伝道の目的②
- 2026.07.26
- 目からウロコの聖書
- キリスト教の中心主題, ペテロ, 世界最初の大伝道集会, 使徒行伝, 聖霊の賜物
はじめに
本日の箇所は、いよいよペテロを通して語られた人類最初の伝道メッセージのクライマックスの部分です。この短い箇所にはキリスト教の究極の目的がなんであるのか、その結論が語られています。またここには、長年キリスト教会がともすると理解が不十分だったイエス様の十字架のあがないの真の目的が、なんであったのかが明確に語られている箇所です。
キリスト教において救いとは何を意味するのか、どうすればその救いを手にすることができるのか、これほどキリスト教の本質と中心主題が端的に語られている箇所は他にないのかもしれません。それは現代に生きるわたしたちにとっても目からウロコの結論部分なのです。
聖書預言を理解する能力と、罪の自覚は、聖霊がカギ
使徒行伝2章37-39節(新約183p)
37節 人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。
この日、すべてが聖霊主導で行われた世界最初の大伝道集会。共に集まり、イエス様の指示通りに忠実にひたすら聖霊の祝福を祈っていた弟子たちに、聖書の預言が成就したのです。その預言とは、あらゆる年齢層と身分の弟子たちに、男女の区別なく聖霊が力強く臨んだことです。これまでのユダヤ人たちの理解では、預言する能力は、神様に選ばれた特別な預言者にだけ授けられると考えられていました。しかし、その日、聖霊に満たされた、いわゆる預言者ではないイエスの弟子たちが、世界各国の言語で口にした聖書預言は、そこに集まった人々に罪の悔い改めを強く意識させる神様からの特別な言葉として胸に刺さったのです。
私たちの人生で、神様に対して決して許されるはずのない、取り返しのつかない罪を犯したという自覚を持つ機会がどれだけあるでしょうか。多くの人は、一生涯そのような自覚を持つこともなく人生を終えていくかもしれません。しかし、この日、120人ほどの弟子たちと、彼らのところへ集まった大勢の人々の内、3,000人ほどの人々は違ったのです。「人々はこれを聞いて、強く心を刺された」と聖書は証言しています。
その意味は、もはや一刻の猶予もなく、自分が神様に対して犯した罪の問題を「最優先で解決しなければならない」という、人生の一大事だと自覚できたのです。「わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」とは、そんな彼らの強い危機感からくる切実な問いでした。
聖書預言の真の理解も、聖霊の働きにかかっています
かつてイエス様は弟子たちに「それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。(ヨハネ16章8節)」と教えられましたが、このことがまさに実現したのです。この直前にイエス様は聖霊の祝福を弟子たちが授かることになることを、次のように預言しています。「しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くこと(十字架刑で処刑されること)は、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って(罪をあがなうために死んで黄泉に)行かなければ、あなたがたのところに助け主(聖霊)はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。(7節)」と。しかも、イエス様はこの後で次のように教えました「けれども真理の御霊(聖霊)が来る時には、あなたがたをあらゆる真理(正しい聖書理解)に導いてくれるであろう。(13節)」これは聖書の預言が、かつてないほど深く理解できるようになることを指しているのです。
弟子たちはこの日、一足先に神様に対して取返しのつかない罪を犯してしまった自覚に導かれ、同時に、イエス様が十字架の死と黄泉で裁かれたことを通して、罪のあがないを受ける道が開かれたことを、聖霊によって確信することができたため、神様を賛美せずにはおれなかったのです。
すべては、聖霊の賜物を受けるため
38節 すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」
この節ほどキリスト教の中心主題とバプテスマを受ける理由が明確に示されている箇所はありません。同時に、ここにはイエス・キリストの十字架のあがないと黄泉に降った真の目的が語られています。ところが、気をつけて理解しなければ、バプテスマを受ける目的を「罪のゆるしを得るため」だとか「天国に行けるようになるため」だと誤解しやすい箇所なのです。重要なのは、「そうすれば」の後に書かれている結論こそが、真の目的であることがわかります。すなわち、「聖霊の賜物を受ける」ためなのです。
私たちが本当の意味で神様の御心に忠実に従うためには、まず聖霊降臨日に弟子たちが体験したように、本格的に聖霊の賜物を授かることが何よりも重要です。その時、これまでにはない次元で、わたしたちが、「キリストを十字架にかけ、黄泉に降らせたほどの、本来決して許さるはずのない罪を神様に対して犯してしまった。」ということが自覚できるようになります。神様はこのことを、ペテロの宣教と聖霊に満たされた弟子たちを通して明らかにしたのです。
おわりに
39節 「この約束は、われらの主なる神(イエス・キリスト)の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである。」
世界最初の伝道説教で、ペテロはこの福音がだれを対象にした神様からの約束なのかを明確にしました。「あなたがたの子ら」とは、時代を超えてすべての子孫を含みます。「遠くの者一同」には、国を超えて世界中の人が対象だという意味が含まれます。このメッセージを聞く私たちも含まれているということです。
ただし、この祝福を体験できるのは、全人類ではありません。「われらの主なる神の召しにあずかる」者であることが必須条件です。言い換えると、イエス様の真の弟子になる招きに応答する者のことです。今回の聖書箇所が語るような聖霊の祝福を共に体験していくために、共に心を合わせて聖霊の賜物を真剣に祈り求めて参りましょう。
人にはそれぞれ、違ったキリスト教との出会いがあります。人生の挫折、キリスト教系の学校、親・親戚・友人がクリスチャンだったなど、様々です。
1936年に二・二六事件で命を落とした当時陸軍教育総監だった渡辺錠太郎氏。事件当時9歳だった次女の渡辺和子さん(ノートルダム清心女子大学の理事長・学長)は、その事件現場を目撃することになります。その時に受けた精神的な傷と恨みは、生涯消えることはないと思われました。しかし、彼女はやがてクリスチャンになり、聖霊の祝福を体験することによって、父の殺害犯人を赦すことができるようになり、長年心に抱えていた傷さえも癒される経験をしたと語っています。聖霊の祝福こそ、人類への神様からの最大の賜物なのです。
2026年7月26日(日) 北九州キリスト教会宣教題
「伝道の目的②」