預言の成就(イースター礼拝)

マタイによる福音書28章1-7節(新約49p)

 28:1さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。28:2 すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。28:3 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。28:4 見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。28:5 この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、28:6 もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。28:7 そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。

じめに

今年は新年度最初の主日がイースターとなりました。前回は2021年、次回は伝道開始100周年となる2029年です。復活は「新しいスタート」を象徴します。この恵みの日に、主の復活を最初に目撃した二人の「マリヤ」という女性たちに焦点を当て、御言葉に秘められた福音を紐解いてまいりましょう。

名前が示す「救い」と「愛」

当時「イエス」も「マリヤ」もありふれた名前でした。イエスの語源は旧約のヨシュア(ヘブライ語でイェシュア)であり、「神は救い」を意味します。モーセの後継者ヨシュアが神を冒涜する罪深い風習に満ちていた当時のカナン地方を征服し、信仰の土台を築いたように、主イエスは罪と死の支配を打ち破る「真の救い主・宗教改革者」としてこの名を負われました。
一方、マリヤの語源はモーセの姉「ミリアム」です。意味は「愛された者」、そして「苦しみ」です。ミリアムが赤子のモーセを救ったように、母マリヤもヘロデの魔の手から幼子イエスを守り、エジプトへ逃れました。
この他にもユダヤ民族をエジプトから導き出したモーセを含め、彼らには多くの類似点が存在します。モーセは彼に従ったユダヤ人たちをエジプトの奴隷状態から解放した人物です。主イエスは自分に従う者たちを罪の奴隷から解放する救い主です。
ヨシュアはモーセの死後、その意志を継いでカナンの罪深い風習を一掃し、神の国の礎を確立した人物です。主イエス・キリストも黄泉に下り、霊の世界における神の国の礎を確立しました。
また、モーセとミリアムは、イスラエル初代の大祭司アロンの兄弟であり、ヨシュアはその親族です。ここでも永遠の大祭司であるイエス様と繋がります。
さらに、モーセはエジプトの王女の養子となり、第二王子として育ちました。このことも主の主、王の王と言われるイエス・キリストと重なります。このように、イエスとマリヤという名には、旧約から続く救済のドラマが凝縮されているのです。

復活の最初の証人たち

聖書には複数のマリヤが登場します。本日の箇所(28:1)の「マグダラのマリヤ」は、主イエスによって七つの悪霊を追い出された女性。そして「ほかのマリヤ」は、十二弟子の小ヤコブの母(別名クロパの妻)であり、イエス様の親族であったと考えられます。
彼女たちは十字架の最期までイエス様に寄り添い、安息日が明けるやいなや香油を持って墓へ急いだ彼女たち…、誰よりも…。主イエスを慕い、気遣っていた女性たちが、人類最大の転換点である「復活」の最初の証人として選ばれたのです。

ガリラヤへ、日常のただ中へ

御使いは震える彼女たちに告げました。「かねて言われたとおりに、よみがえられた。先にガリラヤへ行かれる…これだけ言っておく」。
当時の人々は、メシアがエルサレムで政治的革命を起こすと期待していました。そして、イスラエルをローマ帝国の支配から独立を勝ちとってくれる救い主を待望していました。
しかし復活の主が向かったのは、辺境の地ガリラヤ、すなわち弟子たちの「生活の場」でした。これは、復活の福音がエルサレムという中心地での政治劇ではなく、私たちの「日常の歩み」の中で継続されるべきであることを示しています。

預言の成就と私たちの変革

聖書の預言の成就とは、国家の支配構造を変えることではありません。一人ひとりの内面が新しくされ、これまでとは異なる「神の国の価値観」で生き始めることです。
新年度、主イエスは私たちの「ガリラヤ(日常生活)」で待っておられます。目に見える状況が変わらずとも、復活の主と出会った私たちは、日々これまでとは違う新しい視点を与えられながら歩み出すことができるのです。
ある人が大切にしていた植木鉢を割ってしまいました。しかし、その人は破片を捨てるのではなく、金継ぎをして以前よりも美しい模様を施しました。復活とは、壊れる前の状態に戻ること(修復)ではありません。
イエス様が復活後に弟子たちの前に現れた時、十字架に架けられた時の両手と足の傷跡を抱えたままの姿で復活されたのです。復活の主イエス様とのガリラヤでの再会とは、様々な人生の傷跡を残したまま、神の恵みによって「以前よりも輝く新しい命」へと変えられることです。私たちの失敗や悲しみも、復活の主の手の中では、新しい季節を彩る「器」へと変えられるのです。

このことを新約聖書は次のように繰り返し強調しています。

*第二コリント4:16…だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく

*第二コリント5:17…だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである

*ガラテヤ6:15…ただ、新しく造られることこそ、重要なのである

復活はこのことの保証であり、証明です。ここに主イエスの勝ち取られた新年度の希望と約束があるのです。

2026年4月5日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「預言の成就」

北九州キリスト教会ホームページ

礼拝動画はこちらからご覧ください。