岐路に立つバプ連と希望③

はじめに

第4主日は、当教会が所属する日本バプテスト連盟(以下バプ連)特有の特徴を取り上げます。単なる教派の特徴ではなく、教派特有の特徴に焦点を合わせています。これこそ、現代の二極化していく世界の中で意義があると考えるからです。

本日は日本バプテスト連盟の親団体が直面した大問題を通して、それがその後の南部バプテスト連盟と日本の連盟内の教会に与えた影響について考察しながら、どう時代の変化に対処していくことを聖書は導いているのか、ご一緒に理解を深めていきましょう。

初代教会内で起きた裁き合い

ローマ人への手紙14章17-19節(新約251p)

14:17 神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。14:18 こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。14:19 こういうわけで、平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求めようではないか。

今回取り上げたのはローマ人への手紙です。かなり西まで当時の伝道範囲が拡大していたことになります。内容から、ローマにある教会で起きていたのが教会内での裁き合いだったことがわかります。それを見過ごしにすることができず、パウロが手紙を書いたと思われます。そこで起きていた問題とは、聖書が禁止している食べ物(14:2-3)に関する聖書解釈の違いや、安息日や日曜日(14:5-6)などに関する理解の相違から起きたものでした。

聖書解釈の相違、古今東西これによってどれだけ多くの信徒がぶつかり合い、教会が分裂に至ったことでしょうか。様々な宗教改革が現代まで起きたのも、これが原因だと言えます。しかし、その多くは本来神様が望まない、むしろ悲しませる結果だったのではないでしょうか。パウロは互いに裁き合い、軽んじ合ってはならないと警告します。キリストが双方を受け入れて下さっているのに、その僕が正しい仕方で解決しないのは何事かと非難しています。だれも、教えをないがしろにしようとしているのではない以上、自分の立場の正当性を相手にけんか腰に主張し、押し付けることこそ、キリストの教えに反すると語っています(1節、4節、10節、15節)。

オーケストラには、バイオリンのような繊細な弦楽器もあれば、トランペットのような力強い金管楽器、シンバルのように激しく鳴り響く打楽器もあります。 もし、バイオリンがトランペットに向かって「お前の音はうるさすぎる。バイオリンのように繊細に奏でるべきだ」と非難したり、トランペットがバイオリンに「もっと大きな音を出さなければ音楽ではない」と自分の正当性を主張し合ったらどうなるでしょうか。そこには不快な不協和音と争いしか生まれません。各楽器(信徒一人ひとり)は、音色も役割も、演奏の仕方も全く異なります。しかし、それぞれの演奏者が自分の主張を押し通すのをやめ、真ん中に立つ「指揮者(イエス・キリスト)」に目を留め、指揮棒(聖霊の導き)に合わせて音を奏で始める時、全く異なる音色同士が美しく調和し、一つの見事な交響曲(神の国の平和と喜び)が生まれるのです。 パウロが求めた「互の徳を高める(19節)」とは、相手を自分と同じ音色に変えようとすることではなく、同じ主を見上げて共に調和を奏でていく姿勢なのです。

南部バプテスト連盟で起きた大分裂

きっかけは、神学校において、新しい聖書研究の方法(自由主義神学)の大頭が、女性の権利拡大運動と連動して、従来の聖書理解(根本主義神学)を擁護する側との衝突として起きました。神学の新しい研究方法は、聖書が書かれた地理的・文化的・歴史的背景への理解を飛躍的に向上させることに貢献した功績があります。一方では、キリスト教信仰の根幹に関わる天地創造、処女降誕、十字架、復活などの歴史的事実を否定する研究にも踏み込んだため、従来の聖書理解を重んじる人々から強い反発を招くこととなります。この溝は近年ますます深まり、人工妊娠中絶の是非、同性婚や性転換の是非が、神学界でも、大統領宣教における民主党と共和党との激しい衝突を生じさせています。

