キリスト教特有の教え⑤ 新しく生まれ変わる
キリスト教ならではの教え、第五回目は聖書に精通していたニコデモというユダヤ人指導者との問答です。ポイントは2節にニコデモが夜にイエス様を訪ねて来たという点です。直前の2章によれば、イエス様は神殿に行くなり神殿内で不正な商売をしている人々の台をひっくり返すなどして商人たちをひどく叱責しました。このことで、それを許可していたユダヤ人指導者たちから敵視されはじめていました。
キリスト教ならではの教え、第五回目は聖書に精通していたニコデモというユダヤ人指導者との問答です。ポイントは2節にニコデモが夜にイエス様を訪ねて来たという点です。直前の2章によれば、イエス様は神殿に行くなり神殿内で不正な商売をしている人々の台をひっくり返すなどして商人たちをひどく叱責しました。このことで、それを許可していたユダヤ人指導者たちから敵視されはじめていました。
キリスト教ならではの教え、第四回目は主の晩餐に関係する聖句です。イエス様が十字架にかけられる前の晩、弟子たちと行った主の晩餐の中で「新しい契約」について言及されました。なぜ、イエス様が流す血が新しい契約になるのでしょうか。そもそもどのような「古い契約」があり、それがどのように新しくされるのでしょうか。
今回のテーマは、キリスト教の教えの中でも特に理解が難しく、「どうやって実践すればいいのか分からない」と感じる人が多い内容です。イエス・キリストは次のように教えました。 27節 自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。 この言葉はとても率直で、間違えようのない強い表現です。イエスの弟子になるには、それほどの覚悟が求められるのです。
キリスト教ならではの教え、第二回目は主の祈りこと、主イエスが最も大切にされた祈りです。これはすべてのクリスチャン、そして人類が模範にすべき祈りとしてイエス様が弟子たちに教えた祈りです。この祈りは日曜毎に唱和されているにも拘わらず、世界でも日本の教会でも内容をよく理解した上で実践することが軽んじられているのではないかと危惧しています。
本日以降「キリスト教特有の教え」をテーマに語りたいと思います。イエス・キリストはユダヤ人たちが大切にして来た聖書理解とどのように違っていたのでしょうか。それが当時の指導者たちとは大きく違っていたからこそ、危険視され、敵視されて十字架刑に至ってしまったと言えます。国内外において分断と対立が頻繁に起きる現代だからこそ、キリストが命懸けで後世に伝えようとした教えを理解し、共に平和を実現する道をイエスの教えから導かれたいと願います。
ピーテル・ブリューゲルが書いた1568年作のバベルの塔。関東に住んでいた頃に東京の美術館に見に行きましたが圧巻でした。意外にも横60㎝、縦75㎝ほどの想像していたより小ぶりの作品でしたが、そこに投入されたブリューゲルのこだわりは本物でした。大きさに似合わず約1400人の様々な人間模様が書き込まれた力作にくぎづけになりました。今回取り上げるバベルの塔の話は実際にはどんな物語なのでしょうか。神様はどのようなメッセージを込めてこれを伝えたのでしょうか。そこには現代に通じる重要な主題が見えてくるのです。
聖書には気をつけて読むべき箇所があります。創世記10章もそうです。神は全世界を罪とその影響から救い出そうと忍耐強く人類に関わり続けて下さっています。先に9章でノアが自分の次男ハムとその子孫、特にハムの四男カナンとその一族の将来について厳しい預言をした箇所を学びました。だからと言って、彼らが神から永遠に呪われることを意味すると理解してはなりません。罪の誘惑を制御できず、罪に支配されて生きている現実が問題なのです。罪を悔い改めず、開き直って生きる時に計り知れない影響を未来に及ぼすことを神は人類に警告しているのです。聖書の記述から民族の優劣を決して決めてはなりません。その過ちがホロコースト、第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大量虐殺の悲劇を生んだのです。
イエスが十字架の上で息を引き取った時にマタイは何が起きたと伝えているのでしょうか。そこに十字架と復活を理解する上で大切な内容が語られています。イエスが息を引き取ったのは金曜日の午後3時過ぎ。この直後に起きた出来事の中になぜか53節で復活の後に起きた出来事が間に語られています。マタイが伝えようとしたことを黙想する時、復活理解が深まることになります。
イエスは十字架につけられる前の晩にゲッセマネの園で弟子たちと祈っていた時に捕えられ、不当な裁判にかけられて翌早朝に十字架刑が確定します。その間、様々な侮辱を受け、度々暴力を受けたイエスでした。8時頃に十字架を背負わされてドロローサ(苦しみの道)の上り坂をゴルゴタ(頭蓋骨)の丘へと向かいました。到着すると両手首と両足首に太さ1㎝、長さ10㎝はあったであろう太い釘で十字架にはりつけにされました。午前9時頃のことでした。十字架に吊るされると、呼吸が苦しくなるため、体を持ち上げざるを得なくなります。その度に極限の痛みが手足に生じるのが十字架刑。激痛に耐えるイエスの傍らであざける群衆。永遠に続くように感じる3時間が経過して昼を迎えてからが本日の箇所となります。
聖書の中で系図ほど読みづらく、興味が持てない箇所はないと思います。それでも、イエス様はマタイ福音書5章18節で「よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」と語り、創世記から申命記までの律法の大切さを強調しました。前回はノアの末の子のヤペテの子孫が世界の終わりの時まで重要な役割を果たすことを確認しました。その子孫は世界中に最も広く散らばっていく民族です。10章は神のご計画に従い、ノアの下の息子から始め、今回の次男ハム、そして最後に長男のセムの順でその系図を取り上げていく特徴があります。