲間がいるところ、それがパラダイスであり、イエス・キリストが導き入れたい神の国なのです。

2025年9月28日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「キリスト教と葬儀③ 死後に起きること」

礼拝動画はこちらからご覧ください。