この自由化のうねりは、南部バプテスト連盟内ではいち早く、アメリカ最大の神学生数を誇る南部バプテスト連盟の神学校の教授と神学生のモラルに急激な変化を及ぼしました。聖書の奇跡を否定する教授の出現、同性愛を擁護し、実践する教授の出現。これらが神学生の聖書理解と学習意欲に影響し、神学生の卒業率を大幅に低下させ、教会から離れる神学生が増大する事態になりました。

この事態を重く受け止めた人々によって南部バプテスト連盟の一大改革が行われた経緯について書かれているのが、以前も紹介したポール・プレスラー氏の『A Hill On Which To Die』です。南部バプテスト連盟では、この一連の社会的なリベラル化を阻止するための草の根運動が功を奏して、自由主義神学に立つ指導者層が一掃され、現在の根本主義神学陣営主導の教派となりました。
*自由主義神学の立場に立つ人々をモデレート、根本主義の立場に立つ人々をコンサーバティブと表現することもあります。これは1979年の年次総会でコンサーバティブの神学理解に立つ連盟理事長が連盟トップに返り咲いて以来、現在まで継続しています。

これ以後の南部バプテスト連盟は、一貫して聖書の中心思想を歴史的事実として教えています。また、中絶、同性婚、性転換手術などに対して聖書を根拠に、反対の意志を表明して来ました。大統領選においては、この立場により近い政策を掲げる方を後押しするようになりました。

歴史は繰り返す

南部バプテスト連盟で起きていることは、過去(1800年代)にもありました。また、これは対岸の火事ではありません。全世界のキリスト教会に問われていることです。そして、この問題に対する解決策をローマ人への手紙14章は提示しているのです。パウロの時代にも聖書理解の違いから、激しい神学論争と分裂が起きていました。互いに主張を譲らず、自分の側にこそ正義があると主張し、相手を見下し、排除しようとする醜い争いが生じていました。神の国(教会)は…すべての事柄が「義と、平和と、聖霊における喜び」につながっているかどうか、また全員でそこを目指そうとしているか、そしてそれとは反対方向に向かう動きについては、全員で警戒し、対処しているかどうかが最優先されるのです。このように生きる者が「キリストに仕える者」だとパウロは主張しました。

そこで、極めて重要な聖書の教えとして、私たちが認識する必要があるのは、徹底して自分以外の人に仕える姿勢です。自分以外の人の中には、違う考え方、価値観、聖書理解をする人も含まれます。そのためには、常に19節にあるように、互いに「平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求める」ことが意識され、キリストの体なる教会の品性になっていくことが求められています。このことが教会内で共有される時にだけ、「神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられる」とパウロは教えました。

高い山を目指す登山者たちがいます。東側のルートから登るグループ(コンサーバティブ/根本主義)と、西側のルートから登るグループ(モデレート/リベラル)がいるとします。 ふもとや中腹にいる間、お互いは見えず、歩く道筋も景色も全く違います。「こちらの道こそが唯一の登山口だ」「いや、あんな急な道は間違っている」と、足元のルートの違いばかりを気にして互いに叫び合い、相手を非難し合っているなら、いつまでも頂上にたどり着くことはできません。

しかし、登るルートは違っても、全員が「山頂(十字架と復活の主イエス・キリスト)」だけをひたすら見つめて歩みを進めるなら、登れば登るほど互いの距離は近づいていきます。そして頂上に立った時、初めて「同じ主を仰いでいたのだ」と理解し、共に景色(神の国の喜び)を分かち合うことができるのです。

イエス様も口癖のように神の愛(アガペーの愛)で互いに愛し合いなさいと教えました。この神の愛は、真剣な祈祷会と聖霊の介入によってしか、実践できませんし、実現しません。私たちは、益々激化して来ている不寛容と排他的な思考によってではなく、世の中の常識を覆し、神の愛を掲げる神の国の住人、そしてキリストに仕える僕として歩みましょう。

2026年10月25日(日)  北九州キリスト教会宣教題
「岐路に立つバプ連と希望③」

北九州キリスト教会のホームページから礼拝動画をご覧いただけます。