目からウロコの創世記シリーズ⑨ 第六日-1:祝福の神
創世記1章22、28節(1章24-31節)
はじめに
聖書は、神の存在と神が計画された人生の目的を忘れてしまった人類への「ラブレター」です。聖書の最重要テーマは、物心両面で積極的に関わり続けておられる人格(神格)を持った天地創造の神です。このことを忘れてしまった人類に示すべく、人類にとって決定的に重要な意味を持つ六段階の特別な創造の業について語るのが創世記第1章の目的です。今回から第1章のクライマックスである第六日目の出来事を取り上げます。すべてが完成する第六日とはどんな一日だったのか、本日は「祝福の神」という中心主題と共に、第六日の特別な創造の御業についてみことばに聞いて参ります。
第六日の第一の祝福
神様は、空飛ぶ生き物と水に生息する生き物以外の、すべての生き物を第六日に創造されました。これらはさらに二つのグループに分けられます。「人間」と、それ以外の「地上の生き物」です。この両者の間には、三つの異なる祝福が約束されています。
一つ目は、神様が与えられた「食糧の違い」です。第四日に準備された植物について、第六日に改めて「誰が何を食べてよいか」という種類を明確にされました。29節から30節に次のようにあります。
1:29 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
1:30 また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。
神様は、人間に「種を持つ草(穀物)」と「果樹」を糧として与えられました。一方で、他の生物には「青草」を与えられたと記されています。この「青草」には、私たちが普段口にする野菜なども含まれます。つまり神様は、人間以外の生物のためにも、第四日の時点で豊かな食糧をあらかじめ準備しておられたのです。
すべての生物に「食べる楽しみ」と「分かち合う喜び」を与え、食糧の心配をせずに済む「安心・安全な環境」を整えられた神様。これこそが、有史以来すべての生物が求めている根源的な幸福ではないでしょうか。神様は、被造物が必要とするすべてを満たしてくださる、真に「祝福の神」なのです。
第二の祝福
1:22 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。1:28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
神様はご自身が「祝福の神」であることを、既に第五日の時点から示しておられました。 人間的な見方をすれば、植物も動物と同様にDNAを持ち、子孫を増やす機能を備えています。しかし聖書は、植物と動物の間には決定的な違いがあると教えています。それは、植物は「自らの身を他の生き物の食糧や環境として提供する」という、尊い存在目的を与えられているという点です。この原則は天国においても変わりません。ヨハネの黙示録22章2節には、その頂点にある「命の木」とその実について描写しています。ぜひご参照ください。
神様はこの世界の生き物すべてに祝福を与えられます。22節から28節にあるように、雄と雌が結び合い、子孫が世界中に増え広がることこそ、天地創造の初めからの神様のご計画でした。子孫の繁栄は、神様の御心に従うすべての生き物に対する、永遠の約束であり祝福なのです。
第三の祝福
神様は例外なく、すべての被造物を祝福される方です。28節で人間を祝福された際、最後に託された言葉に注目しましょう。
1:28 神は彼らを祝福して言われた、「…地に動くすべての生き物とを治めよ」
神様は人間だけに、特別な使命を授けられました。他の訳では「支配せよ」ともありますが、これは独裁者のような暴虐を許すものではありません。むしろ、オーナーから経営を任された「ホテルの支配人」のように、全体が正常に機能し、すべてのゲストが安心・安全に過ごせるよう心を配る「責任」を意味しています。
もしホテルのオーナーがイエス様だったらどうでしょうか。すべての従業員が協力し、主イエス様が提供したい祝福をホテル中で実践することが最優先課題になります。私たちは実にそうするようにとこの世に生まれて来たのです。
創造論と進化論(その4)
さて、現代社会を支配する「進化論」の根底にあるのは、「弱肉強食」と「自然淘汰」という概念です。弱肉強食とは「強い者が弱い者の肉を喰らい、利益を得る」という剥き出しの生存競争です。また自然淘汰(適者生存)とは「環境に適応できない者は切り捨てられ、消えていく」という冷酷な選別のプロセスです。しかし、聖書が語る創造の秩序は、その真逆です。あなたは「愛されるために」生まれた。すなわち、神様から「祝福されるために」また、互いに「祝福し合うために」生まれたのです。
進化論の価値観は創世記が語る「第六日」の真実とは違います。私たちが何かを成し遂げる前から、ただ存在するだけで「極めて良かった」と喜び、生きるために必要なすべてを整え、祝福を与えてくださいました。弱肉強食の世界では、弱さは「罪」であり「脱落の理由」です。しかし、聖書の神様の前では、弱さは「祝福の対象」です。神様は、強い者が弱い者を食らう世界ではなく、すべての存在が互いに分かち合う世界をデザインされました。
私たちは今週、この「弱肉強食」の論理が支配する社会へと戻っていきます。しかし、私たちはその論理に飲み込まれる必要はありません。私たちは忠実な「支配人」、あるいは「従業員」として神様の祝福を預かる者としてこの世に遣わされています。奪い合うのではなく、分かち合う。呪うのではなく、祝福する。その歩みの中にこそ、創造主なる神が意図された本当の「安心・安全」があるのです。
もし神様が弱肉強食の神であったなら、独り子イエス様を十字架にかけるはずがありません。強い者が弱い者のために命を捨てる。これこそが進化論にはない、聖書の圧倒的な逆転のロジックです。神様から託されたこの尊い使命を胸に、胸を張って、祝福を広げる一週間を歩んでまいりましょう。また、世界がこの神様の創造原理に立ち返ることを祈り、互いにイエスが示された模範を実践し合っていきましょう。
2026年3月8日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「目からウロコの創世記シリーズ⑨第六日-1:祝福の神」
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