主の祈りの結びのことば
前回までで主の祈り5回シリーズを終えた。しかし、礼拝で唱える主の祈りには結びのことばとして最後に頌栄を唱えている。これはいつ頃から採用されたものなのか、そしてこの部分はどのような信仰を込めて唱えたらいいのか、今回はこの頌栄部分の理解を深めたい。
前回までで主の祈り5回シリーズを終えた。しかし、礼拝で唱える主の祈りには結びのことばとして最後に頌栄を唱えている。これはいつ頃から採用されたものなのか、そしてこの部分はどのような信仰を込めて唱えたらいいのか、今回はこの頌栄部分の理解を深めたい。
主の祈り(5回シリーズ)も今回で最後となった。今回のシリーズの特徴は、弟子たちが主イエスと共に祈った祈りと言う前提に立って聖書解釈を試みた点にある。他の解釈としてイエスが弟子たちにどう祈るかを教えたとする方法もあるが。前者の場合は、毎日主イエスの祈りに合わせて祈ることになる。そして祈りの内容が難しければ難しいほど、主イエスと一緒に祈ることで励まされるからである。 イエスが最後に持って来た5番目の祈りも、これまで同様に単純な祈りではない。短いが、含蓄のある祈りである。今回も聖書の文言と礼拝の時に唱和する文言との違いを比較しながら理解を深めていこう。
私は父が西南学院大学神学部を卒業し、兵庫県明石市で開拓伝道を始めた次の年に生まれた。1963年のこと。多くの人が人生の途中でキリスト教と出会い、教会に行くようになるのに対して、私は教会もキリスト教も人生の一部としてスタートしたのであった。
「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」 これまで多くのクリスチャンからこの第4番目の祈りを唱えるのに困難を覚えるとの訴えを聞いてきた。その理由は、祈る側が先に罪を赦すことが自分の罪を赦される前提条件のようになっているからである。ところが我々は他の人から悪質な被害を受けた場合、なかなか赦せないのである。果たして第4番目の祈りの意味は実際にはどんな意味なのか。
聖霊について理解するということは、キリスト教の最重要テーマを理解することである。前回は聖書でどれほど聖霊の祝福の重要性が語られているかを確認した。今回はその祝福の中身を理解する。これによって、聖霊の祝福を祈る時、具体的に何を期待して祈るかが明確になってくる。
聖霊について理解するということは、キリスト教における最重要テーマの一つではなく、最重要テーマを理解することである。創造主なる神やイエス・キリストに比べると、聖霊については、かなり曖昧な理解しかできていないと感じている人も多いのではないだろうか。今回の研修の目的はこれに終止符を打つこと。聖霊の祝福とは何か、どうしてキリスト教信仰において必要不可欠なのか。なぜ最重要テーマなのか。今回の研修でこのことが確信できる時になるように祈る。
祈る目的はなんだろうか。神への頼み事ではない。主イエスの祈りの第一の祈りでは、神がどのようなお方なのかを黙想しながら、神が招かれる祈りの場に心身を鎮めて御前に出る。第二の祈りは、この特別な特権に参与できるようになるために御子イエス・キリストと聖霊が今も果たして下さっている役割に対して感謝に満たされながら、人生の目的を再確認する。こうして第三の祈りの扉が開かれることになる。主イエスの祈りは祈りに革命を興す祈りである。一般的な祈りとは一味も二味も違うことを今回も確認していきたい。
今日の宣教題と主の祈りの第二番目の祈りとがどのように結びつくのだろうかと疑問に思った方も多いのではないだろうか。主イエスの祈りの二番目の内容は「御国」と「みこころ」と「天と地」という聖書の重要語から成り立っているが、キリストも聖霊もどちらも語られていない。さっそくその切っても切り離せない理由を理解していきたい。
礼拝の中で毎週唱えている主の祈り。個人的に主の祈りを日課のように祈っている人も多い。しかし、主の祈りを唱える時以外で、どれだけ我々は主の祈りで示される祈りの原則や模範を参考に祈っているだろうか。
「祈りほど重要なクリスチャンの使命はない」と多くの人が言う。しかし、祈りには作法があるとイエスは言う。これを突き詰めていく時、祈る内容や順番も重要である(間もなく「主の祈り」で取り上げる)が、祈る前の準備と心構えが祈りそのものを大きく左右するとイエスは教える。