洪水物語① ノアの父の時代
2025年最初の聖書講解シリーズは久しぶりに創世記に戻り、ノア物語から始めたいと思います。今回はその直前に語られるアダムからノアまでの系図を取り上げ、ここに語られている内容を深く掘り下げていきます。ここには耳を疑うような長寿を全うしたノアの先祖たちが登場します。これをどう受け止めるのか。あるいはノアに名前を付けた父親のレメク、彼はどのような願いを込めて自分の息子にノアと付けたのか。第5章の系図と共に、ノアが生まれるまでの時代的な背景を理解していきましょう。
2025年最初の聖書講解シリーズは久しぶりに創世記に戻り、ノア物語から始めたいと思います。今回はその直前に語られるアダムからノアまでの系図を取り上げ、ここに語られている内容を深く掘り下げていきます。ここには耳を疑うような長寿を全うしたノアの先祖たちが登場します。これをどう受け止めるのか。あるいはノアに名前を付けた父親のレメク、彼はどのような願いを込めて自分の息子にノアと付けたのか。第5章の系図と共に、ノアが生まれるまでの時代的な背景を理解していきましょう。
世界の標準的な暦として長年普及してきた西暦は、イエス・キリストの誕生と深く関わっていることを多くの人は知っています。それがどのように正式に採用されるようになったのかを知る時、新年を迎えた私たちにとって、新たな希望となります。ルカによる福音書に報告されているイエスの両親がした事柄が、どのように新年と結びついているのかについて確認しながら、ご一緒に一年の初めの日がどのような意味を持っているのか、みことばに聴いていきましょう。
今年は一年を通して国内外で生活、健康、安全、命を脅かす事柄が絶えませんでした。また米国大統領選やAI技術の進歩による経済への影響も大きかった一年だったのではないでしょうか。来年のトランプ次期大統領就任でさらに世界は激変する可能性がある中にいる私たちですが、変わることのない確かな神様の約束に支えられて新年に臨んでいきたいと思います。今年最後の聖書の言葉、イエス・キリストの力強い希望に満ちた約束の言葉に耳を傾けて参りましょう。
本日はクリスマス礼拝につき、これまでにしたことがない特別な宣教スタイルで話したいと思います。今日のテーマについて聖書がいかに様々な言い方を駆使してイエス・キリストが希望のひかりなのかについて語っていることを実際に33の聖書箇所をご一緒に確認していきたいと思います。
イエス・キリストは他の宗教の教祖と明確な違いがあります。他の宗教の教祖も人がいかに幸せに生きることができるかという人生の根本問題に対してそれぞれに励ましと含蓄のあることを教えてくれるでしょう。これに対して旧約聖書と新約聖書からなる聖書には人間の生き方ではなく、神がどのような目的、またどのような存在しとして人間とこの世界を創造したかが順をおって書かれています。聖書の主題とは「神は人といかに生きたいと願い、この世界と来るべき死後の世界を創造されたのか」にあります。中でもこの世のすべての人間が直面する罪と呪い、そこからの完全開放こそ、神が人間となられ、イエス・キリストの生涯と教えを通して啓示して下さった目的です。
アドベント第2週を迎えました。全世界また全人類の救い主であるイエス・キリストのご降誕と再臨を覚えて礼拝するクリスマス。これから4週に渡ってイエス様が罪からの完全開放を導いて下さる唯一の救い主であることを共にみ言葉から聞いていきます。
今日からアドベントに入りました。12月25日をクリスマスと言いますが、これはキリストの誕生を記念して礼拝する日=キリスト・ミサから派生した単語です。この25日から起算して4週前の日曜日をアドベント第1週と設定する決まりです。本日はアドベント第1週にちなんで、ルカによる福音書の第2章の冒頭部分に書かれている内容を通して、ルカがどのような時代背景を意識しながらイエスの誕生の経緯を報告したのか、ご一緒に確認していきましょう。
今年はナオミ・シェル宣教師(Miss Naomi Schell)と中西けさ子姉(後の当教会初代牧師:日笠進二牧師の妻)が1929年10月に戸畑に移住し、伝道開始して95年になります。そこから現在まで続く戸畑における福音宣教が始まりました。今週から来週にかけては世界祈祷週間がバプテスト連盟全体で行われます。北九州教会が多くの宣教師と献金に支えられて来たことを覚えつつ、世界宣教の使命に共に仕えて参りましょう。
今日の話は、イスラエルの三大祭りの一つである過ぎ越しの祭が近づいて来ている時期にイエス様が行った特別な奇跡についての話です。イエス様はやがて過ぎ越しの祭の時に死刑を宣告されて十字架に付けられて殺されることになります。イエス様はそんな時が来ることを身近に感じながらイエス様の元にやって来る人々のために、自分にできる精一杯のことをしたいと願われて、今回の特別な奇跡を行ったのでしょう。さっそく、その場面に移りましょう。
今回の箇所の主題は、人はどのような条件を満たせば神が用意しておられる天国に行くことができるかという問いへの答えであった。イエスはこの問いに逆説的に答えられた。つまり、どういう人が天国に行くことができないのかを先に説明されたのである。その答えは当時のユダヤ人の常識とも、現代の多くの人々の常識とも違っていた。