目からウロコの創世記シリーズ⑩ 第六日-2:名づける神

創世記1章5,10節、2章19節(旧約聖書1-3p)

じめに

聖書は、神の存在とその目的を見失ってしまった人類への「ラブレター」です。その中心テーマは、私たちの歩みに物心両面で深く関わり続けておられる、人格(神格)を持った天地創造の神です。創世記1章の目的は、この神を忘れてしまった人類に対し、決定的に重要な意味を持つ「六段階の創造の業」を指し示すことにあります。前々回のシリーズ⑧から、そのクライマックスである第六日目の出来事に注目しています。万物が完成へと向かうプロセスの中で、神がどのような「お方」であるのか。本日は「名づける神」という側面から、神様が私たちに伝えようとしている御心をご一緒に探ってまいりましょう。

「名づける」ことの意味

聖書において、固有の名前を付けるという行為には、主に三つの重要な意味が込められています。

第一に、対象との「特別な関係性」の構築です。 神様は私たちを「人間1号、2号」といった番号で呼ぶことはなさいません。名づける対象を慈しみを持って観察し、その特徴を把握した上で、「これからあなたと、どのように歩んでいくか」という強い意志を示す行為なのです。それは、相手を理解しようとする手間を惜しまない、愛の表明です。

第二に、相手の将来を「祝福」する行為です。 親が子に名をつける時、そこには必ず「幸せになってほしい」という願いが込められます。名づけとは、豊かな感情が宿る、究極の愛情表現です。神様が私たちを名前で呼んでくださる時、そこには常に神様の祝福の祈りが伴っています。

第三に、固有の「使命」を託す行為です。 神様が被造物に名を与えた時、そこには個別の役割が与えられました。5節の「昼」と「夜」、10節の「陸」と「海」がそうです。これらを区別するだけでなく、それぞれに独自の存在意義を与えられました。神様は、私たちがただ存在するだけでなく、固有の役割(=使命)を持って生きることを願っておられるのです。

この『名づけ』が、どれほど人の人生を劇的に変えるのか。それを象徴する一人の女性がいます。三重苦のヘレン・ケラーは、サリバン先生に出会うまで、暗闇と沈黙の混沌の中にいました。彼女にとって世界は意味のない破片の集まりでした。しかしある日、井戸小屋で手に冷たい水を感じながら、サリバン先生が手のひらに「W-A-T-E-R」と綴った瞬間、彼女の中で劇的な変化が起きました。「この冷たい液体には『名前』がある!」と気づいた瞬間、彼女にとって世界は意味を持ち始め、彼女自身も「ただ生かされている存在」から「学ぶ使命を持った人間」へと変えられたのです。神様が万物に名を与えたのは、私たちにこの世界を正しく理解し、愛着を持って関わる「知恵」と「責任」を与えるためでした。名前を知ることは、愛することの第一歩なのです。

「名前で呼ぶ」ことの豊かさ

「名前で呼ぶ」という行為は、相手を一つの独立した人格として尊重している証しです。「あなた」や「そこの人」ではなく、名前で呼び合うことで、初めて人格的な交わりが始まります。

神様は、私たちの名前をただ記憶しているだけではありません。私たちの髪の毛の数さえも数えておられるほど(マタイ10:30)、深い関心を寄せてくださっています。神様が六日目に人間を造られた際、「神のかたち」に創造し、「地を治めよ」と命じられました(1:27-28)。これは、人間に神様の「管理能力」が分け与えられたことを意味します。そして、この管理という使命を果たすために不可欠だった能力こそが、「名づけ、名前で呼ぶ」という力でした。創世記2章19節を見ると、神様が最初の人アダムに、動物たちの名前を付けさせる場面が登場します。

主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。」

アダムが一つひとつの生き物を観察し、名前を付けていったこの光景は、人間が神様のパートナーとして、その知恵と愛を正しく発揮し始めた輝かしい瞬間だったのです。

マザー・テレサがインドのカルカッタで「死を待つ人の家」を始めたときのエピソードです。 路上で死にゆく人々は、社会からは「浮浪者」や「物乞い」という一括りの記号でしか見られていませんでした。しかし、マザーたちは彼らを施設に運び入れると、まず一人ひとりの手を握り、「あなたの名前は何ですか?」と尋ねました。

もし名前がわからなければ、新しい、尊厳ある呼び名で話しかけました。ある死にゆく男性は、マザーに名前を呼ばれ、優しくケアされたとき、こう言ったそうです。「私は今までドブネズミのように生きてきた。でも、今、天使のように死んでいける」。

神様が私たちを「その他大勢」ではなく、名前で呼んでくださるということは、私たちがどのような状態にあっても、神様の目には「かけがえのない一人」として映っているという究極の肯定なのです。

おわりに

今日、神様はあなたを名前で呼んでおられます。それは、あなたが『その他大勢』の一人ではなく、神様にとって代わりのいない、愛すべきパートナーだからです。
私たちは時に、自分の存在意義を見失ったり、自分を番号や記号のように感じてしまうことがあるかもしれません。しかし、あなたを造られた神様は、あなたの名前を手のひらに刻み、あなたの歩みを祝福し、あなたにしか果たせない尊い使命を与えておられます。
今週一週間、この『名づける神』の愛に包まれていることを確信し、私たちもまた、隣人の名前を大切に呼び、神様から託されたこの世界を愛し、整えていく歩みへと踏み出していきましょう。

2026年3月15日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「目からウロコの創世記シリーズ⑩ 第六日-2:名づける神」

礼拝動画はこちらからご覧ください。
※YouTubeでは「創造論と進化論」となっていますが、今回の宣教題は「名づける神」に変更になりました。